第35話「財務大臣の裏切り、黒幕の正体」
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「……遅かったか」
王都の一等地にある豪奢な屋敷。
財務大臣、マクシミリアン・バロン・グレイ伯爵の私邸。 その重厚な扉を、アレクセイ様の氷魔法が粉砕した直後のことだった。
屋敷の中は、不気味なほど静まり返っていた。
使用人の姿もなく、家具には白い布がかけられている。 まるで、ずっと前から空き家だったかのような寂寥感。 だが、暖炉にはまだ赤い熾火が残っており、ここでつい先ほどまで誰かが生活していた痕跡を生々しく伝えていた。
「逃げられたようですね」
私は暖炉の中に残っていた、燃えかけの紙片を火バサミで拾い上げた。
「……これ、裏帳簿の一部です。証拠隠滅を図ったのでしょうが、詰めが甘い」
紙片には、ガリソン商会への送金記録と、隣国ラ・メールの銀行口座番号が記されていた。
決定的だ。 先日、私と握手をした時に手が震えていたあの財務大臣こそが、国を蝕む寄生虫の親玉だったのだ。
「ルーカス! 港と街道を封鎖しろ! まだ遠くへは行っていないはずだ!」
「ハッ! 直ちに手配します!」
アレクセイ様の怒号が響く中、私は部屋に残されたデスクへと近づいた。 高価なマホガニーの机。その上に、一冊の革装丁の手帳が置き去りにされていた。 日記帳だ。 逃げる間際に忘れたのか、
それとも──わざと残していったのか。
私はそれを開き、パラパラとめくった。
そこには、彼の歪んだ野心と、アレクセイ様への劣等感が書き殴られていた。
『氷の宰相め。若造が偉そうに』
『私の計画は完璧だ。この国の通貨価値をゼロにし、隣国通貨を導入すれば、私は新政府のトップに立てる』
そして、最後の日付のページで、私の指が止まった。 そこには、乱れた筆跡で、私に対する「明確な恐怖」が綴られていた。
『……誤算だ。あの女だ。リアナ・フォレストとかいう、宰相の腰巾着だと思っていた女』
『あいつは化け物だ。私が十年かけて構築し、財務省の精鋭ですら気づかなかった複雑な隠蔽工作を、あいつはたった数日で……いや、ほんの一瞥で見抜いた』
『魔法ではない。ただの「計算」で、私の喉元に刃を突きつけてきた。アインスワースの魔力よりも、あの女の眼鏡の奥の瞳の方が、よほど恐ろしい』
『もはや猶予はない。あの「計算機」が弾き出した答えが、私の破滅を確定させる前に──盤面ごとひっくり返すしかない』
「……閣下」
私は日記帳を閉じた。 背筋に冷たいものが走る。 彼は私をただの「愛人」としてではなく、「排除すべき最大の障壁」として認識していたのだ。
「どうした、リアナ」
「これを。大臣からの、私への『評価表』のようです」
私が日記を渡すと、アレクセイ様は目を通し、
その場で手帳を凍りつかせた。
パキパキという音と共に、革表紙が粉々になる。
「……私の魔力よりも、君の計算を恐れたか」
彼は低く唸り、私を見た。
その瞳には、かつてないほどの激しい動揺と、
それを押し殺そうとする理性の光がせめぎ合っていた。
「否定はしない。……奴の言う通りだ。君の能力は、悪党にとっては死神の鎌に見えるだろうな」
「買い被りすぎです。私はただ、数字の整合性を合わせただけですから」
私が努めて明るく言うと、彼は苦しげに笑い、
私の頬に触れようとした。
その時だった。
屋敷のどこかから、機械的な声が増幅されて響き渡った。
『──親愛なる宰相閣下、そして恐るべき計算機のお嬢さん』
魔法による音声再生装置だ。
声の主は、間違いなくグレイ伯爵。
「ようこそ、我が家へ。もぬけの殻で失望したかね?」
「グレイ……! どこにいる!」
アレクセイ様が虚空に向かって叫ぶ。
