表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

57/100

第57話「値切り交渉の天使、商業都市に降臨す」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



「──あ、あの。離していただけますか? 手首が折れそうです」


私のポシェットに手を伸ばしていた男──

スリの青年は、脂汗を流して呻いた。

私が掴んでいる手首が、ミシミシと悲鳴を上げているからだ。 毎日重い帳簿とそろばんを持ち歩き、時には物理攻撃にも使用する私の握力を甘く見てもらっては困る。


「離してほしければ、計算してください」


「あ、あぁ?」


「貴方が今、私から盗もうとした財布の中身は約二万ベル。対して、この街でスリの現行犯で捕まった場合の刑期は平均三年。……時給換算すると、貴方は今後三年間、時給マイナス一ベル以下で労働することになります。リスクとリターンが見合っていませんね?」


私が早口でまくし立てると、男は目を白黒させた。


「な、なんだこの女……計算機かよ……!」


「いいえ、経理係です」


男が逆上して、反対の手でナイフを取り出そうとした、その時だった。


ピキッ……


男の足元が、真夏だというのに一瞬で凍りついた。 背後から、底冷えするような殺気が降り注ぐ。


「……私の妻の手を、その汚い手でいつまで触っているつもりだ?」


アレクセイさんが、変装用の伊達眼鏡の奥から、絶対零度の視線を放っていた。

手には私の戦利品である大量の買い物袋を提げているが、その威圧感は魔王そのものだ。


「ひっ、ひぃぃッ!?」


「失せろ。……氷像になりたくなければな」


私が手を離すと、男は脱兎のごとく逃げ出した。 人混みに紛れて消えていく背中を見送り、私はふぅと息を吐いた。


「ありがとうございます、あなた。でも、威圧しすぎですよ。周りの観光客まで凍えていました」


「君に触れた罰だ。……指の一本くらい、へし折っておけばよかった」


アレクセイさんは不満げに鼻を鳴らしたが、

すぐに私の腰に手を回し、甘い顔に戻った。


「怪我はないか? 怖くなかったか?」


「平気ですよ。財布も無事です」


「そうか。……頼もしい妻を持ったものだ」


私たちは気を取り直して、市場の奥へと進んだ。 ここからが本番だ。 メルカトル名物、「絨毯じゅうたん通り」。 最高級の織物が集まるこのエリアで、私は「あるもの」を探していた。


「いらっしゃい、いらっしゃい! 東方の絹、北方の羊毛、なんでもあるよ!」


「そこの美男美女! このカーペットを見ていきな!」


活気ある声が飛び交う中、私は一軒の老舗に入った。

壁一面に飾られた、幾何学模様きかがくもようの美しい絨毯たち。


「お目が高い! お客さん、これは『王家の祈り』と呼ばれる最高級品だよ! お値段、特別に三十万ベル!」


恰幅の良い店主が、揉み手をしながら近寄ってきた。 観光客価格だ。明らかに吹っかけている。


「……三十万ベル、ですか」


私は眼鏡を光らせ、絨毯の端を指で摘んだ。

手触りを確認する。裏返す。

結び目の密度を数える。


「確かに、良い品です。染料は天然のあかね、素材はメリノ種の羊毛。……ですが」


私は店主に向き直り、ニッコリと微笑んだ。


「この結び目の数、一平方センチあたり四十五個ですね。最高級品と呼ぶには密度が足りません。それに、この文様……北部の山岳地帯で作られたものですが、あそこは昨年、羊毛の価格が大暴落しましたよね?」


