第2話 竜の器 (Side:アルヴィン)
「――ぃ――おい。起きろ、アルヴィン」
「――!」
身体を揺さぶられ、一瞬で意識が覚醒する。シーツを跳ね除け飛び起きると、ぐっしょりと全身が汗で濡れていた。
全力疾走でもしたのかと思うほど息が荒い。思わず周囲を見渡すと、見知った顔がひょい、と横から覗きこんで来る。
「大丈夫か。随分とうなされてたが」
「ぁ――……」
この国では珍しい、漆黒の髪と、深紅の瞳。この男の顔を、僕は随分昔からよく知っている。
「――カルロ」
「おぅ。寝ぼけてんのか?ここがどこだかわかるか?」
「……宿、屋。昨日……遅い時間に、街に着いて……唯一開いていたのが、ここだけで……傭兵ギルドも開いてないから、まずは寝ようって、部屋を取って……」
「しっかりしてるじゃねぇか」
わしわし、と揶揄うように頭を撫でられ、やっと現実に戻って来た実感が湧く。
幼馴染の気安さが、ありがたい。
「ごめん……また、シャロンの意識に、引っ張られてたみたいだ」
まだ、鼓動は落ち着かない。起き上がり、近くに置いてあった水差しで水を飲む。
一息にコップの水を飲み干すと、やっとひと心地がついた気がした。
「大丈夫か?」
「うん。……僕は、アルヴィン・フロスト。妹を助けるために、カルロと一緒に傭兵をしてる。……大丈夫だよ」
深紅の瞳に心配の色を覗かせた親友に、笑ってみせる。シャロンの意識と混濁すると、カルロはいつも同じことを聞くから、先に告げて安心させた。
「まぁ、お前がそう言うならいいが――今日は、どんな夢を見たんだ?」
カルロの探るような瞳に、ぎゅっとシーツを握った。
「……あの日の、夢だ。シャロンが竜神教に攫われて、”器”の儀式を施された、あの――」
さっとカルロの視線が鋭くなる。
僕は声が震えないよう、ゆっくりと肺の中の息を全て吐き出した。
一年前――僕の最愛の妹、シャロン・フロストが竜神教という邪教集団に狙われた。
太古の昔、世界を滅亡に追い込んだ”竜”を信仰する集団。この国では禁教とされており、他国でもだいたい似たような扱いだ。竜を信仰するとは、世界の破滅を願うのと同義だから。
そんな危険思想の集団が、僕の妹を攫って、儀式をした。
事件後、荒れ果てた儀式会場を調べると、禁術を元にしたと思しき複雑な魔方陣が描かれた痕跡が見つかった。
調査の結果、魔方陣の効果は二つと考えられた。
一つは、古竜の召喚。
もう一つは、古竜が復活に際し、最盛期の力を取り戻すための”器”の生成。
どうやら、竜にはちゃんと寿命があり、老いて死ぬらしい。しかし、適性のある人間に魂を移すことで、若い身体を得られるという。
古の竜は、適切な”器”を見つけられなかったため、人間たちが討伐出来た――というのが、シャロンの事件後、通説になった。
どうやら竜神教の連中は、適合する”器”を探すのではなく、人為的に作れば万事解決、と考えたらしい。
結果、何の因果か知らないが、僕の大切な妹に白羽の矢が立ったのだ。
「恐ろしかった……とても、とても、恐ろしかった……あの日、シャロンは、あんな恐怖を味わったのか……」
自分で自分を抱きしめるように、震えそうな身体を押さえつける。
夢の光景は、あの日シャロンが実際に体験したことだった。
「ごめん、シャロン……ごめん……僕が、もう少し早くあそこに辿り着いていたら――」
「それは言いっこなしだ。俺だって、何度悔やんだかわからない」
膝を折り曲げ、身を縮めて悔恨に声を震わす僕に、カルロはポン、と背中に手を置いた。
あの日――シャロンは、僕とカルロの目の前で、”竜”になった。
生存本能を強烈に刺激する古竜は、禁術で”器”にされたシャロンへと魂を移し替えた。
僕たちの目の前で、小柄で美しい妹の身体は、バリバリと内側から何かが膨れ上がるようにして形を変え、古竜の三周りくらい小柄な竜へと姿を変えた。若返った、ということなのだろう。
目の前で妹が化け物へと姿を変えていく間、カルロは召喚された古竜に高位魔法を叩きこみ、、何とか止めようとしたらしいが、僕は、何もできなかった。
僕は、ただ――無力だった。
「正直、とても怖いよ、カルロ……世界中の人間が、シャロンを討とうと必死なんだ」
「まぁ、”竜”が人間に戻る未知の方法を探すよりは、”竜”を討伐する方が、現実的だからな。伝説級の昔話だが、一応、討伐できた前例はあるわけだし。たった一年で、世界中で”恐化”が広がって、経済も治安もぐっちゃぐちゃだ」
わかっている。今、あの竜をシャロンだと認めてくれる人間なんて、いない。
あれは僕の妹だなんて、どれだけ声を張り上げたって、妄言扱いされて終わりだろう。
「でも、あの日――竜は、僕を、見たんだ」
ぎゅっとシーツを強く握りしめる。
一年経った今も忘れられない、あの光景。
「僕を見た竜の瞳は、息を呑むくらい美しいアイスブルーで――シャロンと、全く一緒だった」
「……あぁ」