スピーカーの声は、焦りと狂気を含んで続いた。
『私はもう安全圏にいる。……正直、君たちとまともにやり合うのは分が悪いと悟ったよ。特にそこのお嬢さん、君には参った』
「……」
『だから、私は「ルール」を変えることにした。君たちが必死に守ろうとしていた「国の信用」。
それを今、ドブに捨ててやった』
ザザッ、とノイズが走り、声のトーンが変わる。
『指令コード「バベル」。……王都に潜伏させている全部隊へ告ぐ。貯蔵している「予備金貨」を、今すぐ市場に全放出しろ。無料でばら撒いても構わん。民衆に思い知らせてやれ。この国の金貨には、石ころほどの価値もないとな!』
「なっ……!?」
私は窓に駆け寄った。
ここからは王都のメインストリートが見下ろせる。 平和だったはずの大通り。だが、そこで異変が起きていた。
何台もの荷馬車が現れ、荷台からキラキラ光るものを路上にぶちまけている。 金貨だ。 何万、何十万枚もの金貨の雨。 人々が歓声を上げて群がり、拾い上げる。 だが次の瞬間、誰かが叫んだ。
「おい! この金貨、偽物だぞ! 軽い!」
「こっちもだ! 全部ニセモノだ!」
「俺たちが持ってる金貨も、まさか全部!?」
歓声が悲鳴に変わる。 疑心暗鬼が伝染する。 商店主が店を閉め、客を追い出し始める。銀行に人々が殺到し、取り付け騒ぎが起こる。
「……パンクした」
私は窓枠を握りしめた。 私のシミュレーション通りだ。いや、それ以上に早い。 大量の偽造金貨を一気にばら撒くことで、人々は「手持ちの金貨が本物か偽物か」を判別できなくなり、パニックを起こしたのだ。 通貨への信認が、今この瞬間、死んだ。
「……腐りきっている」
アレクセイ様の声が震えていた。 自分の保身と、私への恐怖心から逃れるために、自国の経済を焦土にする。 それが一国の財務大臣のやることか。
「ルーカス! 直ちに暴動を鎮圧しろ! 衛兵を総動員して、偽造金貨を回収させるんだ!」
「む、無理です閣下! 数が多すぎます! 市民がパニック状態で、手がつけられません!」
ルーカス様からの通信が入る。 王都は既に、阿鼻叫喚の坩堝と化していた。
「……私が、行きます」
「は?」
「私が市場へ行きます。市民を落ち着かせないと、経済は完全に死にます」
私はアレクセイ様に向き直り、きっぱりと言った。
「リアナ、馬鹿なことを言うな! 奴は君を『脅威』と認識しているんだぞ!? 確実に狙われる!」
「知っています。でも、このパニックを鎮められるのは、数字の真実を知っている私だけです」
私は自分の胸を叩いた。
「敵が私を恐れたのは、私が『計算できる』からです。ならば、その計算能力を使って、彼が壊した信頼を再構築してみせます。……経理係の意地です」
「……殺されるぞ」
「守ってください。貴方が」
私は一歩、彼に近づき、その冷たい手を両手で包み込んだ。
「貴方は『氷の宰相』でしょう? 私の弱点なんかじゃありません。……私の最強の盾です」
アレクセイ様は息を呑み、私を見つめた。
やがて、彼は強く、骨が軋むほど強く私の手を握り返した。
「……分かった。行こう」
彼の瞳に、迷いの色はもうなかった。
あるのは、敵を殲滅し、愛する者を守り抜くという、凄絶なまでの覚悟だけ。
「私の命に代えても、君に指一本触れさせない。
さあ、我々の戦争を始めよう」
私たちは屋敷を飛び出し、混乱の極みにある王都の市場へと向かった。そこには、金貨の雨に濡れた絶望と、私を狙う暗殺者たちの刃が待ち受けているはずだ。 それでも、私の足は止まらなかった。 隣に彼がいる限り、私の計算に「敗北」という文字はないのだから。
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