第26話「カーテン裏のテナント料、請求させていただきます」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「……閣下。この請求書は、何かの冗談ですか?」
午後の執務時間。 私がデスクで伝票整理をしていると、アレクセイ様が無言で一枚の羊皮紙を滑らせてきた。 そこに書かれていた項目を見て、私は眼鏡がズレ落ちそうになった。
『宰相執務室・特別区画『カーテン裏』テナント使用料:月額三十万ベル』
「冗談ではない。正当な不動産請求だ」
アレクセイ様は羽ペンを回しながら、涼しい顔で答えた。
「君は休憩時間のたびに、あのカーテンの裏で昼寝をしたり、隠しておいた激安菓子を齧ったりしているな? あそこは私の執務室の一部だ。タダで占有できると思ったら大間違いだぞ」
「占有って……あそこはただの窓際です! 幅一メートルもないデッドスペースじゃないですか!」
私は立ち上がり、窓際の重厚なベルベットカーテンを指差した。 以前、彼が作った「秘密の聖域」。 確かに私はあの場所が気に入っている。静かで、日当たりが良くて、何より彼の匂いが染み付いていて落ち着くからだ。でも、家賃が発生するとなれば話は別だ。
「月三十万ベルなんて、王都の目抜き通りの路面店並みです! 不当な価格設定です!」
「立地を考えろ。王宮の最上階、宰相執務室内だぞ? セキュリティ万全、眺望良好、さらには…」
アレクセイ様はニヤリと笑った。
「『国一番の美男子』の寝顔が見放題だ。付加価値を考えれば、破格の安さだろう?」
「その付加価値、私にとっては需要がありません! 却下です!」
私が請求書を突き返すと、彼はあからさまに不満そうな顔をした。 最近の彼は、どうにかして私の借金を減らさないよう契約を延ばすために必死だ。 その手口が日に日に子供じみてきている気がする。
「……払えないと言うなら、あの場所は立ち入り禁止にするしかないな」
「っ……」
それは困る。 激務の合間、あのカーテンの裏で彼と二人きりになり、他愛のない話をする時間は、私にとっても……その、重要な福利厚生なのだ。 あそこを封鎖されたら、私の精神的疲労は三割増しになる。
私が黙り込むと、アレクセイ様は「仕方ないな」という顔で、新たな提案をしてきた。
「金がないなら、『現物支給』でも構わんぞ」
「現物……? 臓器提供ならお断りですよ」
「違う。労働力の提供だ」
彼は自分の肩をトントンと叩いた。
「最近、書類仕事が続いて肩が凝っている。……君のマッサージで支払え」
「マッサージ、ですか?」
「ああ。一日一回、十五分。私の満足いく施術ができれば、その日のテナント料は免除してやる」
私は脳内電卓を弾いた。 月額三十万ベルを三十日で割ると、一日一万ベル。 マッサージ十五分で一万ベルの価値……時給換算で四万ベル! 王都の高級マッサージ師でも、ここまでの高単価は取れない。
「……計算しました。悪くない取引です」
「だろう?」
「分かりました。私のゴッドハンドで、その凝り固まった筋肉を資産価値のある状態に戻して差し上げましょう」
私は腕まくりをして、彼の背後に回った。
「では閣下、力を抜いてください」
「頼むぞ。……手加減は無用だ」
アレクセイ様が椅子に深く座り直し、目を閉じる。 私は彼の方に手を置いた。 スーツの上からでも分かる、岩のように硬直した筋肉。(……硬い) これだけの凝りを抱えながら、彼は涼しい顔で国を動かしていたのか。「嫌がらせ」や「引き止め工作」だと思っていたけれど、彼が疲れているのは事実だったのだ。
「……失礼します」
私は親指に力を込め、彼の僧帽筋をグッ、と押した。
「……っぅ」
アレクセイ様の喉から、くぐもった声が漏れる。
「どうですか? 強すぎますか?」
「いや……ちょうど、いい……。そこだ……」
「右側が特に凝っていますね。ペンの持ちすぎです」
私はリズムよく指を動かしていく。 最初は仕事のつもりだった。 でも、私の指の動きに合わせて、彼の呼吸が深く、ゆっくりになっていくのを感じると、自然と力加減が優しくなった。
「……リアナ」
「はい」
「君の手は、温かいな」
アレクセイ様が、夢見心地のような声で呟いた。
「魔法で疲れを取ることもできる。だが、それだとただ感覚が麻痺するだけで、癒やされないんだ」
「……」
「君の手は……魔法よりも効く。芯から解れていくようだ」
