第20話「黒い帳簿と、闇に消えた「3ベル」の謎」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「……暇です」
宰相公邸での軟禁生活という名の療養から三日目。 私の熱は完全に下がり、体力も回復していた。 最高級の羽毛布団の上で、私は天井を見上げて呟いた。
「これ以上の安静は、時間の浪費です。私の有能な脳細胞が、刺激不足で死滅しそうです」
「贅沢な悩みだな。一般人はそれを『優雅な休日』と呼ぶんだぞ」
ベッドの脇のソファで、紅茶を飲んでいたアレクセイ様が呆れたように言った。
彼は今日も公務をここに持ち込み、私の監視を続けている。
「優雅すぎて肌が荒れそうです。……閣下、せめて何か読むものをください。数字が羅列されているものがいいです」
「小説とか詩集ではなく?」
「はい。愛だの恋だのという抽象的な概念よりも、確定した数字の方が精神が安定します」
私が訴えると、アレクセイ様は「変わった女だ」と苦笑し、手元の鞄から分厚い革表紙の束を取り出した。
「ならば、これを見ろ。先日、造幣局から極秘裏に取り寄せた『過去十年の金貨鋳造記録(原簿)』だ。……例の裏帳簿との照らし合わせが必要だと思っていたところだ」
「! さすが閣下、私の好みを把握していらっしゃる!」
私は飛びつくようにそれを受け取った。
ずっしりと重い。埃とインクの匂い。
これだ。これこそが私の栄養源だ。
「ただし、無理はするなよ。目が疲れたら即終了だ」
「はいはい」
私は眼鏡をかけ直し、ページを開いた。 そこには、膨大な数字の海が広がっていた。 金の仕入れ量、鋳造枚数、溶解温度、歩留まり率……。 普通の人なら三分で眠くなるであろうその羅列を、私は貪るように読み解いていく。
一時間後。
静寂な部屋に、ページをめくる音だけが響いていた。
(……綺麗ね)
王立造幣局の仕事は完璧に見えた。 金の地金を仕入れ、それを溶かし、規定の重さの金貨を作る。 一万ベル金貨の規定重量は二十グラム。 仕入れた金の総量と、出来上がった金貨の枚数。計算はピッタリ合っている。 一分の隙もない、美しい帳簿だ。
──けれど。 私の指が、あるページでピタリと止まった。
「……あれ?」
「どうした」
「閣下。……七年前の六月。この月の記録だけ、妙に『綺麗すぎ』ませんか?」
私は顔を上げずに問いかけた。
「綺麗すぎる?」
「はい。鋳造には必ず『ロス』が出ます。金を溶かす過程で蒸発したり、器具に付着したりして、数グラムの目減りが生じるのが自然の摂理です。ですが……この月は、ロスが完全にゼロです」
「ふむ。技術が向上したのではないか?」
「いいえ。翌月にはまた通常のロスが発生しています。……まるで、計算を合わせるために、逆算して数字を埋めたような」
私は遡ってページをめくった。 六年前の八月。
五年前の十二月。四年前の二月。
不規則に見えるが、ある法則性を持って「ロスゼロ」の月が存在する。
そして、私は別の資料──『坩堝の耐用年数報告書』を引っ張り出し、並べてみた。
(……まさか)
脳内電卓が、恐ろしい仮説を弾き出す。 背筋に冷たいものが走る。 私は震える手で、ペンを取り、余白に計算式を書き殴った。
金貨一枚あたりの規定重量、二十グラム。 もし、ここからごく僅か……例えば、◯・◯六グラムだけ金を減らしたとしたら? 金一グラムはおよそ五十ベル。 ◯・◯六グラムなら、たったの「三ベル」だ。
「……三ベル」
「リアナ?」
「閣下。……この国は今、静かに殺されかけています」
私は顔を上げ、アレクセイ様を直視した。 彼は私の真剣な眼差しに、持っていたカップを置いた。
「どういうことだ」
「金貨の『中抜き』です。この数年間、特定の時期に鋳造された金貨だけ、規定よりわずかに軽く作られています。その差額、一枚あたり約三ベル」
「三ベル? ……たったそれだけか? パンの欠片も買えんぞ」
「はい。個人の財布なら誤差です。でも、もしそれが『百万枚』単位で行われていたら?」
アレクセイ様の目が鋭くなる。
「三ベルかける百万枚……三百万ベルか」
「いいえ、もっとです。この『ロスゼロ』の月に発行された金貨の総数を合計すると……被害総額は、少なくとも二十億ベルを超えます」
二十億ベル。 その数字が出た瞬間、部屋の温度が下がった気がした。
「それに、問題は金額ではありません。『信用』です」
「信用?」
