第22話「廃倉庫の計算式、暴力に対する唯一の解」
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ガタッ、と大きな揺れがあり、馬車が停止した。 重い鉄扉が開く音がする。湿気たカビの匂いと、錆びた鉄の匂い。 そして何より──微かだが、聞き覚えのある機械油の匂い。
(……到着ね)
私は麻袋の中で、浅い呼吸を繰り返しながら状況を分析した。 移動時間は四十二分。馬車の速度と方向から推測するに、場所は王都北端の廃棄工業地帯。 かつて紡績工場が立ち並んでいたが、今は廃墟となっているエリアだ。
「おい、起きろ。到着だ」
乱暴に袋の口が開けられ、私は床に放り出された。 冷たいコンクリートの感触。
私は「怯えた令嬢」を演じながら、ゆっくりと身を起こした。
「こ、ここは……?」
見渡す限りの鉄骨と、積み上げられた木箱。 天井は高く、窓は板で打ち付けられている。 広大な廃倉庫だ。 そして、その奥──男たちが厳重に守っている一角に、それは鎮座していた。
巨大な金属プレス機。 その横には、鋳造されたばかりの金貨が山積みにされている。
(……ビンゴ)
私の脳内電卓が、ファンファーレを鳴らした。
動かぬ証拠だ。ここが偽造金貨の製造工場。
この光景をアレクセイ様に見せれば、黒幕まで一直線に辿り着ける。
「さて、お嬢ちゃん。約束のモノを出してもらおうか」
目の前に立ったのは、頬に大きな傷のある男だった。 先ほど私をさらった実行部隊のリーダーだろう。 彼の背後には、棍棒やナイフを持った手下が四人。 全員、目つきが据わっている。
「……何の、ことですか?」
「とぼけるな。アインスワースの執務室から持ち出した『裏帳簿』だ。それさえ渡せば、命だけは助けてやる」
嘘だ。 男の瞳孔が開いている。心拍数も上がっているだろう。 彼らは証拠を手に入れた後、私をここで始末する気だ。口封じと、死体遺棄にはうってつけの場所だからだ。
私は震える手で鞄を抱きしめ、後ずさった。
「……渡しません。これは、国の財産です」
「あぁ? 国の財産だァ?」
「そうです。この帳簿には、貴方たちが盗んだ二十億ベルの行方が記されています。それを回収するのが、経理係である私の義務です」
私が毅然と言い放つと、男たちは顔を見合わせ、下卑た笑い声を上げた。
「ギャハハ! 傑作だ! こんな状況で経理だとよ!」
「おいおい、状況が分かってねえのか? ここにはテメェ一人、俺たちは五人だ。それに、ここは叫んでも誰も来ねえ」
リーダーがジャキッ、とナイフを取り出した。
刃渡り二十センチ。切れ味の悪そうな、錆びた刃。 それが逆に、殺傷能力よりも苦痛を与えることに特化しているようで恐ろしい。
「……痛いのは嫌だろ? 大人しく鞄をよこせ」
男が一歩近づく。 私はさらに後ずさる。 背中が、積み上げられた木箱の山にぶつかった。 高さ三メートルはある巨大な資材の山だ。中身は金属片か、あるいは金貨の原料か。
(……質量、推定三百キログラム)
私は恐怖に震えるふりをしながら、視線を巡らせた。 木箱の積み方。重心の位置。床の傾斜。 そして、一番下の木箱を支えている、古びた留め具。
「……計算開始」
小さく呟く。 彼らは私を「無力な女」だと思っている。 私が武器を持っていないと思っている。 だが、この世の全ては物理法則に支配されている。 重力、摩擦、質量。 それらを計算式に当てはめれば──世界そのものが私の武器になる。
「い、いやっ……来ないで!」
「逃げ場はねえぞ!」
男たちが私を取り囲むように散開した。 その配置。完璧だ。 私が狙うべき「特異点」の延長線上に、彼らは立っている。
私は鞄から、護身用の「そろばん」を取り出した。
「なんだそれ? おもちゃか?」
「いいえ、計算機です。……物理演算用のね!」
私は叫ぶと同時に、そろばんを全力で投げつけた。 狙うは男たちではない。 私の背後、積み上げられた木箱の山──その一番下にある、錆びついた留め具だ。
カァァァンッ!!
