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第16話 ベアトリス① (Side:アルヴィン)

 警邏隊長に話を聞いてからしばらく、僕はカルロと別行動をすることになった。

 カルロが「しばらく魔法研究に専念したい」と言ったからだ。


 竜の魔法は、本当に黒魔法や白魔法とは全く異なる未知の体系なのか。それとも、理論上は現代魔法でも再現可能なものなのか。

 竜と対峙したときに、シャロンの意識が残っている保証はない。もし彼女が問答無用で攻撃してきたときは、迎え撃つ必要がある。

 そもそも、山頂に続く道を阻む光の障壁を何とかしない限り、僕たちは彼女に会いに行くことも出来ない。


 そう考え、カルロは竜の魔法とその対応策について研究することにしたらしい。

 基本はあてがわれた自室に引き籠もり、頭脳労働に没頭している。時折、何かの検証のために練兵場の一画を借りて魔法を放っているのを見たが、周囲の人間は茫然としていた。やはり黒魔法の心得がある者から見ても、彼は次元が違うのだろう。

 だが当の本人は、他人の評価など興味がないのだろう。色めき立つ周囲には目もくれず、珍しく難しい横顔で舌打ちをして、口の中で考えをまとめながら再び自室へと戻っていった。


 ……なんとなくだけれど、たぶん近いうちに、また世界を震撼させるような黒魔法の新しい発見をしそうだな、カルロは。


 カルロが研究をしている間、僕もただぼんやりとしているわけではない。彼の代わりに、足で情報を稼ぐ役割を買って出た。

 カルロは、一人で行動すると絡まれやすい僕のことを心配そうな顔で見ていたが、街で聞き込みをするときはレーヴ家の護衛を借り、傭兵稼業時の魔道具を全て装備することを条件に許可してくれた。


 彼は僕を、五歳児か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。心配性すぎるだろう。

 

 レーヴ家と良好な協力体制を築くのも、僕の仕事だ。

 カルロが自分の研究に専念できるよう、それ以外のことは全て僕が請け負う。それが、相棒として果たすべき役割だ。


 僕は今日も、トビアス氏の部屋を訪ね、最近の調査を報告していた。


「……というわけで、先月摘発されたという竜神教の集会場に、近々赴いてみようと思います」

「かしこまりました。アルヴィン殿は一年前、彼らの儀式会場を見ていらっしゃる。我々の調査で見落とした何かがあるかもしれません。成果があればぜひ教えてください」

「はい、もちろんです」


 レーヴ家を活動拠点にしている以上、得た情報は惜しみなく共有するのが礼儀だ。

 貴族は利害関係に敏感だ。全くの無償で滞在を許されるなどありえない。

 どれほど優しく穏やかに接されても、僕はトビアス氏とは一定の距離を保ちながら、毎日調査結果を報告していた。


「竜神教の集会場には、お一人で向かわれるのですか?」

「いいえ。事前情報によると、集会場には儀式用の祭壇や彼らの教えを描いた壁画があるとのことです。魔法的なものなら、僕よりカルロの方が詳しい。彼の研究にも役立つ可能性がありますし、一緒に行くつもりです」

「そうですか。――カルロ殿の魔法研究は、今、どんな感じなのでしょう?」


 ……おっと。


 人好きのする笑顔で放たれた何気ない質問に、僕は一瞬言葉に詰まる。

 これは回答を間違えてはいけない質問だ、と貴族の勘が囁いていた。


 トビアス氏が僕たちに協力しているのは、きっと、竜問題の進展を期待してのことではない。

 最初にここを訪れたときは、それを見返りにすることもあるのかも、と思ったが、滞在を続けて気が付いた。

 レーヴ領は、大混乱に陥っている他の領地に比べ、竜問題の被害が圧倒的に少ない。


 恐化が観測されたのは、領の端で起きた数件のみ。いずれも軽微で、迅速に解決されたという。

 竜の討伐作戦は数度組まれているが、雪山行軍の障害があり、まともに実行できたのは真夏に数回だけ。その際に怪我をしたのは王都から派遣されてきた国家の正規軍で、領民は殆ど戦闘に参加しておらず、被害は皆無に等しかった。

