第60話 隙 (Side:シャロン)
社交シーズンが開幕し、父も母も毎日忙しくする日々が始まった。どうやら、色々な社交場に顔を出しては、私のデビューをする日について喧伝しているようだ。
昼は王城で父は議会へ参加。母は連日開催される様々なお茶会に顔を出している。
夜会に夫婦で出かけることもあるが、そうでない日は共に夕食を取る。半年も家を不在にしていた娘との距離を埋めるように――娘の本心を気遣い、窺うように。
「今日は何をしていたんだ?」
「リメイクが終わって納品されたドレスを受け取りました。袖を通してみましたが、ダンスを踊るにも問題なく完璧な仕上がりでした。デビューは万全の状態で臨めます」
父の質問に、安心させるように笑顔で答える。
心配をかけてしまった自覚はあるから文句を言うつもりはないが、もう少し信頼してくれてもいいのに、とも思う。
やがてこのフロスト家を背負って立つ女当主になるのだ。大規模な夜会に緊張する気持ちはあるが、腹は括った。
貴族社会の荒波を乗りこなし、広大な領地の民を守り導く。名領主として名高かった、初代女当主ドロテアのように。
「お父様も、忙しいようですね。もう若くはないのですから、くれぐれも無理はなさらぬように」
「娘の社交デビューを終えるまでは倒れられんさ」
ワインを煽って口元を拭う父の目元には、うっすらと隈が浮いている。
一年前のあの事件以降、父の心と体が真の意味で休まった日など無かっただろう。嫡男は竜となって世界中から命を狙われている。罪悪感から死を望む娘には暗示を掛けてカルロに預け、息子を救う一縷の望みにかけた。母も心労が重なって臥せりがちになった。陰謀論が流布して、誹謗中傷の声はフロスト家だけではなく領地にまで及んだ。不安に駆られ、領地を離れた者もいると聞く。
そんな状況下で、一人、領主として、父として、踏ん張り続けたのだ。
早く、父の肩の荷を降ろさせてやらねば。
兄に比べれば未熟なところが多いだろうが、それでも、父の背負う荷を分け合うことくらいは出来る。
そんな覚悟と強さを見せることが出来れば、両親の不安も少しは減るだろう。
だから、一刻も早く良い伴侶を見つけて、次期当主として仕事を覚えていかなければ――そんなことを考えていたときだった。
「……そういえば」
口元を拭ったナプキンを置いた父が、ゆっくりと口を開く。
「今日は王城で、カルロを久しぶりに見た」
静かだが、低く重たい声音が、がらんと広い食堂に空虚に響いた。
傍に付いていたレイアが緊張する気配が伝わったが、私は、二つ瞬きをして、悠然と微笑む。
「そうでしたか。息災であるようならば、何よりです」
貴族らしく本音がわからない笑みを湛えたまま、微塵も揺らがぬ声音で告げる。母が、少しだけ痛ましそうな顔をした。
――無理をしているわけではない。
王城にいたということは、今度こそカルロは、己の人生を歩み始めたのだろう。
傭兵として各地を回る間も、恐化の新発見をしたり、竜の魔法の謎に迫ったりと、名声に事欠かなかった彼だ。
カルロの力と見識を欲しがる勢力はどこにでもいる。もともと、力を失いかけているフロスト家に、一年も縛り付けておいてよい人材ではなかったのだ。
「先日、満場一致で彼の叙爵が決まった。今日、正式に王から爵位を賜った」
「そうでしょうね。彼のこれまでの功績を想えば、当然の結果でしょう」
「あぁ。唯一の懸念だった身分についても、勢力争いの中で一悶着あるかと思ったが――レーヴ家が後見となることで、あっさりと進んだ」
「ぇっ――」
カツン……
マナー違反のカトラリーが奏でた硬質な音が、食堂の静寂に妙に大きく響いた。
一瞬、頭が真っ白になる。
レーヴ家が正式に後見となったと言うことは、つまり、カルロはベアトリス嬢と――
気付けば、口元から、笑みが消えていた。
その途端、目の前の父から冷ややかな視線が飛ぶ。
親が娘を見る視線ではない。
これは――貴族が、貴族を値踏みするときの、目。
「っ……そ、う、ですか。レーヴ家、が……」
すぐに気づいて、咄嗟に口角を上げる。
血の気が引く気配がした。
――しまった。
思わず、動揺が顔に出た。それを見逃す父ではない。
きっと、これは、試練だった。
夜会に出て、貴族らしく振舞うことが出来るのか――カルロの話題が出ても、余裕な顔で対応できるのかを、試されていたのだ。
「レーヴ家には、旅の途中で滞在したとき、大変な厚遇を賜りました。改めて感謝と、”祝福”を伝えねばなりませんね」
平静を装って微笑むが、父は小さく息を吐いて目を伏せた。
「……いや。まだお前には早いようだ。私から伝えよう」
「っ……」
失望――されてしまった。
ぎゅっとカトラリーを握る手に力がこもる。
「申し訳……ありません……」
「構わない。カルロは既に貴族位を得た。お前のデビューする夜会にも参加するだろう」
父は食事を終えて席を立つ。
「夜会は、陰謀渦巻く政界の縮図だ。些細な出来事が予想もしない尾ひれと共に凄まじい速度で広まる。誰もが己の地位を少しでも高めんと画策し、他人を蹴落とす隙を虎視眈々と狙っている」
冷徹な貴族としての顔で、私に無情な声をかけた。
「決して弱みを見せてはならない。お前は、次期フロスト家当主になるのだろう? ……当日はくれぐれも、そんな不甲斐ない顔を見せぬよう、己を律しなさい」
「……はい……」
俯いて、言葉を受け取る。
父の言う通りだ。こんな些細なことで動揺している場合ではない。――社交界では、途端に足をすくわれる。
きっと、今シーズンでベアトリス嬢の社交デビューも行われるのだろう。全貴族が参加する王城の夜会に、彼らが参加しないわけがない。
私は覚悟しなければいけないのだ。
――カルロがベアトリス嬢の手を引いて、王城のきらびやかなシャンデリアの下、エスコートするのを。
私と踊るはずだった、私と何度も練習したダンス曲を、私以外の少女と一緒に踊るのを目の当たりにするその時を――




