第67話「妊娠発覚、計算不能の奇跡」
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「ル、ルーカス!! 医者だ! 王宮医師団を全員叩き起こせ! いや、私が連れてくる!!」
早朝の宰相公邸に、アレクセイさんの悲鳴に近い怒号が響き渡った。
私はキッチンのシンクにうずくまりながら、蒼白な顔で走り回る夫を、どこか遠い出来事のように眺めていた。
「……アレクセイさん、落ち着いて……。ただの胃もたれです……」
「馬鹿な! 君がこれほど苦しむなど、ただ事ではない! 昨夜のヴィクトルか? 奴が帰る間際に毒ガスでも撒いたのか!?」
「そんなわけ……うぷっ」
否定しようとした瞬間、またしても強烈な吐き気が込み上げる。
アレクセイさんが私の背中をさする手は、小刻みに震えていた。 氷の魔法使いである彼が、恐怖で冷や汗をかいている。それを見て、私は申し訳なさと同時に、冷静な思考を取り戻しつつあった。
(……毒じゃない。この感覚、医学書で読んだことがある症状と一致する)
数分後。 アレクセイさんが転移魔法で無理やり連れてきた王宮医師団長が、ベッドに横たわる私を診察していた。 アレクセイさんは私の手を両手で握りしめ、まるで死刑判決を待つ被告人のような顔をしている。
「……先生。妻は……リアナは助かるのですか? どんな希少な薬草でも、私の魔力でも、何でも使ってください! 頼む!」
「……閣下。少し黙っていていただけますか」
医師団長は呆れたように言い放つと、私の腹部に手をかざし、微弱な魔力を流した。
そして、フッと表情を緩め、眼鏡を外した。
「……おめでとうございます」
「……へ?」
アレクセイさんが間の抜けた声を上げた。
「おめでとう、とはどういう意味だ? 病気ではないのか?」
「はい。病気ではありません」
医師はニッコリと笑い、私たち二人の顔を交互に見た。
「ご懐妊です。妊娠二ヶ月……計算すると、ちょうど新婚旅行の頃ですね」
時が止まった。 部屋の空気が、シンと静まり返る。
「……にん、しん?」
アレクセイさんが、壊れたレコードのように繰り返した。
彼は私の顔を見て、医師を見て、そして布団に隠れた私のお腹を見た。
「……リアナの中に? 私の……子供が?」
「はい。魔力波長も安定しています。双子ではなく、お一人のようですね」
「こ、子供……」
アレクセイさんのアメジストの瞳が、みるみるうちに潤み始めた。
そして次の瞬間、彼はベッドの脇に崩れ落ち、布団の上から私のお腹に顔を埋めた。
「……ああ……! 神よ……!」
嗚咽。 あの冷徹無比な宰相閣下が、人目も憚らずに泣いていた。
「……リアナ。ありがとう……! 私なんかが、父親に……家族が増えるのか……」
「……はい。そうみたいですね」
私は彼の手の震えを感じながら、そっとその銀髪を撫でた。
じわじわと、実感が湧いてくる。 私のお腹の中に、新しい命がある。
彼と私の、愛の結晶が。
(……計算しなきゃ)
私の脳内電卓が、反射的に動き出した。
出産費用、ベビー用品、教育費、将来の結婚資金。 これから掛かるコストは膨大だ。 経済的な観点から見れば、子供とは「超・高コスト案件」に他ならない。
けれど。
「……リアナ。愛している。君と、この子を……私の命を懸けて守る」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、私を見上げる夫。
その表情を見た瞬間、私の脳内電卓は「エラー」を表示して停止した。
『測定不能』
どんなに精密な計算機でも、この幸福感は弾き出せない。コストなんてどうでもいい。 この人がこんなに幸せそうな顔をしてくれるなら、それだけで無限の「黒字」だ。
「……ふふ。泣き虫なパパですね」
「仕方ないだろう……。嬉しくて、どうにかなりそうだ」
彼は立ち上がると、壊れ物に触れるように、私を優しく抱きしめた。
その体温が、お腹の奥まで伝わってくるようで、私は深く息を吐いた。
つわりの気持ち悪ささえ、今は愛おしい痛みに変わっていた。
医師が帰り、二人きりになった寝室。 感動の余韻に浸っていた私だったが、アレクセイさんの様子が少しおかしいことに気づいた。
彼は涙を拭うと、キリッとした「仕事モード」の顔になり、腕組みをして部屋の中を歩き回り始めたのだ。
「……アレクセイさん?」
「リアナ。今後の『管理体制』についてだが」
「はい?」
彼はホワイトボードを取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。
「まず、君の業務は全て私が引き取る。家事もだ。君はベッドから一歩も動いてはならない」
「えっ? いや、つわりが落ち着けば仕事は……」
「ならん! 万が一、廊下で転んだらどうする! つまずく可能性のある段差は全て削り取る! いや、床を全て綿で敷き詰めるか?」
彼の目が、真剣に据わっている。これは……マズい。 喜びのあまり、彼の「過保護スキル」が限界突破してしまったようだ。
「食事も、最高級の栄養士を雇う。水は雪解け水しか認めない。それから、階段の上り下りも禁止だ。移動が必要な時は、私が抱えて運ぶ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私は妊婦であって、重病人じゃありませんよ!?」
「同じことだ! 君のお腹には、国の宝よりも重い『私の宝』が入っているんだぞ!」
アレクセイさんは私の肩をガシッと掴んだ。
「いいか、リアナ。今日から君は『歩行禁止』だ。トイレに行く時も、私を呼べ。いいな?」
「嫌です!!」
幸せな妊娠発覚から一転。 アインスワース家には、宰相閣下による「超・厳戒態勢」が敷かれようとしていた。 これから始まるのは、つわりとの戦いだけではない。
暴走する夫の過保護との、仁義なき攻防戦だ。
「……先が思いやられます」
私は大きくなった気がするお腹をさすりながら、深い溜息をついた。
でも、その口元が緩んでしまうのは、きっと私が幸せだからだろう。
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