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第100話「愛しき計算外の未来、契約は永遠に」

最終話となります。


それから、さらに時は流れ──数十年後。


アインスワース公爵邸の庭園には、季節外れの美しい桜が満開に咲き誇っていた。 その木の下に、二つのガーデンチェアが並んでいる。


「……ふぁ。良い陽気だな、リアナ」


ロマンスグレーの髪をなでつけ、目尻に刻まれた笑い皺がダンディな紳士──

アレクセイが、隣の女性に話しかけた。


「ええ、そうですね。……孫たちが遊びに来るには、ちょうどいい天気です」


豊かな銀髪を上品に結い上げ、穏やかな笑みを浮かべる淑女──リアナが、紅茶のカップを置いて答える。


二人は還暦を過ぎ、人生の円熟期を迎えていた。

けれど、繋がれた手と手の温もりは、あの頃と少しも変わっていない。


「おじいちゃーん! おばあちゃーん!」


賑やかな声と共に、庭の向こうから子供たちが駆け寄ってくる。

アレクの子供たちと、エレナの子供たち──

可愛い盛りの孫たちだ。

彼らは庭園を走り回り、花を摘み、かつてアレクが作った玩具で無邪気に遊んでいる。


「……賑やかだな」


「ええ。……我が家の、最高の資産たからものですね」


リアナは目を細めた。 激動の日々だった。

アレクは王国史上最年少で筆頭魔導師となり、数々の革命的な発明で世界を変えた。 エレナは世界的に有名な「植物魔法使い」となり、砂漠を緑化する慈善事業で聖女と呼ばれた。 二人が巣立った後も、アインスワース家には常に笑い声と、愛すべきトラブルが絶えなかった。


「……なぁ、リアナ」


「はい」


「私の人生は……黒字だっただろうか」


アレクセイが、ふと空を見上げて問いかけた。

リアナはゆっくりと彼の方を向き、いつものように──けれど、もう古びて動かなくなったそろばんの代わりに、彼の手を優しく叩いた。


「……愚問ですね、あなた」


彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

あの頃と同じ、知的な光を瞳に宿して。


「計算するまでもありません。……貴方の人生は、桁溢オーバーフローれするほどの『大黒字』ですよ」


「……そうか。……なら、安心だ」


アレクセイは満足げに目を閉じ、リアナの手を強く握り返した。


「……愛しているよ、リアナ。……これからも、ずっと」


「ええ。……私もです、アレクセイさん」


風が吹き、桜の花びらが二人の上に降り注ぐ。

その風景は、一枚の絵画のように美しく、そしてこの幸せは永遠に続いていくようだった。


──そして、時は戻り。現在。


「行ってきまーす!」


「行ってきます!」


十歳のアレクと、五歳のエレナが、元気よく玄関を飛び出していく。

アレクはアカデミーへ。エレナは王立幼稚園へ。

それぞれの場所へ向かう子供たちの背中は、希望に満ち溢れている。


「……ふぅ。嵐が去りましたね」


玄関先で見送っていた私は、大きく息を吐いて伸びをした。

公爵夫人として、母として、今日も忙しい一日が始まる。 だが、その前に。


「……リアナ」


出勤前のアレクセイさんが、私を呼び止めた。

彼は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐな瞳で私を見つめている。


「……なんだか、不思議な気がするんだ」


「不思議?」


「ああ。……こうして君と並んで子供たちを見送っていると、遠い未来でも、私たちがこうして笑い合っている気がしてな」


彼の言葉に、私はドキリとした。

実は、私も同じことを考えていたからだ。

数十年後、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、きっと私たちはこうして並んでいる。

そんな確信めいた予感。


「……そうですね。きっと、そうなりますよ」


私は微笑み、彼のネクタイを整えた。


「だって、私たちは『終身契約』を結んだパートナーですから。……途中解約は認めませんよ?」


「望むところだ。……違約金ペナルティは、私の全人生でも足りないくらいだからな」


アレクセイさんは嬉しそうに笑い、私の腰を引き寄せた。 そして、朝の光の中で、私たちは自然と唇を重ねた。 一度、二度。 触れるだけのキスでは足りず、彼が深く求めてくる。 私も背伸びをして、その首に腕を回した。


「……ん……。……アレクセイさん、そろそろ……」


「……嫌だ」


唇を離した瞬間、アレクセイさんが駄々っ子のように私を抱きすくめた。

首筋に顔を埋め、深呼吸をするように私の匂いを嗅いでいる。


「……行きたくない。このまま君と一日中、ベッドの中で過ごしたい」


「こら、ダメですよ宰相閣下。国が止まってしまいます」


「国なんてどうでもいい。……今の私には、君の成分エネルギーが不足しているんだ。……充電させてくれ」


彼は甘えた声で囁き、耳元に熱いキスを落とした。 外では「氷の宰相」と恐れられる男が、私の前でだけ見せる、とろけるような甘い顔。

これが可愛くて、愛おしくて、私はついつい甘やかしてしまう。


「……仕方ありませんね。……あと一分だけですよ?」


「一分か。……なら、密度を上げないとな」


彼はニヤリと笑い、さらに強く、情熱的に私を抱きしめた。

鼓動が重なる。

体温が溶け合う。

世界中でたった二人きりのような、甘美な時間。


「……愛している、リアナ。誰よりも、何よりも」


「はい。……知っていますよ。私も、誰よりも愛しています」


名残惜しそうに、ようやく彼が腕を緩めた。

その顔は、さっきまでの甘えた表情から一転、満ち足りて自信に溢れた「男の顔」に戻っていた。


「行ってきます、リアナ。なるべく早く帰る」


「ええ。美味しい夕食を作って待っていますから」


「ああ。……夕食の『デザート』も、楽しみにしているよ」


彼は意味深にウインクをして、軽やかに馬車へと乗り込んだ。

私も負けじと、指で小さくハートマークを作って送る。


「行ってらっしゃい、あなた」


馬車が動き出す。

私はその姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。頬が熱い。結婚して十年経つのに、まるで新婚のような高揚感が胸に残っている。


空はどこまでも青く、澄み渡っている。

かつて、借金と契約書から始まった二人の物語。

それは今、計算不可能なほどの「愛」と「幸せ」に満ち溢れ、未来へと続いていく。


私は空を見上げ、心の中でそっと呟いた。


(さあ……今日も一日、頑張りましょうか。愛する家族の、完璧な黒字しあわせを守るために!)


私は軽やかな足取りで、愛おしい我が家へと戻っていった。

アインスワース家の騒がしくて、とびきり甘くて温かい日常は、これからもずっと、永遠に続いていく──。

最終話までお読みいただき、誠にありがとうございました。


少しでも楽しんでいただけていましたら嬉しく思います。


皆さまからの感想や評価、ブックマークは大きな励みになっております。


現在は新作も執筆中です。

投稿の際には、活動報告にて改めてお知らせいたします。


長い物語に最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

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