第58話 婚約破棄 (Side:カルロ)
シャロンの言葉が鈍い刃のように胸を抉る。
目の前が真っ暗になって、足元が崩れ落ちそうになる。
まっすぐに立っていられないほどの絶望にふらつくと、アーノルドの気まずそうな声が飛んだ。
「……まさか、こんな修羅場に立ち会うことになるとはね」
「見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございません。フロスト家で馬車を手配しましょう。カルロには、すぐに宿も手配するように申し伝えます。荷物は後ほど、使用人に送り届けさせましょう」
シャロンは昔と変わらない淑やかな令嬢らしく、本音を掴ませない微笑みを浮かべている。
その手が、テーブルの呼び鈴へと伸びた。――使用人を呼ぶのだろう。
軽やかな鈴の音に、俺はハッと我に返る。
「シャロン!」
もう、なりふり構ってはいられない。
間違いなく、今告げられたのは最後通牒なのだとわかっていた。だが、だからといって「はいそうですか」と諦められるわけがない。
「頼む、待ってくれ! 確かに期待していたアーノルドの情報は、アルヴィンを救う手立てに直結はしなかった! だけど、間違いなく前進はしてる! 竜神教に貴族が関与してるなら、社交シーズンに情報を探ればいい!」
「カルロ……流石に往生際が悪いぞ……?」
アーノルドが呆れた声で、制止するように俺の肩に手を置くが、振り払う。
「どうせ、雪が溶けるまではアルヴィンに会いに行くことはできない! 禁術は魔法の一種だってわかったんだ! 春まで時間があるなら、古代魔法だって俺は絶対に解明してみせる!」
「カルロ。君がいくら天才でも、それはさすがに無理が――」
「外野は黙ってろ!!!」
みっともなく女に縋りつくのを見てられないのか、理性的に諭そうとするアーノルドを一喝して黙らせる。
無理でも無茶でも、関係ない。
やるしかない。やれなかったら――シャロンを諦める道しかなくなる。
そんなの、死んだって御免だ。
「カルロ……気持ちはありがたいのですが、ここから先は、フロスト家の問題です」
「なっ――」
「一年前の事件――もしも竜神教と絡んでいる貴族が、フロスト家への怨恨で私を狙ったのだとすれば、犯人捜しは社交界で行うことになります。残念ながら、貴方が出る幕はありません」
「それはっ――!」
「黒幕が明らかになれば、お兄様を救う道も明らかになるかもしれません。もちろん、諦めはしません。お兄様は私にとって、唯一無二の大切な方。まして、私の身代わりになってしまったのであれば、必ず最後まで方法を探し続けます」
「なら俺も一緒に――」
言い募ろうとする俺に、シャロンは静かに首を振る。
「忘れてしまったのですか、カルロ。言ったはずです。……この社交シーズンは、とても重要なタイミングなのですよ」
「俺の人生がどうとかってやつか!? んなこと知ったことか!」
俺はシャロンの傍に歩み寄り、膝を突いてシャロンを見上げた。
貴族の男がする、スタンダードな求婚の姿勢。
さすがに驚いたのか、シャロンは目を見開いた。
「言っただろう! スタートが遅くなったって、後から実力で巻き返す! 俺の地位とか将来とか――そんなモンを婚約破棄の理由にするなら――」
「婚約の破棄は、貴方のためだけではありませんよ」
ぴしゃり、と言い放たれた言葉が雷鳴のように俺を打つ。
固まった俺に、シャロンはどこか冷ややかな声で、冷静に言葉を紡いだ。
「私のためです。……私が、貴方との婚約をもう、ご破算にしたいと言っているのです」
「――……な……」
一瞬だけ、シャロンの睫毛が震えた気がした。
だが、次の瞬間にはもう、完璧な貴族令嬢の仮面が戻っている。
ふーっと息を吐いて、シャロンは聞き分けがない子供に分からせるように続ける。
「これまで何度も、伝えたでしょう。そもそも一年も貴族の責務から自由にさせてもらったことが、異例なのです。竜神教との関与を疑われ、陰謀論まで巻き起こったこの一年――事件前までの安泰な状況とは異なり、今、我が家は政界での立ち位置がとても危うい。今回の事件が、フロスト家の失脚を狙ってのことだったならば、なおのこと、犯人の思惑に乗るわけにはいきません」
シャロンは跪く俺から身体を背け、温度を感じられない声を浴びせる。
「私は一刻も早く、フロスト家の女当主として立つことを内外に示さねばなりません。混乱している領地を、民を守るため、早急に結婚相手を見つけて、フロスト家は安泰なのだと示さなければ――」
「ま――だからそれは、俺が――!」
「貴方に、この揺らいだ状況を立て直す当主の伴侶としての役割が期待出来まして?」
揶揄するように言われ、固まる。
確かに、俺は領地運営なんぞ全くわからない。政界での立場を固めるなどと言われても、貴族でもない俺は、人脈も持っていない。
「貴族の結婚に、情はありません。我が家が今求めるのは、貴族社会で生き抜くための”利”――貴方はそれを持っていない。そんな貴方と、結婚など出来るはずもない。――単純な話です」
「俺、は……」
「このままでは、家の存続が危うい。領地が混乱し、大切な民が惑う。……ですが私は、お兄様が不在のこの状況で、それを指をくわえて見ているわけにはいかないのです」
シャロンの横顔に、迷いは微塵もなかった。
アルヴィンが竜になり、泣いて、崩れて、嘆いていただけの少女はどこにもいない。
強い瞳で、貴族令嬢として前を見据える、未来の女当主がいるだけだ。
呆然と、何も言葉を紡げないでいると、控えめに扉がノックされる。使用人が来たようだ。
「時間ですね。……お帰り下さい」
「っ、シャロ――」
「カルロ、さすがに止めておいたほうがいい。これ以上は不敬罪でしょっ引かれても文句は言えない」
なおも言い募ろうとした俺を、アーノルドが今度は振り払えない力で止める。
確かにそうだ。今まではお目こぼしされていただけで、客観的に見れば、俺は移民の平民という最下層の身分。大貴族のフロスト家の令嬢に絡んでいいような人間ではない。
その気になれば、シャロンは警邏に突き出すことも容易い。権力を悪用すれば、俺の人生を滅茶苦茶にすることだってできるはずだ。それくらい、平民と貴族の格差は絶対のものなのだから。
ぐっと言葉に詰まる俺に、シャロンは思い出したように左手へと視線を落とした。
「……これは、お返ししますね」
「――!」
そっと銀色に輝く指輪が抜き取られるのを見て、心臓が潰れそうな痛みを発する。
「待っ、それは――!」
「この指輪には、本当に何度も助けられました。……本当に、何度も。ありがとうございます」
シャロンはそっと俺に指輪を差し出す。
咄嗟に手を出す。
最後に――シャロンの手を握れないかと、足掻きたかった。
「貴方に告げた言葉に、嘘は一つもありませんでしたよ。……今まで、本当にありがとうございました。――カルロ様」
「っ――!」
初めて出逢ったころのように他人行儀な呼び方で、シャロンは無情に別れを告げ――
悪夢のようにあっさりと、人生を賭けた恋が、終わる。
――手のひらに残された銀の指輪が、やけに冷たかった。




