第45話「計算違いのプロポーズ、契約書は破り捨てるためにある」
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「宰相閣下万歳! リアナ様万歳!」
「救国の英雄に栄光あれ!」
王宮のバルコニー。 眼下には、王都の広場を埋め尽くす数万の民衆が、波のように揺れていた。 歓声の轟音が、身体の芯まで響く。 私はアレクセイ様に手を取られ、訳も分からぬまま群衆に向かって手を振っていた。
(……どうしてこうなったの?)
さっきまで、涙ながらの別れ話をしていたはずなのに。 今の私は、王家秘蔵のドレスを着せられ、なぜか「国の救世主」として崇められている。
隣にいるアレクセイ様は、完璧な「宰相スマイル」を張り付かせているが、繋いだ手は痛いほど強く、そして掌は冷や汗で湿っていた。
「……笑え、リアナ。愛想を振りまくのも公務だ」
「引きつって笑えません。これ、残業手当は出るんですか?」
「出るものか。……これは『私的な儀式』の前座だ」
アレクセイ様は群衆に手を振りながら、口元だけで囁いた。
「私的な儀式?」
「ああ。……ここなら、誰も邪魔できないからな」
彼は突然、私をバルコニーの柱の陰──群衆からは死角になる場所へと引き寄せた。 歓声が少し遠くなる。彼は懐から、一枚の紙を取り出した。
何度も書き直しクシャクシャになった羊皮紙だ。
「……読め」
「これは?」
「新しい契約書だ」
私は怪訝に思いながら、その紙を受け取った。
タイトルには、殴り書きのような文字でこう書かれていた。
『終身雇用契約書兼、人生のパートナーシップ協定』
「……なんですか、これ」
内容を目で追う。
『第一条:勤務地は、甲の隣とする。半径五メートル以上離れることを禁ず』
『第二条:勤務時間は、本契約締結の瞬間から、乙の心臓が止まるその時までとする』
『第三条:給与は、甲の保有する全資産、全権力、および……甲の生涯にわたる「愛」の全てを支給する』
めちゃくちゃだ。 労働基準法を完全に無視している。 ブラック企業どころではない。これは、私の人生そのものを搾取しようとする悪魔の契約だ。
「……閣下。この契約書には不備があります」
私は胸ポケットから、愛用の赤ペンを取り出した。 そして、紙の上に容赦なく赤線を入れていく。
「まず、勤務時間が長すぎます。労働者の休息権を侵害しています」
「私の腕の中が休憩所だ」
「次に、給与の項目。『愛』という定義が曖昧です。数値化されていませんし、客観的な評価基準がありません」
私は『愛』の文字を赤丸で囲み、彼を見上げた。
「これでは、将来的に減額されたり、未払いが発生したりするリスクがあります。愛の質量、密度、持続期間……具体的な数値を提示してください」
私の指摘は、経理係として正当なものだ。
感情という不確定な変数で契約を結ぶなど、リスクが高すぎる。 だが、アレクセイ様は私の言葉に動じることなく、静かに私を見つめ返した。
「……計算不能だ」
「え?」
「計算してみたさ。君への想いを、金や時間や質量に換算しようと、何日も徹夜して計算した。……だが」
彼は私から赤ペンを取り上げると、契約書の上に大きく『☓(バツ)』を書いた。
そして、その紙をビリビリに破り捨てた。
「なっ……!?」
「解が出ないんだ。どんな高度な数式を使っても、君を愛おしいと思うこの気持ちの『解』が導き出せない」
破られた紙片が、風に乗って空へ舞い上がっていく。 アレクセイ様は、私の方へ一歩踏み出した。
「だから、君に依頼する」
彼は私の両手を包み込み、跪いた。 バルコニーの陰で。 数万の歓声をBGMにして。 氷の宰相が、ただ一人の女性に傅く。