彼は頭を後ろに預け、私のお腹あたりに後頭部を乗せた。 無防備な姿。 逆さまに見える彼の顔は、いつもの意地悪な覇気はなく、ただ甘えたがりの子供のようだった。
「……お世辞を言っても、延長料金はいただきませんよ」
「本心だ。……ずっと、こうして君に触れられていたい」
彼の手が伸びてきて、私の手首をそっと握った。 マッサージを止めるわけでもなく、ただ触れているだけの優しい拘束。 その掌から伝わる体温が、私の中にある「損得勘定」を溶かしていく。
(……変な人。国一番の権力者が、こんな肩もみ一つで満足するなんて)
私は溜息をつきつつ、握られた手はそのままに、片手で彼の首筋を揉みほぐし続けた。 十五分なんて、とっくに過ぎている。 これはサービス残業だ。 でも、彼の安らいだ顔を見ていると、請求書を作る気にはなれなかった。
「……完了です、閣下」
「もう終わりか? 体感時間は三秒だったぞ」
「三十分経っています。追加料金、マカロン二個分で手を打ちます」
「安いな。箱ごとやろう」
アレクセイ様は名残惜しそうに身を起こし、肩を回した。
「軽くなった。……これでまた、君を私の側に縛り付ける策を練ることができる」
「不純な動機で元気にならないでください」
私たちがいつもの軽口を叩き合っていると、執務室のドアが控えめにノックされた。
「失礼します。リアナ様に、お手紙が届いております」
「私に? 誰から?」
衛兵が差し出したのは、見覚えのある歪な文字で宛名が書かれた封筒だった。 差出人は──
『レオ・フォレスト』。
「弟からだわ」
私は慌てて封を開けた。 公邸に引っ越してから、弟たちとは毎日顔を合わせているはずだ。 わざわざ手紙を送ってくるなんて、何か言いにくいことでもあったのだろうか? もしかして、公邸での生活が窮屈で、家に帰りたいとか……。
不安な気持ちで便箋を開くと、そこには弟の元気な文字で、衝撃の事実が綴られていた。
『お姉ちゃんへ。 きょう、アレクセイお兄ちゃんが、ボクたちのために新しい家庭教師の先生を呼んでくれたよ! それから、お屋敷の屋根も直してくれるって! お兄ちゃん、ボクたちに「お姉ちゃんには内緒だぞ」って言ってたけど、嬉しかったから書いちゃった。 アレクセイお兄ちゃん、大好き!』
「…………」
私は手紙を持ったまま固まった。 屋根の修理? 家庭教師? そんな話、聞いていない。 しかも「お兄ちゃん」? いつの間にそんなに懐柔されているの?
ゆっくりと、視線を上げる。 そこには、急に視線を逸らし、口笛を吹き始めた宰相閣下の姿があった。
「……閣下?」
「ん、なんだ。仕事に戻るぞ」
「弟から、随分と景気の良い報告が届いたのですが」
私は手紙をヒラヒラと振った。
「『アレクセイお兄ちゃん』とは、どこの誰のことでしょう? 私の記憶にある閣下は、家賃を請求するケチな大家さんなのですが」
「……将来の義弟への先行投資だ。教育水準を上げておけば、将来の納税額が増えるだろう?」
「屋根の修理は?」
「資産価値の維持だ。雨漏りする家では、担保価値が下がる」
苦しい言い訳だ。 顔が赤い。耳まで赤い。 彼は私がいないところで、こっそりと私の家族を助け、
しかもそれを恩着せがましく言うことなく、「内緒」にしていたのだ。
(……本当に、計算ができない人)
私の借金を増やそうとしたり、裏でこっそり助けてくれたり。 彼の行動は矛盾だらけだ。 でも、その矛盾の全てが「私」を中心に回っていることを知ってしまい、胸が熱くなるのを止められなかった。
「……ありがとうございます。でも、この修理費も借金に追加ですか?」
「いや。これは……私のポケットマネーだ。君には関係ない」
「そうですか。では、ありがたく頂戴します」
私は手紙を丁寧に畳み、ポケットにしまった。
そして、小さく付け加えた。
「……レオが『大好き』と言っています。私も、同感です」
「え?」
「レオの意見に、です! 深読みしないでください!」
私は真っ赤になって背を向け、自分のデスクに戻った。 背後で、アレクセイ様が「……勝った」と小さくガッツポーズをする気配がした。
外堀は完全に埋められた。 そして、私の内側の「心の壁」も、彼の不器用な愛によって、音を立てて崩されつつあった。
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