第38話「宰相休養、公邸での甘い軟禁生活」
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「……絶対安静、ですか」
宰相公邸の主寝室。 天蓋付きのベッドに横たわるアレクセイ様を見下ろし、私は宮廷医師の診断結果を復唱した。
「はい。命に別状はありませんが、魔力の回路が焼き切れる寸前でした。少なくとも一週間は魔法の使用を禁止。過度なストレスも厳禁です。……でないと、次は本当に命に関わりますよ」
老医師は眼鏡を光らせ、アレクセイ様に釘を刺した。 アレクセイ様は不服そうに唇を尖らせている。
「大袈裟だな。一晩寝れば治る」
「治りません。貴方は人間であって、永久機関ではありません」
私は医師にお礼を言って部屋から出し、ドアに鍵をかけた。 カチャリ。
これで、この部屋は密室だ。
「リアナ。鍵をかけてどうするつもりだ? まさか、弱った私を襲う気か?」
「はい、襲いますよ。……仕事という名の暴力でね」
私は隣の部屋から運ばせてきた執務机と、山のような書類の束をベッドの横に配置した。
「本日より、ここが臨時執務室です。私はここで、閣下の看病と通常業務を並行処理します」
「……ここで、か?」
「はい。閣下が勝手にベッドから抜け出して仕事をしないよう、二十四時間監視するためです」
私が宣言すると、アレクセイ様はきょとんとして、それから嬉しそうに目を細めた。
「なるほど。つまり、私が完治するまで、君はずっと私の視界の中にいるわけか」
「そうなりますね。嫌なら大人しく寝ていてください」
「嫌なものか。最高の療養環境だ」
彼は枕の位置を直し、リラックスした体勢になった。 氷の宰相の威厳はどこへやら、今の彼は完全に「甘えモード」に入っているようだ。
「リアナ。喉が渇いた」
「はいはい、お水ですね」
「水じゃない。桃のコンポートのシロップ割りがいい」
「……糖分の過剰摂取は回復を遅らせますよ」
文句を言いつつも、私はサイドテーブルのベルを鳴らし、メイドに用意させた。
運ばれてきたグラスを渡そうとすると、彼は手を出さずに口を開けた。
「……手が痺れて動かないんだ」
「嘘をおっしゃい。さっき枕を直していましたよ」
「魔力欠乏の余波だ。時々力が入らなくなる。…ほら、早くしないと干からびるぞ」
確信犯だ。 でも、昨日の彼の姿──私を守るためにボロボロになった姿を思い出すと、無下に断ることはできなかった。 私はため息をつき、ベッドの縁に腰掛けた。
「……今回だけですよ。口を開けてください」
「あーん」
スプーンでシロップ水をすくい、彼の口に運ぶ。 彼はそれを子鳥のように飲み込み、満足げに微笑んだ。
「……甘い」
「砂糖水ですからね」
「いや、君に飲ませてもらうと格別だという意味だ」
彼は悪びれもせずに言い放つ。
この人、魔力と一緒に「羞恥心」まで使い果たしてしまったのだろうか。
それから数日間、私の「介護生活」は続いた。
食事の世話、着替えの手伝い、さらには「目が疲れたから本を読んでくれ」というリクエストまで。 私は文句を言いながらも、その全てに応えた。
彼が私に向けてくれる無防備な信頼と、甘えたような視線が、私の心の中にある「壁」を少しずつ、確実に溶かしていたからだ。
ある日の深夜。 私がデスクで書類整理をしていると、ベッドの方から視線を感じた。
「……まだ起きているのですか、閣下。もう二時ですよ」
「君が起きているのに、寝られるわけがないだろう」
アレクセイ様は横になったまま、私をじっと見つめていた。 その瞳は、熱っぽく潤んでいる。
「リアナ。こっちへ来てくれ」
「仕事が残っています」
「命令だ。……寂しくて死にそうだ」
「ウサギですか、貴方は」
