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第56話「新婚旅行は「商業都市」、愛の市場調査へ」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



「……ふむ。計算通りです」


大陸横断鉄道の特等室スイートルーム。 ビロード張りのソファーに深々と座りながら、私は窓の外を流れる景色と、手元のメモ帳を交互に見比べていた。


「この列車の巡航速度は時速六十キロ。先ほどの給水・給炭地点からの距離と経過時間を照らし合わせると……現在の石炭消費効率は、カタログスペックより三%ほど悪化していますね。向かい風の影響でしょうか」


ブツブツと呟きながら電そろばんを弾く私。 そんな私を、向かいの席で優雅にワイングラスを傾けている夫──アレクセイさんが、面白そうに見つめている。


「……リアナ。君は新婚旅行の列車の中で、なぜ機関車の燃費計算をしているんだ?」


「暇だからです。それに、この列車のチケット代は破格でしたから。元が取れているのか、経理係としての血が騒ぐんです」


私は眼鏡の位置を直し、彼を見た。アレクセイさんは、窓からの陽光を浴びてキラキラと輝いている。 新婚旅行ということで、堅苦しいスーツではなく、ラフな開襟シャツ姿だ。それがまた、普段は見えない鎖骨を強調していて、目のやり場に困る。


「……景色を見たらどうだ? 南部の麦畑が綺麗だぞ」


「麦畑の作付面積から、今年の収穫高を予想するのも楽しそうですね」


「君というやつは……」


アレクセイさんは苦笑し、手元のグラスを置くと、隣の席──私のすぐ横に移動してきた。

そして、自然な動作で私の肩に腕を回す。


「計算は休憩だ。……今は、私との『甘い時間』を計上してくれ」


「業務時間外ですよ?」


「ハネムーンは全てがプライベートタイムだ」


彼の顔が近づく。 鼻先が触れ合い、甘いワインの香りが漂う。 結婚して数日。

公邸での生活にも、彼との距離感にも慣れてきたつもりだったが、ふとした瞬間の彼の色気には、

未だに心臓がエラーを起こしそうになる。


「……分かりました。では、到着までの時間、貴方のお相手をします」


「それだけか? 一生分予約したいんだが」


「欲張りですね」


私たちが額を合わせ、クスクスと笑い合っていると、コンコンとドアがノックされた。


「……失礼します。お二人とも、そろそろ到着です」


顔を出したのは、護衛兼荷物持ちとして同行しているルーカス様だ。

彼はげっそりとやつれていた。

どうやら、列車の揺れに酔ったらしい。


「ああ、すまないルーカス。……大丈夫か? 顔色が土気色だぞ」


「問題ありません……。ただ、お二人の甘い空間に当てられただけです……」


ルーカス様は遠い目をしている。

最強の騎士も、乗り物酔いとバカップルのダブルパンチには弱いようだ。


シュッシュッ……ポオォォォッ!!


白い蒸気を上げて、列車が巨大な駅のホームに滑り込む。 駅構内は、人、人、人。 飛び交う様々な言語。積み上げられた木箱。スパイスと石炭の匂い。


ここが、世界一の商業都市「メルカトル」。

大陸中の物資と金が集まる、経済の中心地だ。


「わあ……!」


列車を降りた瞬間、私は思わず声を上げた。 目の前に広がるのは、運河が張り巡らされた美しい街並みと、その運河を行き交う無数の商船。

活気が、熱気となって肌に伝わってくる。


「すごい……! 見てくださいアレクセイさん! あの船、東方の絹を満載しています! あっちの荷馬車は南国のフルーツです!」


「ああ、そうだな」


「ここなら、あらゆる商品の『底値』と『最高値』が分かります! 市場のトレンドも、物流のボトルネックも、全部丸裸にできますよ!」


私は興奮のあまり、アレクセイさんの腕をバンバンと叩いた。

普通の新婚旅行なら、「綺麗な海!」とか「素敵な教会!」とか言う場面だろう。

でも、私にとっては、この「物流の奔流」こそが絶景なのだ。


「……楽しそうだな、リアナ」


アレクセイさんは、私の興奮ぶりを見て、柔らかく目を細めた。


「静かなリゾート地ではなく、こんな騒がしい街を選んで正解だったか?」


「はい! 大正解です! ここは情報の宝庫です!」


「そうか。……君が笑っているなら、それが一番の絶景だ」


彼は私の手を取り、甲にキスを落とした。 周囲の雑踏など気にも留めない、王子様のような仕草。 道行く人々が「ありゃなんだ? 映画の撮影か?」と振り返る。


「さあ、行こうか。まずはホテルに荷物を置いて……」


「いいえ! まずは市場マーケットです! ホテルなんて寝るだけですから後回しでいいです!」


「……君の体力には恐れ入るよ」


私たちは人混みをかき分け、街の中心部へと歩き出した。 アレクセイさんは変装用の伊達眼鏡をかけ、私も新しい「認識阻害眼鏡」をかけている。

傍目には、ちょっと小綺麗な観光客のカップルに見えるはずだ。


だが、この街は「商業都市」であると同時に、

「欲望の街」でもある。

金が集まる場所には、必ずそれを狙うハイエナも集まるものだ。


「……おい、見ろよ」


路地裏の陰から、鋭い視線が私たちに向けられていることに、私はまだ気づいていなかった。


「あの上等な服……間違いねえ、カモだ」


「女の方は隙だらけだぜ。キョロキョロしてやがる」


「へへっ、久しぶりの大物だ。……財布ごといただくぞ」


薄汚れた服を着た数人の男たちが、目配せをして群衆の中に紛れ込む。 彼らの狙いは、私の腰に下げられたポシェットと、アレクセイさんの懐にある厚い財布。


「アレクセイさん! あっちの屋台、見たことない香辛料が!」


「ああ、行ってみよう」


私が無防備に駆け出した瞬間、男の一人が私の横をすり抜け様に、わざとらしく肩をぶつけてきた。


「おっと! すまねえ、姉ちゃん!」


男の手が、蛇のような速さで私のポシェットに伸びる。 スリだ。 プロの早業。

普通の観光客なら、気づいた時には財布が消えているだろう。


だが。 彼らは知らなかった。 この「隙だらけの姉ちゃん」が、一ベルの重みの違いすら指先で感知する、異常な「金銭感覚センサー」の持ち主であるということを。


(……ん?)


私の腰に、微かな違和感。 ポシェットの重量バランスが、〇・〇一グラムほど変動した。


「……あ」


私は足を止めた。 そして、私の懐に入り込んできた男の手首を、反射的にガシッ! と掴んでしまった。


「──お客様。何か、落とし物をお探しですか?」


私が眼鏡の奥の目を光らせて微笑むと、男は「えっ?」と目を見開いて固まった。 楽しいハネムーンの開幕早々、私たちはこの街の「洗礼」を受けることになる。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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