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第2話「人身売買? いいえ、これは超ブラックな雇用契約です」

「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」



「お姉ちゃん!」


玄関に飛び込んだ私の目に映ったのは、部屋の隅で身を寄せ合い、ガタガタと震えている弟と妹の姿だった。 十歳のレオが、七歳のマリーを必死に庇うように抱きしめている。 床には割れた花瓶。父との思い出のアンティークチェアは、脚が折られて無惨な姿を晒していた。


「……何の真似ですか」


私は震える足を叱咤し、男たちの前に立ちふさがった。 男の一人──熊のように大柄で、見るからに質の悪い借金取りが、ニタニタと笑いながら近づいてくる。


「よう、やっとお戻りか。待ってたぜ、貧乏お嬢様」


「不法侵入と器物破損です。衛兵を呼びますよ」


「ハッ! 呼べよ。だがな、衛兵が来る頃には、このガキどもは『行方不明』になってるだろうがな」


男がレオたちの方へ一歩踏み出す。

私は反射的にその前に割り込んだ。


「子供には手を出さないで! 父が亡くなってまだ二年です。返済計画なら、先月提出したはずでしょう!」


「あんなふざけた計画書で納得できるかよ! 親父が死んで借金がチャラになるとでも思ったか?

連帯保証人の責任は、遺族が引き継ぐんだよ!」


男の手が私の胸ぐらを掴み上げた。 足が浮く。

首が締まり、呼吸が苦しい。


「いいか、俺たちは慈善事業じゃねえんだ。親がいないなら尚更、ガキだけで五千万ベルなんて返せるわけねえだろ?」


「かはっ……だ、から……働いて……」


「お前の皿洗いバイトでか? 笑わせるな。……金がねえなら、代わりのモンを差し出してもらわねえとなあ」


男の目が、卑猥に歪んだ。


「お前と、そこのガキ二人だ。海外の富豪なら、没落貴族の子供をペットにしたがる奴もいる。

三人合わせりゃ、まあ元金くらいにはなるだろうよ」


人身売買。 背筋が凍りついた。こいつらは本気だ。 数年前に母を病気で亡くし、二年前に父を過労と心労で亡くした。 私に残されたのは、この借金と、まだ幼い二人の弟妹だけ。 私が守らなきゃいけない。

私が親代わりにならなきゃいけないのに。


「やめ……離し……っ!」


「暴れるなよ。商品に傷がつくだろうが!」


男が拳を振り上げる。 私はギュッと目を閉じた。

殴られる。治療費がかかる。最悪、働けなくなる。 そうなれば、レオの学費も、マリーの明日のおやつも──。


(神様、お願いします。奇跡なんて安っぽいものは望みません。ただ、弟と妹だけは……!)


その時だった。


ピキッ、パキキッ……


何かが凍りつくような、硬質な音が響いた。

同時に、部屋の気温が急激に下がった。まるで真冬の吹雪が吹き込んだかのように。


「──騒々しいな」


絶対零度の声。

男の拳が、私の顔の寸前で止まっていた。

いや、止めたのではない。男の腕が、分厚い氷に覆われて固まっていたのだ。


「あ? な、なんだこれ……!?」


「私の新しい『計算機』を壊そうとするとは。

メンテナンス費用はお前が払うのか?」


壊れた扉の向こうに、その人は立っていた。

夕闇の中でも輝くような銀髪。冷徹なアメジストの瞳。 アレクセイ・フォン・アインスワース宰相閣下が、まるで汚物を見るような目で借金取りたちを見下ろしていた。


「な、なんだテメェは!?」


「名を名乗る手間賃すら惜しい。……おい、そこの計算機」


アレクセイ様が私を見た。

私は腰が抜けそうになりながらも、必死に頷く。


「は、はい……!」


「借金総額はいくらだ」


「ご、五千万ベルです……」


「親は?」


「……おりません。二年前に他界しました」


「……そうか」


アレクセイ様は一瞬だけ、部屋の隅で震える十歳と七歳の子供たちに視線を走らせた。 そして、小さく息を吐いた。


「二十歳の娘が一人で背負うには、少しばかり荷が重すぎるな」


彼は懐から小切手帳を取り出すと、万年筆を走らせた。 サラサラと流れるような筆跡。それを指先で弾くと、紙片はひらひらと舞い、男の足元に落ちた。


「拾え」


「はあ? なんだこの紙切れ……ご、五千万ッ!?」


小切手に書かれた数字を見て、男たちの目が飛び出した。 王家の紋章が入った、王立銀行の小切手。

偽造など不可能な代物だ。


「借金は私が肩代わりした。その小切手を持って、今すぐ視界から消えろ。それとも──」


アレクセイ様が軽く指を鳴らす。 瞬間、男たちの足元から床にかけて、鋭い氷の棘が一斉に生え出した。


「ヒッ……!?」


「二度とこの屋敷に近づくな。……その子らの髪一本でも触れてみろ。次は氷像にして砕くぞ」


「ひ、氷の宰相だァァァッ!!」


男たちは小切手をひったくり、氷の魔法に悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。 あとに残されたのは、静寂と、冷気と、呆然とする私たち姉弟だけ。


