第19話 アルヴィン・フロスト① (Side:カルロ)
俺が知っているアルヴィン・フロストという男は、世界の全てを妹中心に回す、とても貴族とは思えない男だった。
どれくらい貴族らしくないかと言えば――まず、俺のような移民の平民に、当たり前みたいな顔で自分から話しかけてくる時点で相当おかしい。
最初に話しかけられたのは、王都の学園。基礎魔導学の座学の授業だったと思う。
「君、黒魔法の天才児なんだって? アーノルド先生が特別に目をかけているって聞いたよ」
学園に通うのはほとんどが貴族階級。庶民で通えるのは、よほどの才能を見出された富裕層くらいだ。
つまり、俺のような経緯で学園にいるのは、悪目立ちもいいところだと自覚していた。
「学費全額免除の特待生だとか。出身はロデスって聞いたけど、本当?」
「あーそーだよ。紛争に巻き込まれて、持つ物も持たず命からがら逃げて来たんだ。ちゃんと正規の手続き踏んでるから不法入国じゃねぇが、こっちに来てすぐに親はコロッと死んだ。カツアゲされたって金はねぇぞ」
「……」
どうせ冷やかしだろう、と内容を先回りして告げてやる。学園に来て何千回同じようなやり取りをしただろうか。
ただ、貴族が声をかけて来たのは珍しかった。
黒魔法は庶民の魔法だ。必然的に、授業も庶民と受けることが多い。だが同じ平民でも、俺の出身を聞けば、ほとんどが嘲笑するか金を巻き上げようと絡んでくる。金がないから免除制度を使っているのに、頭悪い奴らばかりか。
基礎魔導学は入学一年目に必修の授業。学園内の一番デカい教室で開かれるが、座席は自然と前方が貴族、後方が平民に分かれる。別に、席が決まっているわけでもないのに。
貴族は、平民と口を利かない。母国ロデスには貴族のような特権階級はなかったから、最初は奇妙な国だと思ったが、理不尽な暴力や偏見にさらされるうちに、そういうものだと自然に身についた。
だから、あえて離れた席にいる俺に、周囲の取り巻きの制止を無視して声をかけて来たアルヴィンは、本当に変な奴だった。
「そっか。アーノルド先生は、研究者としては異次元の領域にいるけれど、その分、教師としての資質は壊滅的で有名で――生徒の育成なんて蚊の涙ほども興味がないだろうと言われていてね。そんな先生が、縁もゆかりもない移民の子に、学費も寮も全部用意するなんて、一体何があったんだって皆噂してたんだ」
「チッ……さっきからグダグダとうっせぇな。その女みてぇなお綺麗なツラに、一発魔法ぶち込めば満足して帰ってくれるか?」
バチチチッと掌に電撃を集めて脅すと、ワッと周囲は蜘蛛の子を散らすようにして逃げていく。
だが、目の前の女顔の貴族だけは、なぜか嬉々とした顔をして残ったままだった。
「わぁ――! すごいな。実技の授業は、黒魔法でもまだ始まっていないだろう? しかも、僕に苛ついて脅し文句を言いながら頭の片隅で計算したってことになる。天才児っていうのは本当なんだ」
「ぁあ?てめぇ、喧嘩売ってんのか」
「いや、純粋に賞賛してるんだよ。僕の家は、訳あって普通の貴族より黒魔法遣いを多く護衛として雇うことが多いんだ。採用試験で魔法を見せてもらうことも多いけれど、頬杖をつきながら片手間にそんな殺傷能力の高そうな攻撃魔法を即座に展開できる魔法使いはいなかった。学園の生徒でなければ、ぜひ、今すぐうちで雇いたい人材だね」
「……はぁ……?」
目をキラキラさせて、意味不明なことを言う貴族に、思い切り疑問符を上げた。
その後、騒ぎを聞きつけた教師がすっ飛んできて、「またファレスか!お前はすぐに問題を起こして――!」と特大の雷を落とされかけたが、目の前の人当たりの良い貴族がニコニコと上手く言いくるめてしまったので、珍しく説教がほとんどなかった。
――その日以来だ。俺の姿を見かけてはやたらと絡んで来るようになったアルヴィンと、なんだかんだと仲良くなっていったのは。
◆◆◆
付き合ううちに分かったのは、アルヴィンはやはり、変な奴だということ。
まず、貴族の癖に黒魔法使いを野蛮だと見下さない。聞けば、実家は国内でもかなりの名家らしいが、自領では、平民でも実力があれば取り立てる主義だと言っていた。
さらに、猫を被るのが異常に上手い。
