第31話「悪貨は良貨を駆逐する、しかし私の計算は駆逐されない」
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王宮の最深部にある「王の間」。 普段は戴冠式などの儀式にしか使われないその重厚な扉が、今夜は堅く閉ざされていた。 円卓を囲むのは、国王陛下をはじめ、財務、法務、軍務の各大臣たち。
そして、その末席に──場違いなほど地味な服を着た、リアナが立っていた。
「……以上が、本日正午に市場で発見された金貨の分析結果です」
私は震える手で眼鏡を押し上げ、一枚の金貨を円卓の中央に置いた。 アレクセイ様が用意してくれた黒いベルベットの布の上で、その金貨は皮肉なほど美しく輝いている。
「規定重量二〇・〇グラムに対し、実測値一九・五グラム。中心部に鉛合金が混入されています。
これらは極めて高度な技術で鋳造されており、素人が見抜くことは不可能です」
私の報告に、財務大臣のマクシミリアン・バロン・グレイ伯爵が不快そうに鼻を鳴らした。
「宰相閣下。このような小娘の妄言を聞くために、我々を緊急招集したのですか? たかが金貨一枚の不良品でしょう。職人の手元が狂っただけではありませんか」
「手元が狂って、鉛が混入するわけがないだろう」
アレクセイ様が私の隣に立ち、氷のような視線で大臣を一瞥した。
「続けろ、リアナ。この『一枚』が意味する未来を、彼らに教えてやれ」
「はい」
私は深呼吸をし、背後の黒板に向き直った。
チョークを握る。 脳内の電卓は、すでに最悪のシナリオ「破滅へのカウントダウン」を弾き出している。
「皆様。『悪貨は良貨を駆逐する』という法則をご存知でしょうか」
カッカッカッ! 私は黒板にグラフを描き始めた。
「もし、この『軽い金貨(悪貨)』が市場に大量に流れたら、人々はどう動くか。……答えはシンプルです。誰もが『重い金貨(良貨)』を手元に隠し、『軽い金貨』だけを使おうとします」
「それは……なぜだ?」
「損をしたくないからです。価値のある本物は貯め込み、価値の低い偽物を他人に押し付けようとする。これが人間の心理であり、経済の鉄則です」
私はグラフの線を、右肩下がりに急降下させた。
「その結果、市場からは『良貨』が消え、『悪貨』だけが溢れかえります。するとどうなるか。商人は金貨の価値を信用しなくなり、商品の値段を上げます」
「物価高騰……インフレーションか」
「はい。ですが、ただのインフレではありません」
私は赤いチョークに持ち替え、グラフの上に一本の線を垂直に引いた。
「信用崩壊による『ハイパーインフレ』です。私の計算では、この偽造金貨が市場の三割を超えた時点で、通貨への信用は地に落ちます。現在の流通速度から推測すると……その『Xデー』は、あと三ヶ月後です」
「さ、三ヶ月!?」
「はい。三ヶ月後には、パン一個の値段は現在の百倍、一万ベルになります。庶民は餓死し、暴動が起き、国は機能不全に陥ります。……これが、私の計算が導き出した『死のシナリオ』です」
シン……と、会議室が静まり返った。 大臣たちの顔色が青ざめていく。
パン一個が一万ベル。その数字のリアリティが、彼らの楽観を粉砕したのだ。
「……馬鹿な。たかが小娘の計算だろう」
「そうだ、大袈裟すぎる……」
否定の声が上がる中、パチ、パチ、パチ……と、乾いた拍手の音が響いた。
「素晴らしい」
アレクセイ様だった。 彼は腕を組み、満足げな笑みを浮かべて私を見つめていた。
「聞いたか、諸君。私の妻(予定)の計算は完璧だ。彼女の頭脳には、財務省の全官僚を束ねても勝てない」
「さ、宰相! 不謹慎だぞ!」
「不謹慎? 現実を直視しない貴様らの無能さの方がよほど罪深い」
アレクセイ様は立ち上がり、国王陛下に向かって恭しく一礼した。
「陛下。彼女の計算は外れません。このまま手をこまねいていれば、三ヶ月後にこの国は終わります」
「……うむ」
長い沈黙の後、国王陛下が重々しく口を開いた。
「アインスワース宰相。……そなたに全権を委任する。造幣局の封鎖、および関連貴族の調査を含め、あらゆる手段を使ってこの『悪貨』を駆逐せよ」
「御意」
アレクセイ様は深く頭を下げ、そしてチラリと私を見た。 その目は「よくやった」と語っていた。
私は膝が震えるのを必死に堪え、小さく頷き返した。
「……素晴らしいプレゼンだったよ、リアナ嬢」
会議が終わり、退出する際。 声をかけてきたのは、先ほど私を小娘呼ばわりした財務大臣、グレイ伯爵だった。 彼は柔和な笑みを浮かべ、私に右手を差し出した。
「最初は疑ってすまなかった。まさか、これほど優秀な経理士がいらっしゃるとは。……ぜひ、今後ともご教示願いたい」
「恐縮です、グレイ閣下」
私は礼儀正しく頭を下げ、差し出されたその手を握った。 ひやりとした、湿った手。 そして──。
(……震えてる?)
私の「不正感知」スキルが反応した。 彼の笑顔は完璧だ。声も落ち着いている。
だが、私と握手をしたその指先が、感知できないほど微かに、小刻みに震えている。 それは、恐怖による震えか。 それとも、自分の喉元に刃を突きつけてきた敵に対する、抑えきれない殺意か。
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします。財務省の帳簿も、近々拝見させていただきますね?」
私が試しにそう鎌をかけると、グレイ伯爵の笑顔が一瞬だけ強張り、握る力が強くなった。
「ああ、いつでも歓迎するよ。……何も隠すものなどないからね」
彼はすぐに手を離し、足早に去っていった。
その背中を見送りながら、私は自分の手をハンカチで拭った。 洗っても落ちないような、べっとりとした「嘘の感触」が残っていた。
「リアナ」
アレクセイ様が私の肩を抱いた。
「……気づいたか?」
「はい。確信しました」
私は眼鏡の位置を直し、去りゆく大臣の背中を睨みつけた。
「彼が『黒』です。震えていましたよ。……計算通りにいかなくなったことに、焦りを感じている証拠です」
「やはりな。財務省のトップが腐っていれば、造幣局など意のままだ」
アレクセイ様は冷酷に目を細めた。
「ターゲットは定まった。……狩りの時間だ」
王宮の長い廊下に、二人の足音が響く。
悪貨は良貨を駆逐するかもしれない。
だが、私の計算と、彼の氷魔法からは、何人たりとも逃げられない。 三ヶ月後の破滅を回避するための、カウントダウンが始まった。
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