私はペンを置き、ベッドに歩み寄った。 彼の顔色が、数日前よりも良くなっているのを確認してホッとする。
「……それで、ご用件は?」
「頭を撫でてくれ。あの…カーテン裏の時のように」
「子供じゃないんですから……」
言いながらも、私の手は自然と彼の銀髪に伸びていた。 サラサラとした手触り。
少し冷たくて、柔らかい髪。 私がそっと撫でると、彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
「……いい手だ。荒れていて、ペンだこがあって……働き者の、美しい手だ」
「褒め言葉に聞こえませんね。ハンドクリーム代を請求しますよ」
「払おう。一生分でも」
彼は私の手首を掴み、手のひらに頬を擦り寄せた。 猫みたいだ。 国一番の権力者が、こんなに無防備な姿を私だけに見せている。 その優越感と、愛おしさ。
「……リアナ」
「はい」
「ずっと、こうしていたいな。……病気が治らなければいいのに」
「不謹慎です。国が困ります」
「国より、君との時間の方が大事だ」
彼はそう呟くと、安心したのか、すぐに寝息を立て始めた。 規則正しい呼吸。
完全に無防備な寝顔。
私は彼の手からそっと自分の手を抜き、彼に掛け布団をかけ直した。
そして、その場を離れようとして──足を止めた。
(……無防備すぎるわよ、本当に)
彼の整った顔立ち。長い睫毛。形の良い唇。
見ているだけで胸が苦しくなる。
この人が、私のために命を懸けてくれた。
私の「資産」だと言ってくれた。
衝動が、理性を上回った。 私は周囲を見回した。誰もいない。
ルーカス様も廊下で警備中だ。 今なら──。
私は音を立てないように、ゆっくりと顔を近づけた。 彼の吐息がかかる距離。 鼓動がうるさい。
キスをしたいわけじゃない。ただ、お礼のつもり。 おでこに、軽く触れるだけの……。
あと数センチ。 彼の前髪が、私の額に触れる。
その時、彼のアメジストの瞳が──睫毛の下で、
微かに震えた気がした。
(……っ!)
私はハッとして、弾かれたように身を引いた。
「……な、何してるの私! バカバカ!」
心臓が早鐘を打つ。 私は逃げるようにデスクに戻り、意味もなく書類をバサバサと整理し始めた。 顔が熱い。耳まで真っ赤だ。 もし起きていたらどうしよう。
セクハラで訴えられるのは私の方だ。
(寝てるわよね? うん、寝てる。絶対寝てる!)
私は自分に言い聞かせ、乱れた呼吸を整えるのに必死だった。
一方。 ベッドの中で、アレクセイは必死に叫び出しそうな衝動を抑え込んでいた。
(……あ、危なかった……!)
心臓が破裂しそうだった。 彼女の気配が近づいてきた時、期待で爆発しそうになるのを必死で堪え、狸寝入りを決め込んだ。 柔らかい吐息。甘い香り。
あと数ミリで、彼女の唇が触れるところだった。
(なぜ止めるんだ! そこは勢いでいってくれよ! いってくれたら、私も起きて反撃できたのに!)
彼はシーツの下で拳を握りしめ、悶絶していた。 だが、同時に確信した。 彼女もまた、自分を想ってくれている。 ただの経理係としてではなく、一人の女性として。
「……可愛すぎるだろう、ちくしょう」
アレクセイはニヤつく顔を枕に押し付け、幸福な敗北感に浸った。 風邪は治りかけが一番危ないと言うが、彼の「恋の病」は、もはや手遅れの域に達していた。
翌日。 全快したアレクセイ様は、私を見るたびにニヤニヤと意味深な笑みを浮かべるようになり、私は「熱で頭がおかしくなったのでは?」と本気で心配することになる。
だが、甘い時間はそこまでだ。 財務大臣グレイの逃亡先と、偽造金貨の流通ルート。 その全ての点と線が、ついに繋がる時が来たのだから。
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