「リアナ。……残りの人生、すべてを使って、私と一緒にこの『愛』という難問を解いてくれないか?」
「……っ」
「計算通りにいかない日々を、君と共に生きたい。……計算外の幸せを、君と積み上げていきたいんだ」
それは、どんな完璧な契約書よりも、私の心に深く刻まれる言葉だった。
計算できない。予測できない。
でも、それが──「未来」というものだ。
私は眼鏡を外し、涙を拭った。 視界がぼやける。 でも、目の前にいる彼の顔だけは、痛いほど鮮明に見えた。
「……難問ですね」
私は泣き笑いのような顔で答えた。
「私の計算能力を持ってしても、解くのに百年はかかりそうです」
「百年か。……悪くない」
アレクセイ様が立ち上がり、私の顔を両手で挟んだ。
「その契約、受けてくれるか?」
「……はい。ただし、条件があります」
「なんだ? なんでも言え」
「途中で投げ出さないこと。計算が合わなくても、諦めないこと。……そして」
私は背伸びをした。
「ずっと、私の側で笑っていてください」
「──約束する」
アレクセイ様の顔が近づく。 今度は、誰も邪魔しない。 眼鏡のレンズがカチャリと触れ合う音も、遠くの歓声も、全てが遠のいていく。
重なる唇。 初めてのキスは、甘くて、少ししょっぱくて──そして、身体中の血液が沸騰するほど熱かった。 計算機が壊れる音がした。 頭の中の数字が全て消え去り、ただ「幸せ」という文字だけで埋め尽くされていく。
(ああ……計算通りにいかないからこそ、人生は面白いのかもしれない)
長い、長い口づけ。 私たちが互いの体温を分け合い、魂の契約を結んだ、その瞬間だった。
パーンッ!! パパパンッ!!
「おめでとうございまーす!!」
「ご婚約、万歳!!」
突然、背後の窓が弾け飛ぶように開き、大量の紙吹雪が私たちに降り注いだ。
「ぶふっ!?」
「な、なんだ!?」
私たちが慌てて唇を離すと、そこにはルーカス様をはじめ、執務室の側近たち、侍女たち、さらには国王陛下までもが、巨大なクラッカーを持って立っていた。
「やりましたな閣下! ついに! ついに陥落させましたな!」
「リアナ様、おめでとうございます! これで国の財政も安泰です!」
「さあ、国民にお披露目じゃ! キスシーンをもう一度!」
「き、貴様ら……!!」
アレクセイ様の顔が、羞恥と激怒で真っ赤に染まる。 私もドレスの裾で顔を隠し、しゃがみ込んだ。 見られていた。 バルコニーの陰でコソコソしていたつもりが、背後の窓からは丸見えだったのだ。
「最低だ……! 今、一番いいところだったのに……!」
「閣下、諦めましょう。これが私たちの『計算外』な日常です」
私が苦笑すると、アレクセイ様は「くそっ」と毒づきながらも、私を抱き起こし、力強く肩を抱いた。
「……仕方ない。見せつけてやろうじゃないか。私の『最愛の妻』を」
彼は私を連れて、バルコニーの最前列へと進み出た。 大歓声が爆発する。
アレクセイ様は私の手を高く掲げ、世界中に宣言するように叫んだ。
「聞け、国民よ! この者こそが、私のアレクセイ・フォン・アインスワースの婚約者! そして、この国の未来を救った女神である!」
わああぁぁぁぁッ!! 祝福の嵐。 私は眩しい光の中で、隣で誇らしげに笑う彼を見上げた。 借金地獄から始まった私の物語は、ここで一つの終わりを迎え──そして、もっと騒がしくて幸せな「第二章」へと続いていくのだ。
「……覚悟しておけよ、リアナ。これからは、もっと忙しくなるぞ」
「望むところです。……赤字になったら、私が立て直しますから」
私たちは顔を見合わせ、光の中で笑い合った。
数式では表せない未来に向かって。
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