 それどころか、竜は積極的に戦闘をすることなく、光の障壁を作って山頂方面へと飛び去る始末。その後、竜が街に降りて危害を加えたという証言は一つもない。

 僕とカルロが心配した食糧問題――人間を喰らうといった痕跡も一切なかった。


 そう。この領内に竜による実害など、ないに等しいのだ。


 竜問題解決のための新しい進展など、あってもなくても、トビアス氏にさしたる「利」はないはずだ。

 それなのに、最高級の客人と同等の待遇を用意した。領内の詳細な地図まで貸し出した。屋敷内も領内も、どこでも好きに見て回り、施設も自由に利用してよいとお墨付きを与えた。

 当然、その厚遇に見合う代償を求められることなど、早い段階で予見していた。


「そうですね……彼も、懸命に取り組んでいるようですが……」


 曖昧な言葉で、相手の反応を窺う。この年若い当主は、柔和な笑みの下に、どんな腹黒さを抱えているのか。

 大領主とは得てして、そうした者にしか務まらない。僕の父も、家族としてはどこまでもお人好しで優しい男だが、一領主として政治や社交の場に立つときは権謀術数を巡らす切れ者だから、よくわかる。


 今、ここに頼れる父はいない。

 貴族社会での戦いは、僕が矢面に立って、カルロを守らなければならないのだ。


「前代未聞の研究のようですから、なかなか……僕も心配しています。成果は勿論ですが――期限も、ありますから」


 口にしたのは、賭けだった。


 僕は、トビアス氏が求める見返りに、二つ、見当がついていた。

 どちらを求められているのか――それを見極めるための質問。


 ぴくり、と目の前の笑顔が反応した。どうやら、こちらの意図に気付いたらしい。


 可能性の一つは、カルロの研究成果そのもの。

 例えば、レーヴ領で研究し開発されたカルロの魔法の権利は全て、レーヴ領に属す――と主張される可能性がある。カルロがここで竜にも対抗できる未知の魔法を開発したならば、とんでもない利を生むことになるからだ。

 だがこれは、国防や経済といった様々な要素が絡むため、僕やトビアス氏の一存で決められる範疇を超えている。

 ましてカルロがここで研究を始めたのは、成り行きだ。僕らの滞在を許した最初の理由とは思えない。


 だから本命の見返りはきっと――もう一つの、可能性。


「そうですね。――社交シーズンも、間近に迫っておりますし」


 にこり、と清々しい笑顔で僕の発言に乗って来たトビアス氏に、予想が当たったことを確信し、心の中で安堵の息を吐く。


 よかった。それなら、僕の差し出せるカードが、ある。


「はい。……では、今年の社交では、ベアトリス嬢のデビューもお考えなのでしょうか」

「そうなんですよ。少し早いかもしれませんが、不安定な情勢が続く世の中でしょう。兄馬鹿かもしれませんが、少しでも幸せな結婚を早く用意してやりたくて」

「わかります。僕にも妹がいますから。……僕の妹は、大変な引っ込み思案で、結局社交デビューもしないまま、こんなことになってしまいましたが」


 お互い、高位貴族の慣習をよく知る者同士。相手が何を言いたいかわかった途端、一瞬張りつめた部屋の空気は、すっかりと和んでいた。


「ベアトリス嬢にも、一度お会いしましたよ。大変愛らしく、美しいお嬢様でした。年齢の割に利発そうなところも、頼もしい」

「えぇ。歳が離れた妹故、皆が甘やかした結果、少し気が強いところがあるのが、玉に瑕なのですが」

「御冗談を。女主人として家を切り盛りするなら、気の強さはむしろ長所です。何より、甘え上手は愛され上手。カルロは魔法に関してはまぎれもなく、天下に比類なき天才ですが、領地運営や貴族社会については素人です。上手く甘えて掌で転がしながら、しっかりと手綱を握る奥方が合うことでしょう」


 苦笑してこちらから告げると、トビアス氏の笑顔からすっと力が抜ける。

 仮面を被る必要はない、と思ったのかもしれない。


「……よろしいのですか?」

「何が、でしょう」

「彼はまだ、曲がりなりにも、あなたの――――妹、さんの、婚約者でしょう」


 やたらと言葉を選びながら告げられた言葉に、僕は困ったように笑った。


「義理堅く拘っているのはカルロだけです。僕も家族も、事件の後、すぐに婚約解消を申し出ています」

「ですが――カルロ殿は婚約解消に頷かなかった、と聞いています」

「そうですね。困った男です。本当に」


 思うところがないと言えば、嘘だった。


 シャロンの意識が混濁するたびに、思い知る。

 シャロンはきっと、今もずっと、カルロに惹かれている。


 大切な妹の初恋を引き裂くことは、兄として本意ではない。

 だけど僕は――親友の未来を台無しにすることも同じくらい、嫌なのだ。


「もともと、カルロとシャロンの婚約は、純粋な政略結婚です。移民のカルロが国の中枢で魔法職につくために、彼にとって最も良い条件を提示したのがフロスト家だった――それだけです」


