第64話「手編みのマフラー、王宮で最も温かい首元」
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深夜二時。 宰相公邸のリビングは静まり返り、暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが響いている。 私はソファーに座り、一心不乱に二本の棒を動かしていた。
「……表、裏、表、表。……張力一定、ループ径三ミリ。誤差修正……」
私の手元で、ミッドナイトブルーの毛糸が、幾何学的な模様を描きながら編み上がっていく。 編み物とは、芸術ではない。数学だ。 糸の太さと針の太さから密度を計算し、空気の層を最大化する編み方を採用する。
これが、私がアレクセイさんに贈る「最強の防寒装備」──手編みのマフラーだ。
「よし。長さ百八十センチ、幅三十センチ。フィボナッチ数列に基づいた美しいアラン模様です」
最後の一目を処理し、私は満足げに頷いた。
素材は、私のお小遣いで買える最高級のメリノウール。 肌触りはカシミヤに劣るが、耐久性と保温性はこちらが上だ。
「……ふあぁ」
大きなあくびが出る。 ここ数日、アレクセイさんが寝た後にこっそり編んでいたので、睡眠不足が祟っている。 でも、彼のあの寒そうな顔を思い出すと、手は止められなかった。
「四千八百万ベルの金塊のお返しにしては、安上がりですけどね」
私は出来上がったマフラーを丁寧に畳み、ラッピング用の箱に収めた。
愛の重さは、金額ではなく「編み目の数」で換算してもらうことにしよう。
翌朝。
北方視察への出発の日。 公邸のエントランスには、冷たい北風が吹き荒れていた。
「……寒い。行きたくない。リアナと暖炉でミカンを食べていたい」
馬車の前で、アレクセイさんが子供のように駄々をこねていた。 厚手のコートを着込んでいるが、顔色は青白い。 彼は氷魔法の使い手だが、自分自身が冷気耐性を持っているわけではない。
むしろ、魔力を使うと体温が下がるため、人一倍寒がりなのだ。
「ダメですよ。国境の警備状況を確認するのは、宰相の大事な務めです」
「だが、あそこはマイナス二十度だぞ? 私が凍って彫像になったらどうする?」
「その時は、私が溶かして差し上げます」
私は苦笑しながら、隠し持っていた箱を彼に差し出した。
「……これを」
「ん? なんだ?」
「少し早いですが、私からの誕生日プレゼントのお返しです。現地で使ってください」
アレクセイさんが不思議そうに箱を受け取り、
リボンを解く。 蓋を開けた瞬間、彼の目が丸くなった。
「……これは」
「手編みのマフラーです。色は貴方の瞳の色に合わせてみました」
彼は震える手でマフラーを取り出し、頬にスリスリと押し当てた。
「……柔らかい。それに、すごく温かい」
「当然です。空気の断熱効果を最大化する『ハニカム構造編み』を採用しましたから。市販品より三〇%は保温性が高いはずです」
「……君が、編んだのか? 仕事で忙しいのに?」
「夜なべしました。貴方が風邪を引いて、医療費がかさむと困りますから」
私が照れ隠しに言うと、アレクセイさんは無言で私を見つめ──次の瞬間、私ごと抱きしめた。
「……ありがとう、リアナ」
耳元で、彼の熱い吐息がかかる。
「金塊など目じゃない。……これは、王宮のどんな宝物よりも価値がある」
彼はマフラーを首に巻き付けた。 丁寧に、何重にも。 顔が半分埋もれるくらいのボリューム感が、彼をより一層小さく、そして愛らしく見せた。
「どうだ? 似合うか?」
「はい。とっても」
私が微笑むと、アレクセイさんはパッと顔を輝かせ、近くにいたルーカス様や騎士たちに向かって叫んだ。
「見ろ! ルーカス! 妻の手編みだ!」
「は、はあ。素晴らしいですね」
「この編み目を見ろ! 完璧な均整だ! まるで数式のように美しいだろう!」
「ええ、まあ、リアナ嬢……いえ奥様らしいと言いますか……」
「触るなよ? 減るからな!」
アレクセイさんはマフラーを見せびらかし、騎士たちに自慢して回った。
「いいだろう」「羨ましいか」と練り歩く宰相の姿に、騎士たちは苦笑いしつつも、温かい拍手を送っていた。
「……まったく。子供みたいですね」
私は呆れつつも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
彼があんなに喜んでくれるなら、睡眠時間を削った甲斐があったというものだ。
「では、行ってくる。このマフラーがあれば、極寒の地も常夏のようなものだ」
アレクセイさんは馬車に乗り込み、窓から身を乗り出して手を振った。
「留守を頼むぞ、リアナ! 愛している!」
「はい、いってらっしゃい! お土産は安くて美味しいものでお願いしますね!」
馬車が蹄の音を響かせて遠ざかっていく。
その背中が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
それから、一週間が過ぎた。
彼がいなくなった公邸は、急に広くて静かになった気がした。 朝の挨拶も、夜の甘い時間もない。 レオとマリーがいる時間は賑やかだが、二人が学校へ行っている昼間は、シンとした静寂が廊下を支配している。
「……静かね」
執務室で一人、書類と向き合いながら、私はふとペンを止めた。 いつもなら、この時間は彼が「休憩しよう」と言って紅茶を入れてくる頃だ。 首元がスースーする。 私が編んだマフラー、ちゃんと使ってくれているだろうか。
「さて、感傷に浸っている場合じゃないわ。仕事、仕事」
私は頭を振り、次の書類に手を伸ばした。 その時だった。
「──失礼致します、奥様」
執事が控えめにノックをして入ってきた。
「お客様がお見えです。……アポイントはないのですが」
「お客様? どなた?」
「隣国『ガレリア帝国』の外交官、ヴィクトル・バレンタイン氏と名乗っております」
ヴィクトル・バレンタイン。 その名前を聞いた瞬間、私の「不正感知スキル」が、ピクリと反応した。 ガレリア帝国は、近年急速に経済力を伸ばしている新興の大国だ。 だが、そのやり方は強引で、他国の市場を食い物にしているという黒い噂も絶えない。
「宰相閣下のご不在を知っての来訪でしょうか」
「おそらくは。……『奥様に耳寄りな投資話がある』と」
夫が留守の隙を狙った、明らかなハイエナ行為。 普通なら追い返すところだ。
だが、外交官を無下に扱えば、国益を損なう可能性がある。
「……分かりました。お通しして」
私は眼鏡の位置を直し、気合を入れた。 アレクセイさんが巻いて行ったマフラーが、北風から彼を守るように。 今度は私が、この家を守る番だ。
「どうぞ、中へ。アインスワース家の『妻』として、お話くらいは伺いましょう」
私は冷めた紅茶を飲み干し、応接室へと向かった。 窓の外では、不穏な風が吹き始めていた。
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