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第43話「荷造りは終わらない、捨てられないガラクタたち」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



段ボール箱が三つ。 それが、私のこの公邸での生活の全てだった。


「……少ないですね。備品ばかりで、私の私物なんてこんなものです」


深夜のゲストルーム。 明日、私はここを出ていく。 契約終了に伴う退去。

効率よく、迅速に。立つ鳥跡を濁さず。

それが優秀な経理係の去り際だ。


「さて、あとはこの引き出しの中身を仕分けして、廃棄すれば完了……」


私はデスクの引き出しをひっくり返し、中身を床にぶちまけた。 ガラガラ、と乾いた音がする。

出てきたのは、一見するとゴミのようなガラクタばかりだった。


「……これ、まだ取っておいたんだ」


最初に手に取ったのは、小さな白いボタン。

白蝶貝の、欠けたボタンだ。 以前、アレクセイ様のシャツから取れかけ、私が縫い直した時のもの。その際、予備として交換した古い方を、なぜか捨てずに持っていたのだ。


『君は、何でもできるんだな』


あの時の、彼の驚いた顔と、少し照れたような笑顔が脳裏に蘇る。 彼の体温。間近で嗅いだ香水の匂い。 ただのボタンなのに、掌に乗せると熱を持っているような気がした。


「……資産価値、ゼロ。廃棄対象です」


私はゴミ箱へ捨てようとした。 でも、指が動かない。 ゴミ箱の縁で手が止まり、震え出す。


(……だめ。捨てられない)


私はボタンをポケットにねじ込んだ。 次に出てきたのは、映画の半券のような紙切れ。 街へ「視察」に行った時、露店でもらった福引券だ。ハズレくじ。


『一等賞は世界一周旅行か。当たったら、君と行くのも悪くないな』


『ハズレです、閣下。参加賞のポケットティッシュです』


『……ちぇっ』


子供みたいに唇を尖らせていた、氷の宰相。

あの時、彼は確かに私との未来を夢見てくれていた。 たとえそれが、冗談だったとしても。


そして、最後に拾い上げたのは──小指の爪ほどの、歪な形をした紫色の石だった。 魔力などほとんど残っていない、道端に転がっているようなクズ魔石。 彼が初めて私の「節約弁当」を食べた翌日、お礼だと言って本物の宝石と一緒に渡してきたものだ。


『その紫色は、私の目の色に似ているだろう? 君にあげるよ』


『いりません、こんな石ころ』


『持っていてくれ。……私だと思って』


「……馬鹿みたい」


私はその石を握りしめ、膝を抱えて座り込んだ。


「全部、ガラクタじゃないですか。市場価値なんてありません。質屋に持って行っても、一ベルにもなりません」


経理係失格だ。 こんな無価値なものを、大事に引き出しの奥にしまっていたなんて。 減価償却どころか、保管コストの無駄遣いだ。


「捨てなきゃ。……捨てて、身軽にならなきゃ」


新しい生活が始まるのだ。 借金のない、自由な生活。 弟と妹と、三人で笑って暮らす日々。 それが私の望みだったはずだ。それが「黒字」の人生のはずだ。


なのに。


「……どうして」


視界が歪む。 握りしめた石に、ポタリ、と雫が落ちた。


「どうして、こんなに……胸が痛いの?」


計算が合わない。 借金という負債がなくなったのに、心の中の「資産」がごっそりと消滅してしまったような喪失感。 貸借対照表バランスシートが崩壊している。


「……会いたい」


言葉にしてしまった瞬間、ダムが決壊した。


「会いたいよ……アレクセイ様……っ」


涙が止まらなかった。 彼がいない朝。

彼がいない執務室。彼がいない未来。

想像するだけで、世界が色を失い、灰色の数字の羅列に見えてくる。


「っ、うぅ……嫌だ……離れたくない……!」


私はガラクタたちを胸に抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。

プライドも、理性も、かなぐり捨てて。


「お金なんていらない……! 借金まみれでいい……! 奴隷契約でもいい……!」


私は気づいてしまったのだ。 私の人生にとって、最大の「利益」は、金でも自由でもなく──

アレクセイ・フォン・アインスワースという存在そのものだったことに。 彼が隣にいて、笑ってくれて、私の名前を呼んでくれる。

それだけで、私の世界は「黒字」だったのだ。


「……好きです……大好きです、閣下……っ」


誰もいない部屋で、私の嗚咽だけが響く。

この計算式の答えが出るのが、あまりにも遅すぎた。 契約はもう終わる。 明日になれば、私は他人になる。


「うあぁぁぁ……っ!」


私は膝に顔を埋め、声を押し殺して泣き続けた。 ドアの向こうに、誰かの気配があることにも気づかずに。


廊下。 リアナの部屋のドアの前で、アレクセイは石像のように立ち尽くしていた。


「…………」


中から聞こえる、押し殺した泣き声。

そして、途切れ途切れに聞こえてくる、彼女の本音。


『離れたくない』 『大好きです、閣下』


その言葉が、鋭い刃のように、そして甘い毒のように、アレクセイの心臓を貫いていた。


(……泣いているのか。君が)


いつも冷静で、強くて、数字のことしか考えていないはずの彼女が。 自分のために、あんなにも悲痛な声を上げて泣いている。


アレクセイの手が、ドアノブへと伸びる。 開けて、抱きしめたい。「行かなくていい」「ずっとここにいろ」と言って、その涙をキスで拭いたい。 今すぐ部屋に入れば、きっと彼女は受け入れてくれるだろう。


だが──アレクセイの手は、ノブに触れる直前で止まった。


(……私に、その資格があるのか?)


彼女は言った。『対等になりたい』と。 借金という鎖で繋がれた関係ではなく、一人の人間として自立したいと。 その決意を尊重して「完済」を認めたのは、他ならぬ自分だ。 今ここで情に流されて彼女を引き止めれば、彼女のプライドを踏みにじることになるのではないか?


「……くそっ」


アレクセイは苦悶の表情で、自分の手を引き戻した。 彼女を愛しているからこそ、彼女の「自由」を奪えない。 その矛盾ジレンマが、彼をその場に釘付けにしていた。


「……リアナ」


彼はドア越しに、そっと掌を当てた。

木の板一枚隔てた向こうに、愛しい人がいる。

こんなにも近くにいるのに、精神的な距離は数万キロも離れているようだった。


「……明日の朝。……笑顔で送り出すことが、私にできる最後の仕事だ」


アレクセイは血が出るほど唇を噛み締め、背を向けた。 足音を立てないように、その場を去る。 彼の目にもまた、光るものが浮かんでいた。


二人の想いは通じ合っている。 なのに、あまりにも不器用で、誠実すぎるがゆえに、二人はすれ違ったまま最後の夜を越えようとしていた。


翌朝。 運命の退去日。 しかし、事態は二人の予想を遥かに超える、劇的な結末へと転がり落ちていくことになる。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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