「国の金貨は、その重さが価値を保証しています。もし『国の金貨は混ぜ物がしてある』『軽い』と噂が立てば、誰もベルを使わなくなります。物価は高騰し、経済は崩壊します。……これは、ただの横領ではありません。国家に対する反逆行為です」
私の言葉が終わると同時に、アレクセイ様が立ち上がった。 その顔からは一切の感情が消え、完全なる「氷の宰相」の顔になっていた。
「……造幣局か。あるいはそれを管轄する財務省の中枢か」
「おそらく、両方です。現場の職人だけでは不可能ですから」
「分かった。……リアナ、その資料を貸せ。今すぐ王宮へ戻る」
「私も行きます! 解説が必要です!」
「駄目だ。病み上がりの君を連れてはいけん」
「私の発見です! 私が最後まで見届けます! それに……」
私は彼を見つめ返した。
「私の計算が正しければ、敵はもう動き出しています。ここで私一人が残る方が危険です」
アレクセイ様は一瞬迷ったが、私の目を見て覚悟を決めたようだ。
「……いいだろう。ただし、私の半径一メートルから離れるな」
急遽仕立てられた馬車が、公邸を出て王宮への道を急ぐ。 車内には私とアレクセイ様、そして御者台にはルーカス様がいる。 重苦しい沈黙の中、馬の蹄の音だけが響いていた。
「……敵は、かなり深く根を張っているようだな」
アレクセイ様が窓の外を見ながら呟いた。
「ああ。二十億ベルもの裏金があれば、私兵団の一つや二つは雇えるだろう。……私の目が届かないところで、これほどの膿が溜まっていたとは」
「閣下のせいではありません。書類上は完璧に偽装されていましたから」
私が慰めようとした、その時だった。
「──閣下ッ!!」
御者台のルーカス様の叫び声。 同時に、馬車が激しく横転するような衝撃が走った。
ガシャァァァンッ!!
「キャッ!?」
「リアナ!」
視界が回転する。 ガラスが割れる音。木材が砕ける音。 身体が宙に浮いた瞬間、強い力で抱き寄せられた。 アレクセイ様の腕だ。 彼は私を抱え込み、自らの背中で衝撃を受け止めた。
ズザザザザ……ッ!
激しい摩擦音と共に、馬車が横倒しのまま滑っていく。 悲鳴を上げる馬の声。 やがて、馬車は大きな衝撃と共に停止した。
「……ッ、ぐぅ……」
「か、閣下!? アレクセイ様!?」
薄暗い箱の中で、私は彼の下敷きになっていた。 彼が私を庇ってくれたのだ。 彼の背中には、砕けた窓ガラスの破片が降り注いでいるかもしれない。
「……無事か、リアナ」
苦しげな、でもしっかりとした声。 彼は顔を上げ、私の無事を確認すると、安堵の息を吐いた。
「私は平気です。でも貴方が……!」
「かすり傷だ。……それより」
アレクセイ様の瞳が、冷たく光った。 彼は片手で横倒しになった天井ドアを吹き飛ばすと、私を抱えて外へと飛び出した。
そこは、王宮へと続く大通り。 私たちの馬車に突っ込んできたのは、積荷を満載した大型の荷馬車だった。 御者席には誰もいない。 暴走事故? いいえ、違う。
「……タイミングが良すぎるな」
アレクセイ様が冷たく言い放つ。 周囲には野次馬が集まり始めているが、その中に混じって、殺気立った視線を感じる。
「ルーカス! 周囲を警戒しろ!」
「ハッ! 既に散開しております!」
煤けた顔のルーカス様が剣を抜いて立ちはだかる。 アレクセイ様は私を背に隠し、周囲の空気を凍てつかせた。
「……『3ベル』の秘密に気づいた途端、これだ」
彼の手のひらに、鋭い氷の槍が生成される。
「どうやら、向こうから宣戦布告をしてきたようだな」
敵は、私たちが資料を見たことを知っている。
公邸の監視? 盗聴? 分からない。
でも、一つだけ確かなことがある。
「リアナ。……君の計算通りだ。奴らは本気で、君の口を封じに来ている」
私は震える手で、アレクセイ様のジャケットを掴んだ。 怖い。 でも、不思議と足はすくまなかった。 私の前には、最強の盾がいる。 そして私には、奴らの嘘を暴く最強の武器(計算)がある。
「……受けて立ちましょう、閣下」
私は眼鏡のズレを直し、前を向いた。
「私の命の値段は高いですよ? 暴走馬車一台程度じゃ、釣り合いませんから」
瓦礫の山となった大通りで、私たちは見えない敵に向けて、静かに戦闘態勢に入った。 金と嘘と、欲望にまみれた巨大な陰謀との戦いが、今ここで幕を開けたのだ。
読んでくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
感想や評価・ブックマーク、とても励みになります。




