第24話「その傷の手当は、高くつきますよ?」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「……閣下。もう歩けます。降ろしてください」
宰相公邸の玄関ホール。 私はアレクセイ様の腕の中で抗議したが、彼は聞こえないふりをして大理石の階段を上っていった。 廃倉庫から馬車に乗り、ここに着くまで、私の足は一度も地面に着いていない。 完全なる「荷物」扱いだ。
「黙っていろ。君は負傷者だ」
「擦り傷です。赤チンを塗っておけば三日で治ります」
「顔に傷が残ったらどうする。君の資産価値に関わる問題だ」
もっともらしい理屈を並べているが、彼が私を離したくないだけなのは明白だった。 彼の腕は微かに震えていて、私を抱える力が強すぎる。
まるで、少しでも緩めたら私が煙になって消えてしまうとでも思っているようだ。
アレクセイ様は私をゲストルームのベッドへではなく、なぜか彼の私室のキングサイズベッドへと丁寧に下ろした。 ふかふかの布団に沈み込む。
「待っていろ。すぐに薬を持ってくる」
彼は部屋の奥にある金庫を開け、恭しく小瓶を取り出してきた。 クリスタルガラスに入った、黄金色に輝く液体。 蓋を開けた瞬間、濃厚な魔力と花の香りが部屋中に広がった。
「……あの、閣下? それは?」
「最高級の治癒ポーション(秘薬)だ。エルフの里から取り寄せた年代物でな」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私は慌てて手で制止した。 私の「鑑定眼」が、
その液体の市場価格を弾き出していたからだ。
「それ、『聖女の涙』ランクのポーションですよね!? 市場価格で一本五百万ベルは下らないはずです!」
「ああ、そうだな」
「頬のかすり傷ですよ!? 絆創膏(一枚一ベル)で済む傷に、五百万ベルを使うんですか!? コスパが悪すぎます! その瓶を売って現金でください!」
私が叫ぶと、アレクセイ様は真顔で首を横に振った。
「金で君の傷が消えるなら安いものだ。じっとしていろ」
彼は私の抵抗を無視し、小瓶の液体を指先に取った。 そして、私の頬の傷口に、そっと塗り込む。 冷たい液体が触れた瞬間、じんわりとした温かさが広がり、痛みは嘘のように消え去った。
「……すごい」
「鏡を見てみろ。跡形もないはずだ」
手渡された手鏡を見ると、そこには傷どころか、
肌荒れまで治ってツヤツヤになった頬が映っていた。 さすが五百万ベル。効果は劇的だが、私の心臓と貧乏性には悪い。
「……ありがとうございます。でも、本当に勿体ないことを……」
「まだだ」
アレクセイ様は小瓶をサイドテーブルに置くと、
ベッドに腰掛け、私を抱き寄せた。 逃がさない、という強い意志を感じる腕。 彼は私の肩に顔を埋め、深く、長く息を吸い込んだ。
「……閣下?」
「……生きてる」
耳元で、震える声がした。
「心臓の音も、体温も、匂いも……ある。君がここにいる」
「いますよ。幽霊じゃありません」
「ああ……よかった……」
アレクセイ様の腕に力がこもる。 痛いほどに強く、重い抱擁。 普段なら「苦しいです」「暑苦しいです」と文句を言うところだ。 でも、今の私は、その重さを振りほどく気にはなれなかった。
廃倉庫でナイフを突きつけられた瞬間。 私が最後に思ったのは、「死ぬのが怖い」ではなく、「彼にもう会えないのが嫌だ」という感情だった。
それが答えだ。
(……計算外ね。愛の重さは、負担になると思っていたのに)
私は躊躇いながらも、自分の手を彼の背中に回した。 ゆっくりと、あやすように撫でる。 すると、アレクセイ様はさらに深く私に縋り付いてきた。
「……もう二度と、あんな危険な真似はさせない」
「でも、証拠を掴むにはあれしか……」
「方法などいくらでもあった! 私が国ごとひっくり返して探せばよかったんだ! ……君を囮にするくらいなら、証拠など一生見つからなくてよかった!」
子供のような言い分だ。 宰相としては失格だろう。 でも、一人の男としては満点かもしれない。
「……分かりました。次はもっと安全な、リスクの低い方法を計算します」
「次はない」
「はいはい」
私は彼の銀髪に指を通しながら、苦笑した。
心地いい。 彼の重すぎる愛も、独占欲も。「損得」を超えたこの温もりが、今の私には必要だった。
しばらくそうして、互いの存在を確かめ合っていた時だった。 ふと、アレクセイ様が顔を上げ、少し落ち着きを取り戻した表情で言った。
「……そういえば、リアナ。今回の功績についてだ」
「はい? ボーナスですか?」
「ああ。偽造金貨工場の発見、および実行犯グループの壊滅。これは国家一級の功績に値する。国王陛下からも、特別な報奨金が出ることが内定した」
報奨金。 その甘美な響きに、私は背筋を伸ばした。
「いくらですか? 具体的な数字でお願いします」
「犯人グループの懸賞金と、押収された金塊の一部……合わせて、およそ三千万ベルにはなるだろう」
「さ、三千万……ッ!?」
私の目がベルマークになった。 三千万ベル! 現在の私の借金残高は、約四千八百万ベル。 これまでの給与からの返済分を合わせれば、残りは……
「……閣下! これで、借金の大部分が返せます!」
私は興奮してアレクセイ様の手を握った。
「あと少しです! あと一年……いいえ、半年も働けば、五千万ベルを完済できます! やりました! 私の返済計画が、十年以上も前倒しになります!」
「…………」
あれ? アレクセイ様の反応がない。 見ると、彼の表情が凍りついていた。 喜びの色ではない。
まるで、自分の首を絞めるロープを見つけたような、絶望的な表情。
「か、閣下?」
「……完済?」
「はい! 借金がなくなれば、私は自由の身です! 弟たちと、もっと良い家に住んで、貯金もできて……」
私が未来の希望を語れば語るほど、アレクセイ様の顔色が青ざめていく。
「……そうか。借金を、完済すれば……」
彼がポツリと呟いた。
「契約は、終了するんだったな」
その声の冷たさに、私はハッとした。 そうだ。
私たちの関係は「雇用契約」。 その前提条件は「借金返済」だ。 借金があるから、彼は私を縛り付けていられる。 借金があるから、私は彼の側にいる理由がある。
もし、借金がなくなったら?
「……あ」
私も気づいてしまった。 完済の瞬間、私はこの「宰相補佐官付経理係」という職を失う。
そして、彼の「所有物」ではなくなる。
それはつまり──他人同士に戻るということだ。
部屋に、重苦しい沈黙が落ちた。さっきまでの甘い空気は霧散し、残酷な現実だけが横たわっている。
「……い、いえ、まだ残り一千八百万ベルありますし! 利息もありますから! すぐには終わりませんよ?」
私が慌ててフォローしようとすると、アレクセイ様は力なく笑った。 その笑顔は、泣いているように見えた。
「……そうだな。まだ、終わっていない」
彼は私を抱きしめる腕を緩めたが、離しはしなかった。 その手は、先ほどよりもずっと必死に、何かにしがみつくように私の服を掴んでいた。
「……終わらせない。絶対に」
聞こえるか聞こえないかの声で、彼が呟いたのを、私は聞き逃さなかった。 喜びのはずの「完済」が、私たちにとっては「別れのカウントダウン」の始まりだった。
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