第51話「妊娠疑惑の結末、それは「ただの食べ過ぎ」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
宰相公邸の主寝室は、張り詰めた空気に包まれていた。 昨日よりもさらに増員された王宮医師団が、私のベッドを取り囲んでいる。 魔力測定器、聴診器、そして何やら高価そうな水晶玉。 最新鋭の医療機器が、私の腹部に向けられていた。
「……まだか」
アレクセイ様が、部屋の隅でイライラと貧乏ゆすりをしていた。 彼は一睡もしていないらしい。
目は充血し、銀髪は乱れているが、その表情は真剣そのものだ。
「もし何かあったら、この国中の神殿を焼き払ってでも神を脅す」という気迫が漂っている。
「か、閣下。現在、魔力の波長を精密解析中です。あと数分で確定診断が出ますので……」
「遅い! 私の『子供』が待ちくたびれているだろう!」
気が早い。まだ子供とも決まっていないのに。
私はベッドの上で小さくなりながら、昨日の自分の行動を必死に回想していた。
(……おかしいわ。確かに生理は遅れているけれど、基礎体温のグラフは乱高下している。それにこの吐き気……つわりにしては、胃のあたりがキリキリと痛むような……)
私の脳内電卓が、エラーコードを吐き出し続けている。 計算が合わない。
昨日の「新たな魔力の脈動」という診断は、本当に新しい命のものなのだろうか?
「……出ました」
医師団長が、額の汗を拭いながら重々しく口を開いた。アレクセイ様が弾かれたように近づく。
「どうだ! 男か!? 女か!? それとも双子か!?」
「ええと……申し上げにくいのですが」
医師団長は、私とアレクセイ様を交互に見つめ、そして深く頭を下げた。
「……誤診でございました」
「は?」
「リアナ様の腹部から感じられた『魔力の脈動』および『異物感』の正体は……胎児ではありません」
「なら、なんだと言うんだ! まさか腫瘍か!?」
「いえ。……未消化の『高カロリー食品』と、それによって発生した『ガス』でございます」
シン……。 部屋の時が止まった。
小鳥のさえずりだけが、窓の外から虚しく聞こえてくる。
「……ガス?」
私が鸚鵡返しに呟くと、医師は気まずそうにカルテを読み上げた。
「診断名──『急性胃炎』および『過食による消化不良』です。結婚式へのプレッシャーにより胃腸の機能が低下しているところへ、油分と糖分の多い食事を短時間に大量摂取したことが原因かと」
過食。 その単語を聞いた瞬間、私の脳裏に「ある映像」がフラッシュバックした。
『あ、このケーキ美味しい! こっちのタルトも!』
『ウェディングケーキの試食よ! 全種類味見しないと損だわ!』
おとといの私だ。 予算削減のために「見かけ倒しのケーキ」を作らせる代わりに、味だけは妥協しないと言って、候補となっていた二十種類のケーキを端から端まで試食したんだった。 さらに、カトリーヌお義母様との「激辛料理対決」もした気がする。
「あ……」
顔から火が出るとは、このことだ。
妊娠? 新しい命? 違う。
これはただの「食べ過ぎによる胃もたれ」だ。
「……そ、そんな……」
アレクセイ様が、膝から崩れ落ちた。
昨日、「奇跡だ」と泣いて喜んだ彼が。
「子供」と呼んで愛おしんだ存在が、まさか「昨日のケーキとガス」だったなんて。
「嘘だと言ってくれ……。私の子供部屋の設計図は……最高級ベビー服の注文は……」
「キャンセルしてください、閣下。キャンセル料は、私の給料から引いておきます」
私は布団を頭から被り、ダンゴムシになりたかった。 穴があったら入りたい。
むしろ、このまま布団の中で永眠したい。
「……コホン」
医師団長が、憐れむような目で処方箋を差し出した。
「とりあえず、強力な胃薬を処方しておきます。
あと数日は、お粥などの消化に良いものを召し上がってください。……それと」
「それと?」
「ドレスのサイズ合わせは、胃の腫れが引いてから行うことをお勧めします。今のままだと、ウエストが三センチほど……」
「言わないでください!!」
私は叫んだ。 これ以上の羞恥プレイには耐えられない。
医師たちが去った後。 部屋には、絶望的な静寂が残された。 アレクセイ様は窓際で、遠い目をしながら黄昏れている。その背中が、いつになく小さく見えた。
「……ごめんなさい、閣下」
私は布団から顔だけ出して謝った。
「私の自己管理不足です。……ぬか喜びさせてしまって」
「……いや」
彼はゆっくりと振り返った。 怒ってはいない。
ただ、ひどく寂しそうな、捨てられた子犬のような顔をしていた。
「君が無事でよかった。重病じゃなくて、本当によかった」
「閣下……」
「ただ……少しだけ、夢を見てしまったな」
彼はベッドに近づき、私の平らなお腹を、そっと撫でた。
「ここに、私と君の家族がいる未来を。……君に似た賢い子か、私に似た魔法使いか。想像するだけで、世界が輝いて見えたんだ」
その言葉に、胸がキュッとなった。 彼は、本当に欲しかったのだ。 私との子供を。家族を。
「契約」や「計算」ではない、血の繋がった確かな絆を。
「……順序が違いましたね」
私は彼の手の上に、自分の手を重ねた。
「まずは結婚式です。それに……」
私は顔を赤らめながら、小声で付け加えた。
「まだ、そういうこと……最後までは、してませんし」
「……ッ!」
アレクセイ様の手がピクリと震えた。 彼はハッとしたように顔を上げ、私を凝視した。 その瞳に、先ほどまでの哀愁とは違う、危険な熱が宿り始める。
「……そうか。そうだったな」
彼がニヤリと笑った。 肉食獣のスイッチが入った音だ。
「確率論以前の問題だ。種を撒いていないのに、芽が出るはずがない。……私の計算ミスだ」
「え、ええ。論理的に考えれば、発生確率はゼロ%でした」
「ならば」
彼は顔を近づけ、私の耳元で、低く甘い声で囁いた。
「次は間違いないように、確率を一〇〇%にするための『努力』が必要だな?」
「──ッ!?」
意味を理解した瞬間、私は布団を蹴飛ばして飛び起きた。
「な、何を言ってるんですか! まだ病み上がりですよ!?」
「胃薬を飲めば治るんだろう? 結婚式まであと一週間……体力作りも兼ねて、予行演習をしておくか?」
「結構です! 私はこれから、ドレスを着るために断食ダイエットをしなきゃいけないんです!」
私は枕を彼に投げつけ、ベッドから逃げ出した。
「逃げるなリアナ! 重要な家族計画の会議だぞ!」
「会議室でやってください! 変態宰相!」
ドタバタと追いかけっこをする公邸の廊下。
「妊娠疑惑」はお騒がせなオチで幕を閉じたが、それによってアレクセイ様の「父親願望」に火がついてしまったことは、私にとって最大の誤算だった。
(……覚悟しなきゃ)
走りながら、私は自分の赤くなった頬を押さえた。 結婚式が終われば、初夜が待っている。
彼のあの熱っぽい目を見る限り、今度こそ「ただの食べ過ぎ」では済まされない夜が来るだろう。
その時、私はちゃんと計算できるだろうか?
愛の数式と、幸福の確率を。
そして物語は、いよいよ二人の門出となる「結婚式」へと進んでいく。 ただし、私のこだわった「実用的すぎる引き出物」が、新たな伝説を作るとは知らずに。
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