「えっ……?」


「輸送ルートも、先月開通した『大陸鉄道』を使えばコストは三割減のはず。……関税の撤廃分と、現在の為替レートを考慮して再計算すると……」


パチパチパチッ! 私はポケットからそろばんを取り出し、高速で弾いた。


「適正価格は、十一万五千ベル。……違いますか?」


「なっ……!?」


店主が絶句した。 額から滝のような汗が流れる。 原価、輸送費、相場。

すべての裏事情を言い当てられ、反論の余地がないのだ。


「あ、あんた……何者だ? ギルドの監査官か?」


「いいえ、ただの通りすがりの主婦です」


「主婦がなんで為替レートまで知ってるんだよ!」


「家計を預かる身として当然の嗜みです。……さあ、どうしますか? 十一万五千ベルなら、即金で二枚買いますよ」


私は財布から、新札の束をチラリと見せた。

店主は唸り、悩み、そして最後にガクリと肩を落とした。


「……参った。負けだ、負けだよ奥さん! 持ってけ泥棒!」


「交渉成立ですね。ありがとうございます」


私は勝利の握手を交わし、二枚の絨毯を包ませた。 三十万ベルが、十一万五千ベルに。 二枚買ってもお釣りが来る。 この浮いたお金で、美味しいものも食べられる。


「……すごいな」


店の外に出ると、アレクセイさんが感嘆のため息をついた。 両手に大きな絨毯を抱えているが、その顔はなぜか誇らしげだ。


「あの強欲そうな店主が、泣きそうな顔で頭を下げていたぞ。……君は、値切りの天才だな」


「天才じゃありません。適正価格に戻しただけです」


「ふふ。その『一円も損をしたくない』という気迫……戦場での私よりも勇ましかった」


アレクセイさんは、荷物で手が塞がっているため、私の頬に自分の頬をスリスリと押し付けた。


「私の妻は、頼もしくて、賢くて、可愛い。……世界一だ」


「人前でやめてください! 恥ずかしい!」


「事実だ。……ああ、早くこの絨毯を公邸に敷いて、君とゴロゴロしたいな」


耳元で囁かれ、顔が赤くなる。 新婚旅行の解放感のせいか、彼の愛情表現デレが止まらない。 周囲の観光客が「アツアツだねぇ」と生温かい目で見ているのが痛い。


「さ、さあ次に行きましょう! まだスパイスとお茶も買わないと!」


私は照れ隠しに早足で歩き出した。 市場の喧騒、スパイスの香り、そして隣にいる愛しい人。

計算通りにいかないトラブルもあったけれど、

この旅は間違いなく「最高益しあわせ」だ。


そう思っていた、矢先だった。


「……おや、そこのお二人さん」


路地の薄暗い一角から、しわがれた声が掛かった。


「幸せそうだねえ。……でも、何か『足りないもの』はないかい?」


足を止めて振り返ると、そこには黒い布を頭から被った、怪しげな老人が座り込んでいた。 彼の前には、古びた風呂敷の上に、一つだけ商品が置かれている。埃を被った、薄汚い壺だ。


「……何ですか、これ」


「『願いが叶う壺』だよ」


老人は、歯の抜けた口でニタリと笑った。


「愛、富、健康……。持ち主が一番強く願うものを、中から生み出してくれる魔法の壺さ。……どうだい? 今なら安くしておくよ」


「……」


私は即座に踵を返そうとした。 典型的な詐欺だ。

「願いが叶う」なんて、原価ゼロの詐欺商材の常套句だ。


「行きましょう、アレクセイさん。時間の無駄です」


「まあ待て、リアナ」


アレクセイさんが、珍しく足を止めた。

彼はその壺をじっと見つめている。


「……この壺から、微かだが魔力を感じる」


「えっ?」


「ただのゴミではないようだ。……おい、爺さん。いくらだ?」


「へへっ……旦那さんはお目が高い。一万ベルでどうだい?」


一万ベル。 お土産としては高いが、骨董品としては安い。

アレクセイさんは財布を取り出そうとした。


「買おう。旅の記念だ」


「ちょっと! 無駄遣いは禁止です!」


「いいじゃないか。もし本当に願いが叶うなら、安い投資だ」


彼は私の制止を聞かず、銀貨を渡して壺を受け取ってしまった。

老人は銀貨を噛んで確かめると、ヒヒヒと笑って闇の中へ消えていった。


「……買っちゃいましたね」


「ああ。君が喜ぶかと思ってな」


アレクセイ様は、薄汚い壺を私に手渡した。


「リアナ。君なら何を願う?」


「……『この壺の返品』です」


「夢がないな」


私は壺を受け取り、まじまじと見つめた。

ただの汚い壺にしか見えない。

でも、アレクセイ様が「魔力を感じる」と言ったのが気になる。

私の「不正感知」スキルは反応しないけれど……。


(……まあいいか。一万ベルなら、勉強代として計上しておきましょう)


私は壺を抱え、ホテルへの帰路についた。

まさかこの壺が、今夜のホテルでとんでもない騒動ハプニングを引き起こすことになるとは、この時の私は──そして「世界最強の魔法使い」である夫でさえも、予測していなかったのだ。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