第14話「初デート? いいえ、これは市場価格の調査です」
「毎日 朝7:00前後(土日祝は朝10:00)と夜21:00前後の2回更新でお届けします! 完結までストック済みですので、安心して最後までお付き合いください!」
「……閣下。その格好はなんですか?」
休日の朝。待ち合わせ場所である王都の中央広場に現れたアレクセイ様を見て、私は開いた口が塞がらなかった。 「お忍び」だと言うから、地味な格好で来ると思っていたのに。
「見ての通りの平民スタイルだが?」
彼は自信満々に腕を広げた。 確かに、いつもの燕尾服ではない。ラフな白シャツに、ベージュのベスト、茶色のスラックス。 だが、素材が違う。シャツは最高級のシルク混紡、ベストは特注のカシミヤ、靴に至っては一点物の革靴だ。 さらに、変装用にかけた伊達眼鏡が、逆に彼の知的な色気を三割増しにしており、通り過ぎる女性たちが全員振り返っている。
「どこが平民ですか。オーラがダダ漏れです。『私は金持ちのボンボンで、今から誘拐される予定です』という看板を下げて歩いているようなものですよ」
「失敬な。これでも一番安い服を選んだんだぞ」
「その『一番安い』の基準が、私の生涯年収を超えていると言いたいんです」
私はため息をつき、手元のメモ帳を開いた。
「まあいいでしょう。本日の目的は『王都の物価および流通状況の視察』です。私がガイドしますので、勝手な行動は慎んでください」
「……リアナ。今日は『デート』だと伝えたはずだが」
「デートという名目での経費計上は認められません。よって業務(視察)として処理します」
私がきっぱり言うと、アレクセイ様は肩をすくめた。 だが、その表情はどこか楽しそうだ。
「分かったよ、調査官殿。では、私の手を取ってくれ。……迷子になるといけないからな」
「子供ですか」
文句を言いながらも、差し出された手を取る。
大きな手。温かい。 私の心臓が、業務外の不規則なリズムを刻んだが、それは「休日の人混みへの緊張感」ということにしておいた。
「さて、まずは昼食です。閣下、何が食べたいですか?」
「そうだな。評判の良いフレンチがあると聞いた。『ラ・ベル・エポック』という……」
「却下です。ランチで一人一万ベルもする店は、市場調査の対象外です」
私はアレクセイ様の手を引き、メインストリートから一本入った路地裏へと進んだ。 香ばしい油の匂いと、スパイスの香り、そして人々の喧騒が混じり合う、下町のグルメエリアだ。
「ここです。『大衆食堂・満腹亭』」
看板は油で汚れ、入り口の扉は建て付けが悪い。 中からは、ガヤガヤとした笑い声と食器の触れ合う音が響いている。
「……リアナ。本当にここで食べるのか? 衛生局の査察を入れたほうが良さそうな外観だが」
「失礼な。ここの煮込みシチューは絶品で、しかも三百ベルなんですよ。コストパフォーマンス最強です」
私は躊躇うアレクセイ様の背中を押し、店内に押し込んだ。 ムワッとした熱気。
私たちは狭いテーブル席に座った。椅子がギシギシと鳴る。
「いらっしゃい! 何にする!?」
元気の良い看板娘が、ドン!と水の入ったコップを置く。 アレクセイ様がビクッとした。
「『日替わり定食』を二つ。あと、店長呼んできてくれる? 仕入れの話がしたいって伝えて」
「あいよ! リアナちゃん、また値切りの講義かい?」
看板娘は笑って厨房へ消えた。 数分後、湯気を立てるシチューと黒パンが運ばれてきた。
「……さあ、どうぞ」
「……あ、ああ」
アレクセイ様は恐る恐るスプーンを手に取り、シチューを口に運んだ。
じっくり煮込まれた牛肉と根菜。見た目は茶色一色だが、味は確かだ。
「……!」
彼の目が丸くなった。
「……美味い」
「でしょう? 牛スネ肉の端材を使っていますが、赤ワインと香草で三日間煮込んでいるので、臭みがないんです。パンも昨日の売れ残りですが、シチューに浸せば絶品に早変わりです」
「信じられん。三百ベルでこの味が出せるのか?」
「それが企業努力というものです」
そこへ、店主の親父さんが顔を出した。
「ようリアナちゃん! 今日はどうだ、味は!」
「完璧よ、親父さん。でも、この人参……西の農場から仕入れたでしょ? 泥の付き具合と甘みが違うわ」
「へっ、よく分かったな! あそこの農場が規格外品を安く流してくれたんだよ」
「やっぱり! その分、原価率は二%くらい下がってるはずよね。なら、パンをあと一枚増やせるんじゃない?」
「ぐっ……痛いとこ突くねえ! でもまあ、その通りだ!」
私と店主は、原価計算と仕入れルートの話で盛り上がった。 数字の話をしている時、私は時間を忘れる。 どの店よりも安く、美味しく提供するための工夫。その情熱と計算式は、どんな宝石よりも美しい。
「……ふふっ、あはは! そうこなくちゃ!」
気づけば、私は腹を抱えて笑っていた。 店主とハイタッチをし、勝利を勝ち取った喜びを分かち合う。
ふと、視線を感じて横を向いた。