 先日のダミアンの言葉が本当なら、当時レーヴ家もカルロに接触していた。

 今と同じく打算たっぷりの思惑を持って、年端もいかないベアトリス嬢を差し出そうとした。


「カルロとの婚約にあたって、フロスト家が彼に求めたのは、シャロンの護衛としての働きだけ――領内や貴族社会の勢力争いについては、何も求めなかった。当時のカルロにとって、貴族社会の打算や煩わしさなしに有力な後ろ盾を得られることは、十二分に価値のある選択だったんです。彼にとっては、『利』しかない結婚だった、と言っても過言ではないでしょう」


 あんな事件が起きなければ、シャロンは今頃社交デビューをして、カルロとの婚姻を大々的に発表し、すんなりと結婚していたことだろう。

 カルロが幼少期から打ち立ててきた名声は枚挙にいとまがない。名実ともに貴族との縁を紡いだ瞬間、爵位を賜るはずだ。叙爵されれば、魔塔でも黒騎士団でも、好きな組織を選べばいい。

 一代限りの爵位であれば、領地は持つこともない。カルロは、得意を仕事にしながら、煩わしい社交も領地運営も気にかけなくてよかった。

 金銭面は魔道具の利権だけでもシャロンを養うには十分だ。シャロンは我儘も贅沢も言わない引っ込み思案。さらに政略結婚にもかかわらずカルロを愛してしまう始末。


 カルロにとっては、全てにおいて都合の良すぎる結婚だった。


 カルロは、危険に巻き込まれる天才だったシャロンを、気にかけて守るだけでよかった。僕たち家族は、それがどれほど大変かを知っていたから、シャロンが毎日安全に暮らせるのなら、それ以上は望まなかった。

 家のための結婚は、家督を継ぐ僕がすればいい。シャロンはただ、幸せを享受していればよかった。


 だけど、そんなのは――今となっては、昔の話だ。


「今はもう、状況が違います。シャロンと婚約を続けていても、彼にとっての『利』なんて何一つない」


 竜となったシャロンが、人間に戻れる保証などない。

 もし貴族と縁続きになれないのなら、カルロはいつまでも魔塔にも黒騎士団にも属せない。

 そんな分の悪い賭けに、人生を賭けて良い訳がない。彼の才能は、世のためになるものだ。いつまでも傭兵なんてしている場合ではない。

 

 それにもしもシャロンを元に戻すことが出来たとして、彼女は世間にどう見られるだろうか。

 可哀想な事件に巻き込まれた被害者?――そんな風に楽観視できるほど、僕もシャロンも、世間知らずではない。


 この一年でも、恐化した魔物や作物が原因で被害を被った人たちがいる。命を落とした人もたくさんいる。

 竜が恐化を引き起こすのなら、シャロンはその元凶だ。

 本人に、人を害そうという意思があったかどうかなど、証明のしようがない。後ろ指を指されることもあるはずだ。素性を隠し、害した人たちに償いながら、ひっそりと生きていくしかないだろう。


 嫡男の僕ならいざ知らず、シャロンは女だ。

 助け出せたとしても、家族として生活の援助は惜しまないが、フロスト家からは籍を抜くしかないだろう。


 フロスト家から縁を切られるシャロンと結婚しても、フロスト家の後ろ盾は得られない。

 ならば、カルロがシャロンと結婚することの「利」など、いったい、どこにあるというのか。


「その点、ベアトリス嬢は、素晴らしい結婚相手です。僕はシャロンの兄ですが、同時にカルロの親友でもあります。カルロには、シャロンやフロスト家のことなど忘れて、幸せになってほしい――心から、そう思っていますから」


 一瞬、何かを言いたげな顔をしたトビアス氏は、それでもそのまま言葉を飲み込んだ。

 黙っていれば、レーヴ家の「利」は果てしない。

 ベアトリス嬢との縁談が纏まれば、今後カルロが打ち立てる華々しい実績は全て、実質的にレーヴ家のものになる。

 優秀な白魔導師ダミアンを排出したこの名門は、カルロを迎えることで、これ以上なく盤石な地位を手に入れる。


 大領主らしい打算の元、トビアス氏は何も言わずに僕の言葉を静かに受け止めたようだった。


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