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第6話 バラの香り (Side:アルヴィン)

 ぐったりとした意識の外で、バンッ――と乱暴にドアを開ける音がした。両手が塞がっているから、きっと足で蹴ったのだろう。

 貴族社会で育った僕には到底理解できない振る舞いだ。

 普段ならカルロを窘めるところだが、今日は状況が状況なので、目をつぶることにする。


「部屋に着いたぞ。まだ辛いか」

「うん……」


 寝台に下ろされ、弱々しく頷く。風呂にも入らず、着替えもせずに寝台に横になるのは抵抗があったが、意識を失いそうな今は、大人しく従うしかない。


「自分が誰かわかるか?」


 それは、シャロンと意識が混濁するたび、いつもカルロが問いかける言葉。


「……アルヴィン……アルヴィン、フロスト……カルロの、親友で……シャロンの、兄……」

「よし。まだ、アルヴィンが残ってるな」


 弱々しい返答に頷いて、カルロはそっと僕の瞼の上に掌を置いた。

 

「そのまま、目を閉じてろ。深く息を吸え。深呼吸だ。暗示をかけるように、自分を強く持て。――お前は、アルヴィン・フロスト」

「僕は……アルヴィン・フロスト……」


 低く響く、聞き馴染みのあるカルロの声に導かれ、僕は耳から入る言葉をゆっくりとなぞった。


「竜になった妹を人に戻すために、俺と旅をしている」

「シャロンを助けるため……カルロと……旅を、してる……」

「シャロンの意識や記憶が混ざるのは、生きている証拠だ。恐れるな。お前はお前だ」

「うん……シャロンは、生きていて……僕は……僕……」


 深く息を吸うと、霞掛かった意識に、ふわりと鼻腔を擽る香りがしみ込んだ。


「ん……これ……バラの、匂い……?」

「気づいたか。匂いに集中しろ。落ち着くはずだ」

「うん……いい、匂い……実家の庭園を、思い出す……」


 春になると、フロスト家の庭園の一画は、一斉にバラが咲き誇る。

 バラは、シャロンが一番好きな花だった。

 外に出ればすぐ危険に遭遇する彼女は、めったに外出できない。庭師たちは、唯一屋外に出られるその瞬間くらい、彼女を喜ばせようと、皆必死に腕を尽くした。

 庭園は、シャロンを愛する全ての人の、愛情の結晶だった。


「この季節外れに、バラなんてどこで――いや。もしかして、これ、魔法……?」


 問いかけると、カルロの呆れた声が返ってくる。


「そうだ。お前の家の庭園の匂いを再現するの、めちゃくちゃ大変なんだぞ」

「そ、そう……それは……うん……大変、そうだね……」


 黒魔法の原理の詳細はよくわからない僕だが、これがとんでもない技法なのだというのは流石にわかる。

 鼻腔を擽るのは一種類の香りではない。見渡す限り色とりどりのバラが咲く、あの庭園の複雑な香りを忠実に再現するなんて。

 改めて、思い知る。この男は本来、国家が何としても手中に収めようと画策する天才なのだ。


「落ち着いたか?」

「うん……まだ、少し気持ちが悪いけれど……バラの香りを嗅ぐと、安心する……()()()()()落ち着くせいだと、思う」


 僕の意識を乗っ取ろうとするシャロンの部分が、バラの香りで、沈静化するのだろう。

 彼女にとって、バラは、幸せで穏やかな日常の象徴だった。

 家族や屋敷で働く人たちが、彼女のためを思って整えてくれた庭園は、あらゆる愛情が詰まった美しい楽園。


 そしてその庭園は――シャロンが初めてカルロと出逢った思い出の場所でもあった。


「頭空っぽにして、嗅覚だけに集中しろ。白魔法遣いは、マインドコントロールが得意だろ」

「そういう言い方はどうかと思う……」


 白魔法遣いは貴族階級の血筋に多く現れる。信仰の力を魔法に変える――と教わったが、カルロに言わせれば、白魔法は”思い込み”を現実にするための魔法らしい。

 黒魔法遣いとは相容れない考えだが、言われてみれば納得するものだった。


「ダミアンは、あんなナリでも、生物学上は男だ。シャロンは見知らぬ男を怖がるからな。本能的に嫌悪感が沸いたんだろう。優秀な白魔導師だとは思うが、俺もアイツは生理的に受け付けない」

「そ、そういうわけじゃ……」

「ぁ?まさか、元婚約者だからって庇うのか?あんな変態男を?」

「こ、言葉の棘がすごい……」


 僕は同意も否定も出来ず困惑する。

 レーヴ家は、国家有数の大貴族なのだ。いくらカルロが天才でも、叙爵していない以上、身分としては平民だ。ダミアンの不興を買わぬよう、もう少し慎重になってほしい。


「アイツに触られそうになって、シャロンの意識が顕在して、倒れそうになったんだぞ。つまりシャロンは、指一本だって触られたくないって思ってる――二度と近づくな、あんな男」