「僕と君を見て――攻撃もせず、飛び去って行った。哀しそうな瞳で一瞥だけくれて、逃げていったんだ」
そのまま、竜は北の山脈に陣取り、世の中を恐怖に陥れている。
「世間は、”黒竜王”なんて恐ろしい二つ名を付けて、討伐法ばかりが話題になる。でも、竜が直接人里を襲った話はない。あの心優しい子が、そんなことするわけない。何より――今もシャロンは、こうして僕に干渉してくる」
「……」
「シャロンの意識はある。生きている。絶対、絶対に生きている。きっと寒い寒い北の山脈から、必死に助けを求めているんだ」
それだけが、僕が絶望に膝を折らずにいられる理由。
あの日以来、定期的に、シャロンの意識が混ざる。まるで、僕の身体を乗っ取るように。
声にならない『助けて』を叫ぶように――
「僕が、助けないと。シャロンを助けるのは、昔から僕の役目だ。あの日、一歩も動けなかった僕が、今度こそ、助けないと――」
「落ち着け。あんまり思い詰めるな」
言い聞かせるように口を開き続ける僕を見かねたように、カルロはポン、と雑に頭を撫でた。同い年の幼馴染だが、シャロンの一件以降、こうして子どもを相手にするように宥められることが増えたように思う。
揶揄う目的ではなく、優しさから来ている行動だとわかるから、僕は素直にお礼を言おうと口を開いた。
「ありが――」
「婚約者と同じ顔が不幸の塊みたいな面してんのは見たくねぇ」
ピキッ……とこめかみが引き攣る。
この男――僕が、昔からシャロンそっくりの女顔のせいでしょっちゅう性別を間違えられることを気にしていることを知っていて、こういうことを言う。
親友ではあるが、悪友でもあるのだから、質が悪い。
「カルロ……そういう意地悪でひねくれた物言いをするから、シャロンにも信頼してもらえないんだよ」
「ぁ?」
「夢の中で、シャロンはカルロに裏切られたんじゃないかってすごく悲しんでたよ。全く……シャロンを助け出したら、真剣に信頼回復に努めてほしいな」
「はぁ!?ちょっと待て、何の話だ!?身に覚えがないぞ!?」
カルロが珍しく焦るのを見て、胸が空く。
勿論、今の僕は、カルロがシャロンを裏切るなんて、あるわけがないと知っている。
だってカルロは、本来彼に用意されていた華々しい将来を全部捨ててまで、僕と一緒にシャロンを助ける旅に出てくれたのだから。
シャロンだって、カルロが裏切ったわけではないことはすぐに気づいていたようだが、コンプレックスを揶揄われた僕は、意地悪な気持ちでそれは伝えずにおく。
「身に覚えがないなんて、白々しい。自分の胸に手を当てて聞いて見なよ。旅に出てからも、行く先々で軽薄に女性に声をかけて……世界一可愛い許嫁がいるのに、本当に信じられない」
「そりゃお前、お国柄の違いってやつだろ。説明したはずだ。別に本気で口説いてるわけじゃねぇ」
カルロは、外見からも推察できる通り、移民の出だ。
どうやらカルロの出身国では、男性は「美しい女性を前に口説かないのは女性に対して失礼」という、僕らには全く共感できない習慣があるらしい。
とはいえそんな説明をされたところで、道ですれ違っただけの女性にまで、息をするように歯の浮く褒め言葉を口にする軟派男が妹の婚約者だなんて、兄としては見過ごせるものではなかった。
「貴族社会っていうのは、君が思うよりずっと恐ろしいんだ。一応、まだ君はシャロンの婚約者のままだからね。君の女癖が悪いと噂になれば、連動してそんな婚約者を持つシャロンまで評判を落とすんだ。己を律してほしいな」
「一応、ってなんだ。人聞き悪いな」
カルロは何故かムッとしているが、当然僕たちフロスト家としては、シャロンがこんなことになってしまったとき、カルロに婚約解消を申し出た。
世論は圧倒的に討伐論が主流だ。”器”であるシャロンの自我が残っているなんて誰も信じてはいないし、故人として扱われることも多い。
僕は身内だから必死になるけれど、フロスト家という強力な貴族の後ろ盾を得るために婚約しただけのカルロに、強要は出来ない。事件後すぐ、別の有力貴族との縁を紹介すると申し出た。
だけど変なところで律儀なカルロは、当たり前のような顔をして、婚約破棄には応じない、一緒にシャロンを助ける方法を探す、と言ってくれた。あの時は、本当に胸が熱くなった。
例え世界中の人が皆、シャロンは生きているという僕の言葉を嗤ったとしても、カルロだけは笑わない。事件の前と変わらず、自分がシャロンと結婚するのは当たり前であるという反応をしてくれるのは、将来、シャロンが必ず人間に戻れると信じているからだろう。
だがそれならば、妹を溺愛する兄としても、シャロンの未来の夫として相応しい行動をしてくれなければ困る。
「さぁ、もう寝よう。明日は朝一で傭兵ギルドに行くんだろう?」
「なんっか釈然としねぇな……」
ぶちぶちと溢しながら自分の寝台に戻っていくカルロに少し笑って、僕はそっと明かりを消すのだった。