アレクセイ様が、頬杖をついて私を見ていた。
シチューは綺麗に完食されている。
「……なんですか、閣下。行儀が悪いですよ」
「いや。……君は、そんな風に笑うんだな」
彼のアメジストの瞳が、優しく細められていた。 夜会で見せる作り笑顔とも、執務室での冷徹な顔とも違う。 ただの青年のような、無防備で柔らかい表情。
「王宮ではいつも、難しい顔でそろばんを弾いているだろう。……ここでは、水を得た魚のようだ」
「それは……ここには『無駄』がないからです。皆、生きるために必死で、工夫して……それが心地いいんです」
「そうか。……いい笑顔だ」
アレクセイ様の手が伸びてきて、私の口元についたソースを親指で拭った。
「その笑顔が見られるなら、この店の空気が多少油臭くても我慢できるな」
「……っ」
不意打ちの色気に、心臓が跳ねる。 私が赤くなって俯くと、アレクセイ様は満足げに笑い、席を立った。
「会計だ。……釣りはいらん」
彼がテーブルに置いたのは、金貨一枚。 一万ベルだ。 三百ベルの定食二つに、一万ベル。
「ちょっ、閣下!? 何してるんですか!」
「チップだ。料理と、君の笑顔への対価だ」
「バカですか! 釣りはいらないって、九千四百ベルの損ですよ! この店の三日分の売上です!」
私は慌てて金貨を回収し、財布から小銭を出そうとしたが、店主が「ひええぇ! 旦那さん太っ腹!」と金貨を拝み倒してしまった。 阻止失敗。 アレクセイ様の金銭感覚を矯正するには、百年あっても足りないかもしれない。
店を出た私たちは、腹ごなしに市場を散策することにした。 通りの両側には露店が並び、果物、布、雑貨が所狭しと売られている。
「リアナ、あれはなんだ?」
「焼き串です」
「あれは?」
「安物の魔石です。光るだけで効果はありません」
アレクセイ様にとっては、見るもの全てが珍しいらしい。 子供のようにはしゃぎ、次々と買おうとするのを私が必死に止める。
「もう……。無駄遣いは禁止です。買うなら必要なものだけにしてください」
「では、あれを買おう」
彼が指差したのは、髪飾りの露店だった。 安っぽいガラス玉や木彫りの飾りが並んでいる。
「君の髪ゴム、もう切れそうだろう。新しいのを買ってやる」
「……確かに、ゴムが伸びていますが」
アレクセイ様は真剣な顔で品定めをし、小さな琥珀色のビーズがついた髪飾りを選んだ。 値段は五百ベル。
「これだ。君の瞳の色に似ている」
「……またそういうことを」
「店主、これをくれ」
アレクセイ様が銀貨(千ベル)を渡す。 店主のお婆さんが、ニコニコしながらお釣りの小銭を渡してくれた。
「はいよ、お釣り五百ベルね。仲がいいねえ、新婚さんかい?」
「ええ、まあ」
アレクセイ様が勝手に肯定し、私は肘で彼の脇腹を突いた。 渡されたお釣りの硬貨を受け取る。百ベル硬貨が五枚。 ジャラリ、と掌に乗せた瞬間。
(……ん?)
違和感があった。 私の「計算機」としての指先が、微かな異常を感知した。
「……リアナ? どうした?」
「……いえ」
私は一枚の百ベル硬貨を摘み上げ、太陽にかざした。 見た目は普通の硬貨だ。
王国の紋章、発行年、摩耗具合。 どれも不自然な点はない。 だが。
(……軽い)
本当に、ごく僅かだ。 おそらく、〇・五グラムにも満たない差。 普通の人間なら絶対に気づかない誤差。 だが、毎日小銭を数え、一ベルの重みを肌で知っている私には分かった。
この硬貨は、正規の重量を満たしていない。 中に不純物が混ざっているか、あるいは中心部がくり抜かれているか。
「……閣下」
「気に入らなかったか?」
「いいえ、髪飾りは素敵です。……ただ」
私は声を潜め、周囲を見回した。 賑やかな市場。笑顔の人々。 何も変わらない平和な休日。 だが、私の手の中にあるこの「軽い硬貨」が、得体の知れない不安を運んできた。
「最近、小銭の重さが……少し軽い気がします」
「……軽い? どういう意味だ」
「分かりません。私の気のせいかもしれません。……でも」
私はその硬貨を強く握りしめた。 もしこれが、一枚や二枚の話ではなかったら? もし、市場に出回っている硬貨の多くが、このように「軽量化」されていたとしたら?
それは単なる詐欺ではない。 国の経済の根幹を揺るがす、巨大な犯罪の匂いがした。
「……リアナ?」
アレクセイ様が心配そうに私の顔を覗き込む。 私は努めて明るく振る舞い、髪飾りを受け取った。
「いえ、なんでもありません! さあ、帰りましょう。護衛のルーカス様も、人混みに酔って顔色が青くなっていますし」
遠くの電柱の陰で、人混みに揉まれて死にそうな顔をしている騎士様が見えた。
私はアレクセイ様の腕を取り、歩き出した。
胸のポケットに入れた「軽い硬貨」が、鉛のように重く感じられた。 このデートが、平穏な日々の終わりの始まりだったことを、私はまだ知らなかった。
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