私は震える足で立ち上がり、アレクセイ様の前に跪いた。


「……あ、ありがとうございました。弟たちを、救っていただいて……」


「勘違いするな」


アレクセイ様は、革靴で瓦礫を踏み砕きながら部屋に入ってきた。 その優雅な動作は、荒れ果てた我が家にはあまりにも不釣り合いだった。


「私は投資をしただけだ。回収の見込みがない投資はしない主義でね」


「と、投資……?」


「五千万ベル。君は、私にそれだけの借金を背負ったことになる。理解しているか?」


心臓が早鐘を打つ。 借金取りからは逃れられた。

けれど、債権者が「街のチンピラ」から「国の最高権力者」に変わっただけだ。


「は、はい。必ずお返しします。ですが、私の今の収入では……」


「時給九百ベルか? レオ君とマリー君といったか……彼らを養いながら五千万返すのに、何年かかる?」


「……現実的な労働時間なら、五十年以上かかります。弟たちを大学に行かせることも、諦めなければなりません」


「非効率極まりないな」


アレクセイ様は呆れたように肩をすくめると、

懐から羊皮紙の束を取り出した。


「だから、より効率的な返済プランを用意した」


「え?」


「私と雇用契約を結べ。職種は『宰相補佐官付経理係』。給与は月額五十万ベル。これならどうだ?」


月額、五十万ベル。

私の脳内電卓が高速で弾き出された。

庶民の平均月収の二・五倍。ボーナスや手当を含めれば、年収八百万ベルは堅い。 五千万ベルの借金も、生活費を切り詰めれば七〜八年で完済できる!


(すごい……! 皿洗いの五百五十五倍の効率だわ!)


「やります! ぜひやらせてください!」


私は食い気味に返事をした。 アレクセイ様は、獲物がかかったのを見た肉食獣のように、口角を吊り上げた。


「よろしい。では、ここにサインを」


差し出された契約書。 私は迷わずペンを取った。

レオとマリーを守れるなら、悪魔との契約だって構わない。


『リアナ・フォレスト』


署名をした瞬間、アレクセイ様は満足げに羊皮紙を回収した。


「契約成立だ。……おい、そこの子供たち」


彼がレオとマリーに声をかけると、二人はビクッと体を震わせた。 アレクセイ様はしゃがみ込み、目線を合わせると、無愛想に、しかしはっきりと言った。


「姉の給料で、君たちの生活は保証される。腹一杯食って、学校へ行け。……それが姉の望みだ」


「……うん。ありがとう、お兄ちゃん」


マリーがおずおずと言うと、アレクセイ様は一瞬目を見開き、それから「フン」と鼻を鳴らして立ち上がった。


「明日から私の執務室へ来い。……ああ、それとな」


「はい?」


「その契約書の特記事項、第九十九条。読んでいなかったか?」


アレクセイ様が悪戯っぽく、しかし絶対的な響きを含んだ声で言う。


「『債務者リアナハ、完済スルマデノ間、債権者アレクセイノ許可ナク辞職・転職・逃亡ヲ禁ズ。マタ、債権者ガ求メル場合、公私ヲ問ワズコレニ同行スル義務ヲ負ウ』」


「……え?」


公私を問わず? 辞職禁止?


「つまり、君は借金を返し終わるまで、私の所有物ということだ。逃げられると思うなよ?」


アレクセイ様が私の耳元で囁く。

その声は甘く、しかし氷のように冷たく、私の退路を完全に断ち切った。


「え、あの、それって……もしかして奴隷契約に近いのでは……?」


「人聞きが悪いな。正当な『雇用契約』だ。……ただし、終身刑に近いがな」


彼は楽しそうに笑うと、呆然とする私を残して踵を返した。


パタン、と壊れかけた扉が閉まる。

私は契約書にサインした自分の手を呆然と見つめた。


借金はなくなった。高給取りにもなれた。

弟と妹の未来も守れた。 でも、私はとんでもないものに魂を売ってしまったのではないだろうか。


「……ま、まあいいわ。月五十万ベルよ。背に腹は代えられない」


自分に言い聞かせるように呟く。

けれど、私の「不正感知」スキルが、頭の片隅で警報を鳴らし続けていた。『この契約には、計算できないリスクが含まれています』と。


翌日。 私はその「リスク」の正体を、物理的な質量として目の当たりにすることになる。


宰相執務室のドアを開けた瞬間、私に襲いかかってきたのは──天井まで積み上げられた、書類の雪崩だったのだから。

読んでくださってありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

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