第22話 アルヴィン・フロスト④ (Side:カルロ)
「――――……へぇ?」
スゥっと仮面みたいな笑顔に、昏い影がよぎる。
アルヴィンが、興味を持った証拠だ。
アルヴィンの一番の懸念は、妹の安全だ。
領地運営のためには持て余す俺の黒魔法も、妹の護衛なら話は別だろう。世界最高の実力を持つ黒魔法遣いを護衛につけられるなら、アルヴィンにとって魅力的な申し出のはずだ。
広大なフロスト領を治める次期領主ではなく――妹を溺愛する兄、というアルヴィン個人の”利”に限るなら、俺でも提供できるものがある。
「興味深いね。ちょっと話を聞いてみようか」
「別に、大したことじゃない。この煩わしい貴族たちから俺を解放してくれるなら、お前の妹をどんな危険からも守ると約束する。学園を卒業すれば叙爵されるだろうし、それくらいの時期なら妹も行き遅れだと言われることもない。妹の名誉は守られる」
「ふむ……」
顎に手を当てて、アルヴィンは考え込む。
「金の面が心配だというなら、安心しろ。魔塔か黒騎士団に入れば収入には困らないし、魔道具製造の副収入もある」
言いながら、ふと思いつく。
もしかしたら、アルヴィン個人の"利"だけでなく、フロスト領の領地運営にも"利"を示せるかもしれない。
高速で頭を回転させて、口を開く。
「結婚の話を呑んでくれるなら、フロスト領に魔道具の製造と商売を独占させる。職人を育てて領民には安価で提供、領外へは割増価格で売る。製造者の権利として利益の何割かをもらえば、俺は半永久的に不労所得を得られる。お前の妹に生活面で苦労はさせない」
「なるほど。フロスト領に、季節や天候に左右されない第二の産業を作ってくれる、ということだね?」
「そうだ。日照り対策の水も魔道具で対応できる。黒魔法遣いをたくさん雇わなくても、領地運営は安定するだろう」
「……ふぅん……」
思い付きから始まった交渉だったが、思いのほか刺さっているらしい。
アルヴィンから笑顔が無くなり、口数が少なくなるのは、相手を対等と認めて真剣に話に耳を傾けている証拠だからだ。
「俺は未だに、なんでこんな歳で結婚相手を決めなきゃならんのかと思うが、どうしてもと言われるなら一番自由を許してくれる相手がいい。貴族の慣習や社交、贅沢だの領地運営だの面倒なことは言い出さない。俺がフラッと家を空けてもうるさく言わない。その代わり、相手に妻らしい振る舞いは求めない。俺の知らないところで他の男と会おうが目をつぶる。離婚はしてやれないが、それで文句はないだろ」
「それはどうかと思うよ……子供とかは、どうするのさ」
「どうせ、移民に与えられる爵位なんざ、一代限りだろ。子供はいなくてもいいし、まぁ、他の男との子供を孕んだなら、育てたいなら勝手に育てればいい。俺は育児に関与しないが、自由にさせてもらう代償というなら、金は出す」
自分で言いながら、予想以上にメリットのある結婚であることを自覚する。
まさに美味しいところ取りの結婚だ。
「お前の妹は、貴族として愛のない結婚も受け入れると覚悟してるんだろう?なら、これらを理由に俺と結婚しろと言っても、受け入れるんじゃないか?」
「うぅん……いや、シャロンは誰と結婚することになったとしても、拒否することはないよ。僕が全力で阻止してるだけで」
本当にこの男、大丈夫だろうか。妹のためならばと、何かの法律に抵触していないか心配になる。
しばらく考えた後、アルヴィンは顔を上げた。
「わかった。僕も両親に話をしてみよう。一考の余地のある話だと思ったからね」
「!」
「ただ――もしもこのまま話が進むとして、条件がある」
にこり、とアルヴィンは笑顔を作る。
――やたらと圧の強い笑顔を。
「シャロンが他の男に惚れるのは許しても、お前は絶対に他に愛人を作るな」
「ぁ?」
「君の倫理観もなかなか狂ってる。とてもじゃないけど、天使みたいに清らかなシャロンに聞かせるわけにはいかない。もし君が他の女とよろしくやった後に、シャロンと同じ家の空気を吸うとか、信じられない。シャロンが穢れる。排除すべきだよね、そんな汚らわしい存在はさ」
「お……おう……」
先ほどの過激な発言を思い出し、背筋がゾッとする。
間違いを犯せば、俺も社会的に抹殺されて領外に放出されるんだろうと嫌でも察せられた。
「あと、生涯、シャロンを口説くことを禁止する。男なら万人が口説きたくなる女の子だけど、絶対にダメだ」
「はぁ?」
「シャロンは本当にいい子だ。そして、あまり自分の気持ちを口に出来ない奥ゆかしい子だ。『将来の結婚相手』と紹介された男から迫られたら、嫌だとか怖いとか思っていても、家のためにと思ってぐっと耐えてしまうだろう。はっきりと拒否することも出来なくて、流されてしまうはずだ。――許されない。シャロンを少しでも傷つけ、怯えさせる存在はこの世から排除するべきだ」
「ぉ……おぉ……」
――アルヴィンの目が笑っていない。怖い。
「君が軽薄に女の子に声をかけてるの、知ってるけど、お国柄とか、知らないから。もしあんな調子でシャロンに軽薄に声かけたら、ねじり切るよ」
……何をねじり切られるんだろう……
「いいかい?そもそも、君のような男が、シャロンの結婚相手の候補として名前が上がるだけでも、これ以上ない僥倖なんだよ?平伏し、頭を床に擦り付けて、感涙しながら、シャロンと同じ空気を吸えることに感謝する立場なんだ。決してシャロンに愛してもらいたいとか、対等な立場になりたいとか、そんな夢みたいなことは考えちゃだめだからね?生涯全てを投げ出しシャロンに尽くして生きていく、そういう気概でいてくれないと困るから」
「お前……流石に思想が強すぎないか」
これでもかと本音を露わにする、将来義兄になるかもしれない男に呆れながら、ため息を吐く。
◆◆◆
しばらく色々な議論がなされたのだろう。俺がシャロンの婚約者として顔を合わせて良いという許可が出たのは、1カ月ほど後のことだった。
俺としては、煩わしい人間関係から解放されるならそれでいい――本気でそう思っていた。
アルヴィンから聞く妹像は、「本当に人間の描写か?」と聞きたくなるような美辞麗句のオンパレードで、身内贔屓で五百倍くらいに盛られた話なんだろうと思っていた。普段あんなに頭の切れるアルヴィンが、妹のことになると急に阿呆みたいになる。信じられるはずもない。
打算塗れの婚約――それに異論はなかった。
シャロンには、アルヴィンが俺を見かねて手を差し伸べた、という体で伝えたらしい。――本当に、妹に自分を良く見せるための隙は見逃さない男だ。
何一つ期待なんてしないまま、招待された大豪邸。
むせ返るような薔薇の匂いが充満する中、早く終わらないかと欠伸をかみ殺して臨んだ、シャロンとの顔合わせ。
そこで俺は――本物の天使に、出逢った。