第65話「 嫉妬の計算式、外交官との知恵比べ」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「お初にお目にかかります、アインスワース夫人」
私が応接室の扉を開けると、ソファに座っていた男が優雅に立ち上がり、一礼した。 仕立ての良いスーツを着た、細身の男。 整った顔立ちだが、眼鏡の奥の瞳は、まるで爬虫類のように冷たく、計算高い光を宿している。
「隣国ガレリア帝国の外交官、ヴィクトル・バレンタインです。宰相閣下がご不在と聞き、まずは奥様にご挨拶をと」
「丁寧なご挨拶、痛み入ります。それで? 本題は何でしょうか」
私は向かいの席に座り、単刀直入に切り出した。
ヴィクトルはニヤリと笑い、鞄から分厚い書類を取り出した。
「話が早くて助かります。……我が国が進めている『大陸横断鉄道・拡張計画』への出資のご提案です。この債券の利回りは年一五%。破格の条件ですよ」
彼は自信満々に契約書を広げた。
だが、私はその書類を一瞥しただけで、眉をひそめた。
「……計算が合いませんね」
「おや、どこがです?」
「この第九条。『為替変動リスクは出資国が全額負担する』という条項。……現在、ガレリア帝国の通貨はインフレ傾向にあります。もし通貨価値が二割下落すれば、利回りどころか元本割れします」
私は手元のそろばんを弾いた。パチパチパチッ! 乾いた音が室内に響く。
「さらに、この第十二条の『技術供与料』。市場相場の三倍です。これらを総合すると、この投資の実質利回りはマイナス五%。つまり、我が国が一方的に貴国のインフレ対策費を肩代わりするだけの『寄付行為』になります」
私はヴィクトルを真っ直ぐに見据えた。
「お引き取りください。アインスワース家は慈善事業団体ではありません」
シン……と、部屋が静まり返った。 ヴィクトルの笑顔が、ふっと消えた。
そして次の瞬間、彼は面白そうにクツクツと笑い出した。
「ハハッ! 素晴らしい!」
彼は身を乗り出し、テーブル越しに私の手を取った。
「噂以上の慧眼だ! あのアレクセイが夢中になるわけだ。……ただの『計算機』かと思っていたが、君は『宝石』だ」
「手を離してください」
「ねえ、リアナさん。こんな田舎国でくすぶっているのは勿体ないと思いませんか?」
ヴィクトルの瞳が、粘着質な光を帯びる。
「我がガレリア帝国に来ませんか? 君の頭脳があれば、財務大臣……いや、私のパートナーとして国を動かせる。給料は今の十倍出しましょう」
「……ヘッドハンティングですか? お断りです」
「なぜ? 金が好きなんでしょう? アレクセイより私の方が、君を高く評価できますよ」
彼が私の手の甲に唇を寄せようとした。
その時だった。
ドォォォォンッ!!
公邸の外、テラスの方角で、何かが着地する轟音が響いた。
同時に、応接室の窓ガラスが一斉にガタガタと震え、室温が急激に低下した。
ヴィクトルの持つティーカップの中身が、一瞬で凍りつく。
「誰を高く評価するだと?」
地獄の底から響くような声。
テラス側の窓がバンッ! と開き、雪と氷を纏った人影が乱入してきた。
「ア、アレクセイさん!?」
そこに立っていたのは、一週間前に旅立ったはずの私の夫だった。
肩で息をしており、全身から凄まじい冷気を放っている。
そしてその首には、私が贈った手編みのマフラーが、乱れることなく巻かれていた。
「……虫の知らせがしてな。全日程を半分の日数で終わらせて、飛行魔法で飛んで帰ってきた」
「ええっ!? 国境からここまで、ノンストップで!?」
「ああ。妻の危機とあれば、距離など誤差だ」
アレクセイさんはツカツカと歩み寄ると、ヴィクトルの手を私から強引に引き剥がし、自分の背後に私を隠した。
「ガレリアのハイエナが、私の留守に何の用だ?」
「やれやれ。……ただの商談ですよ。それと、優秀な人材の勧誘を少しね」
「私の妻は非売品だ。二度とその汚い口で彼女の名を呼ぶな」
アレクセイさんが指を弾く。
キィンッ! ヴィクトルの足元に氷の棘が生え、
彼の革靴を貫く寸前で止まった。
「……交渉決裂のようですね」
ヴィクトルは肩をすくめ、立ち上がった。
氷の棘にも動じた様子を見せないあたり、彼もただの文官ではないらしい。
「残念です。ですが、諦めませんよ。彼女の『価値』を本当に理解しているのは、貴方より私かもしれない」
ヴィクトルは私にウインクを投げ、悠々と部屋を出て行った。 扉が閉まる音が響く。その瞬間、アレクセイさんの纏っていた冷気が霧散し、彼はガクリと私の肩に頭を預けてきた。
「……アレクセイさん?」
「……消毒だ」
「え?」
「奴に触られた手を、消毒してくれ。上書きしてくれ」
彼は顔を上げると、甘えるような、それでいて必死な目で私を見た。
一週間ぶりの再会。その瞳には、仕事の疲れよりも、嫉妬と安堵の色が濃く滲んでいた。
「心配しなくても、どこにも行きませんよ」
「分かっている。だが……奴が君の才能を評価したのが腹立たしい」
彼は私の手を強く握りしめた。
「君の計算能力も、賢さも、全て私だけのものだ。……他の男に、その価値を理解されたくない」
独占欲の塊だ。でも、不思議と嫌じゃない。
私は彼が巻いているマフラーを整えてあげながら、微笑んだ。
「大丈夫ですよ。私の計算式を解けるのは、世界で貴方だけですから」
「……リアナ」
彼はマフラー越しに私を引き寄せ、キスをした。 冷え切った唇が、次第に熱を帯びていく。 一週間の空白を埋めるように、私たちは何度も、深く愛を確かめ合った。 外ではヴィクトルの馬車が去っていく音がしたが、今の私たちには、そんなノイズはもう聞こえていなかった。
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