やがて広大な領地を治める未来を考えれば当然だが、頭の回転が速く弁も立つ――裏返せば、腹黒さも兼ね備えているのだが、それを全く感じさせない。
俺の前では早々に猫を被るのをやめたらしく、時折人間性を疑うような発言をすることもあったが、俺以外の前では絶対にそんな一面を見せない。特に、教師たちの前では、品行方正な良家の御子息、という印象を徹底させていて、舌を巻いた。
礼儀礼節に疎い俺は、何度アルヴィンの猫かぶりに助けられたか分からない。
学園は、男しか通えない。母国と違って、男尊女卑が根付いているこの国らしいが、もしここが共学だったら、アルヴィンは女子生徒から常に黄色い声援を浴びていただろう。顔も、女と見間違うくらいに整っていたし。
ただ、そんなアルヴィンにも、唯一の弱点――いや、ひどく『残念な所』があった。
「見てくれ、カルロ。天使から、贈り物が届いたんだ……!」
「……またか……」
感涙しそうな勢いで訴えてくる親友に、げんなりとした顔を返す。
アルヴィンが「天使」と呼ぶのは、シャロンという名の妹のことだ。
この男――妹のことになると、それはそれは残念なほどに、ポンコツになる。
「前の手紙で、実家の庭園に、雲雀が巣を作ったって可愛らしい報告をしてくれたから、僕も見てみたいなって返したんだけど……それを覚えてくれて、雲雀の刺繍をしたハンカチを贈ってくれたんだよ……! あぁ、そこはかとなくシャロンの匂いがする気がする――!」
白いハンカチを鼻に当ててスーハー息を吸っている変態に、半眼を返す。
「あぁ……例の、返信に『雲雀が巣立つより前に君に会いたい』ってキモイ一言を付け足したとか言う――」
「天使に捧げる愛の言葉と言ってくれ!」
くわっと目を剥いたアルヴィンの真剣な主張にため息を吐く。本当に、この男のシスコンっぷりには呆れを通り越して疲労すら感じる。
実家など、年に二回の長期休暇に帰れば十分だろうに、アルヴィンは、三日の休暇があればすぐに帰省する。移動時間を考えたら、家にいる時間なんて僅かだろうに。
そうして家に帰った後は、学園で俺に向かって、いかに妹が可愛かったか、愛しかったか、と延々と語り続けるのだ。最近は、こうして手紙の内容まで共有してきて、うんざりする。もはや、妹というよりも恋人との惚気話に近い。
「お前、そんな変態行為をして、妹に嫌われないのか? 二つしか違わないんだろう。思春期になって、嫌われるパターンじゃないのか」
「あるわけないだろう、そんなこと! 僕が普段、どれだけ徹底してシャロンの前で、理想の『お兄様』を演じていると思っているんだ!?」
「いや知らんが……」
ということは、少なくとも妹はこの兄の本性――手製のハンカチをもらえば鼻に押し当てて臭いを嗅いで堪能し、そのうち額縁に入れて飾り出す変態行為は、知る由もないのだろう。
いつも教師たちの前で被っている猫を思い出すと、妹の前では特に徹底して完璧な聖人君子を演じているんだろうな、と予想ができる。幸せなことだ。
だから、俺はシャロンに出逢う前から、シャロンのことは一方的によく知っていた。アルヴィンによる溺愛フィルターがかかった情報だったから、話半分どころか、十分の一くらいの気持ちで流し聞いていた程度だったが。
そもそも、アルヴィンが俺に興味を持ったのも、俺の黒魔法の才を見込んだからだ。
誰より早く声をかけておき、学園卒業と同時に、トラブルに巻き込まれがちなシャロンの護衛として雇おうと考えていたに違いない。その程度の計算は当然とする男だ。
俺が学園に通っているのは、親を失った移民のガキが一人で生きていくには衣食住を保証される環境が都合がよかっただけだった。崇高な思想があったわけでもなく、卒業後は食っていける程度の収入が得られるなら、アルヴィンに雇われるのも構わないと考えていた。
アルヴィンは変な奴ではあったが、他の貴族連中とは違ったし、なんだかんだ気が合った。親友とも悪友とも言える関係も気に入っていた。
妹への溺愛だけは理解できなかったが、そこまで必死に守りたいと言うなら、手伝ってやるのも悪くない。学園でも世話になっていたし、恩返しを兼ねて将来はフロスト領で暮らすんだろうな、と何となく考えていた。
――だが、うっかり俺が天才すぎたせいで、事態は予期せぬ方向に転がり始めるのだった。