そろばんの角が、計算通りの角度と速度で留め具に命中した。 金属音が響き渡り、留め具が弾け飛ぶ。 支えを失ったバランスが、崩壊する。
「なっ……!?」
ズズズ……ガラガラガラッ!!
「うわあぁぁぁ!?」
頭上から、三百キロの木箱の雪崩が襲いかかった。 男たちは悲鳴を上げ、散り散りに逃げようとするが、遅い。 計算された崩落角度は、彼らの退路を塞ぐように設計されている。 二人の男が木箱の下敷きになり、残りの二人も崩れた資材に足をさらわれて転倒した。
「物理演算、完了!」
もうもうと立ち込める埃の中で、私は眼鏡を押し上げた。 やった。 これで時間を稼げる。 あとは、
アレクセイ様が来るまで逃げ回れば──。
「……テメェ、やってくれたなァ……!」
低い唸り声が、背後から聞こえた。
「えっ……?」
振り返ると、そこにはリーダーの男が立っていた。 額から血を流しているが、木箱の直撃を紙一重で回避していたのだ。 その目は、もはや人間のものではなかった。 獲物を殺すことしか考えていない、狂獣の目。
「ただじゃ殺さねえ……! 指を一本ずつ切り落として、泣き叫ばせてやる!」
男が吠え、私に向かって突進してきた。 速い。
さっきまでの油断した動きとは違う。本気の殺意。
(……計算外!)
私の脳内電卓がエラーを吐き出す。 逃げ場はない。木箱を崩したせいで、私の背後も塞がれている。 そろばんは投げてしまった。手元には何もない。
「死ねェッ!!」
男が私の目の前に迫り、錆びたナイフを振り上げた。 スローモーションのように見える刃。 私は反射的に身を竦め、耳元の「氷のイヤリング」に手をやった。
(間に合う……?)
指でイヤリングを摘む。 力を込める。 パリン、と砕ける感触。 信号は送られた。
アレクセイ様は「一秒」と言った。 でも、振り下ろされるナイフの速度は、一秒よりも速い。
死ぬ。 借金を返す前に。 弟と妹を残して。 アレクセイ様に、まだ「好き」とも伝えていないのに。
(嫌だ……コストに見合わない……!)
ナイフが私の首筋に迫る。 死の冷たさを感じた──その瞬間。
キィィィィィィィンッ……!!
耳をつんざくような高周波音と共に、世界の色が反転した。 廃倉庫の淀んだ空気が、一瞬にして凍結する。
「……え?」
私の目の前、数センチの距離で。 振り下ろされるはずだったナイフが、空中で静止していた。
いや、違う。 男の腕ごと、分厚い氷の塊の中に封じ込められていたのだ。
「あ……が……?」
男が間抜けな声を漏らす。 自分の腕がどうなったのか理解できていないようだ。 腕だけではない。 男の足元から、床、壁、そして崩れ落ちた木箱の山まで。 視界に入る全てのものが、青白い氷に覆われていく。
気温、推定マイナス五十度。 吐く息すら凍る極寒の世界。
「……私の計算では」
闇の奥から、絶対的な声が響いた。 廃倉庫の鉄扉が、まるで紙屑のようにひしゃげて吹き飛ぶ。
「貴様らが生き残る確率は、ゼロだ」
砂煙と吹雪の向こうから、漆黒のコートを纏った「魔王」が歩いてくる。 その瞳は、アメジストよりも深く、冷たく、そして激しい怒りに燃えていた。
「アレクセイ、様……」
私が呼ぶと、彼は一瞬だけ安堵の表情を見せ、
すぐに男へと視線を戻した。
「よくも……私の大切な『計算機』に傷をつけようとしたな」
アレクセイ様が指を弾く。 男の腕を覆っていた氷が、さらに硬度を増し、ミシミシと音を立てて締め上げ始めた。
「代償は高くつくぞ。……貴様の命すべてで払っても、まだ足りないくらいにな」
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