「そう言われても――いや、でも、そう……だね。僕、ちょっと、あの人は……苦手、かも……」


 ギルドで顔を覗き込まれた時の、ぞわりと背筋が粟立った感覚が蘇る。そうだろう、とカルロは何度も頷いているようだった。


 気持ちを紛らわせようと息を深く吸い込めば、柔らかな香りがしみ込んで、固くなった心をゆっくりと解きほぐす。

 心が緩んだ隙をついて、ぽつり……と、弱音が零れ落ちた。


「……僕は……嫌な、奴だ」

「ぁん?あんな変態、嫌って当然だ。気にするな」

「そうじゃ、なくて」


 カルロの思い違いを訂正し、苦笑する。


「シャロンは、皆に愛されてた。両親にも、使用人たちにも。勿論、僕にも」

「そりゃ……まぁ、そうだろうな。お前のシスコンも相当重度だったし」


 初めて僕がカルロとシャロンを引き合わせた日のことを言っているのだろうか。今でも鮮明に、覚えている。

 ふっと笑って、僕はあの日と同じ言葉を口にした。


「”シャロンはすごく、いい子なんだ。身内の贔屓目を差し引いても、本当に可愛くて、素直で、フロスト家に舞い降りた天使みたいな存在で――”」

「懐かしいな、ソレ。お前の口癖みたいなモンだった」

「ふふ。口癖だよ。僕はシャロンを目に入れたって痛くないんだ」


 何度も、何度も、口にした最愛の妹への賛辞。本人も耳に胼胝ができていただろうに、シャロンはいつも、擽ったそうに、はにかみながら受け止めてくれた。

 

「シャロンの意識が混濁するたび、僕は、僕を見失いそうになる。アルヴィン・フロストという存在は跡形もなく消滅してしまって、シャロンの意識だけが残る――そんな感覚があるんだ」

「……」


 僕の告白を、カルロは黙って受け止める。

 微かに震える僕の声音に、揶揄する場面ではないと気付いたのだろう。


「シャロンは、いい子だ。皆に愛される自慢の妹だ。絶対に竜から救い出したい。――なのに」


 僕は、両手で顔を覆い、絶望に満ちた声で続けた。


「僕は……僕が消えるのが、怖い。シャロンの意識に乗っ取られのが、怖くて堪らない。――あんなに愛してやまない、妹だったはずなのに」

「――……」


 どうしてなのかは、わからない。だが、本能が拒絶するのだ。

 どれだけ記憶を辿っても、シャロンに嫌悪や恐怖を抱いたことは、一度もない。僕はシャロンが生まれてからずっと、一瞬たりとも愛情を注がない時はなかった。


「シャロンに意識を渡したくないと思う僕は、僕が思う僕じゃないみたいで――自分という存在が、わからなくなっていくようで――」


 ぐっと震える唇を噛みしめる。

 こんなことを吐露されても、カルロも困るだろうに、ぽろぽろと零れる弱音は止まらない。


「そんなことはない。お前は、お前だ」

「でも――でも、カルロ……!」

「怖がるな。お前が誰であっても、俺は決して裏切らない。――お前がアルヴィンでも、シャロンでも。お前は、お前が生きたいように生きればいい。俺はそれを、ずっと傍で、全肯定してやるから」

「カルロ――……」


 ふわり、と鼻腔を擽るバラの香りが濃くなった。

 この世の楽園のような美しいバラ園を思い出して、ふっと心が穏やかになる。


「今日は色々あって、疲れてるんだろ。少し眠れ。……眠るまで、ずっと、ここにいてやるから」

「……うん……うん。ありがとう……カルロ……」


 部屋いっぱいに充満するバラの香りが心地よい。

 そう言えば、カルロはシャロンに逢えないときも、せっせとバラの花を贈っていた。意外とマメな男だ。


 貴族は花を贈る際、花言葉に気を遣う。そんな風習を知らない彼は、シャロンが好きな花だからと言うだけで贈っていたのだろう。

 わかっていても、憐れな妹は、この風流とは程遠い男から贈られた花の色に、本数に、勝手に意味を見出しては胸をときめかせた。

 貴族の後ろ盾を得たいだけのカルロに、愛情など期待してはいけない――そうわかっていても、心の底で、惹かれる気持ちは止められなかった。


 誰にも言えない淡い初恋を胸に隠して、大切に、大切に、もらった花を全て部屋に飾った。

 だからシャロンの部屋は、春になると、今日みたいに、部屋いっぱいにバラの香りがふんわりと漂うのだ。


「ありがとう……カルロ……」


 もう一度零れ落ちたのは、アルヴィンとしての言葉か、シャロンとしての言葉か、わからない。

 混濁する意識の中で、ただ、穏やかで優しい、愛に満ちた優しい思い出が胸を満たすだけだった――


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