第13話 高飛車な少女 (Side:アルヴィン)
通された部屋は、本当に、貴族の客人を迎え入れるに相応しい、豪華な客間だった。
部屋付きの従者に挨拶を済ませ、一息ついた頃、女性の使用人たちがずらりと現れた。慣れた様子で風呂の準備をし始める姿に、思わず目を瞬かせる。
「さ、アルヴィン様。こちらへ」
「トビアス様とダミアン様から事情はお聞きしております。噂に違わず、なんとお美しい――我ら一同、心を込めてお世話いたします」
「香油もございます。本日はお疲れでしょうから、心身をリラックスさせる香りをご用意しました。お好みがございましたら、お気軽にお申し付けくださいませ」
「まぁ、美しい御髪が、こんなに……旅の間、満足に手入れが出来なかった分、ここでは我々がしっかりと整えますからね。絹のような手触りを蘇らせてみせます」
「お身体に触れます。触れられたくない箇所がございましたら、遠慮なくお知らせください」
ど……どうしよう。本当に、至れり尽くせりだ……
やって来た侍女たちはレーヴ家の客人を任されるに相応しい熟練者ばかりだった。連携も見事で、あっという間に全身をツルツルのピカピカにされ、戸惑いを隠せない。
実家では、よくこうして世話を焼かれたものの、カルロとの旅で、自分ひとりで全てこなす生活に慣れてしまった。今さら貴族扱いをされる居心地の悪さは拭えない。
てきぱきと入浴と着替えを済ませると、ベテランたちは満足そうに頷いた。
「あ……ありがとう、ございました……」
明日も来ると張り切る女性たちに、僕は礼を言って見送った。確かに、傭兵然とした姿で由緒正しいレーヴ家を歩き回られるのは、彼女たちも困るだろう。それにしても熟練の腕前には、ただ圧倒されるばかりだ。
扉が閉まって、ほっと一息つく。貴族として扱わなくてよいと何度伝えても、そう簡単にはいかないのだろう。どうにも気が休まらない。
たった一回の湯浴みで、かつてと同じ指通りを取り戻した髪に、居心地の悪さを感じながら、深いため息を吐いたときだった。
トントン――
「今度は何だ……?」
ノックの音が響き、僕はげんなりと顔を上げた。旅とは違う疲れのせいで、もうさっさと寝てしまいたいのだが。
本音を貴族らしく仮面の内側に隠し、扉を開ける。
そこに立っていたのは、小柄で華奢な、可憐な少女だった。
「……?」
来訪者に心当たりはない。思わず、まじまじと眺めてしまう。
北方育ちらしい白磁の肌は瑞々しく、日焼け跡ひとつない。結い上げられたプラチナブロンドの髪は、隅々まで手入れされている。年の頃はシャロンより少し下――十二、三歳といったところか。
「ぁ――……」
あどけなさの残る美少女は、僕を見るなり言葉を失った。大きな紫水晶の瞳を囲む白銀の睫毛が、何度も風を送る。
後ろに立っている従者がゴホン、と咳払いをして促すが、少女は黙って僕を見つめ続ける。
仕方なく、僕から口を開いた。
「えっと……レーヴ家の御令嬢、でしょうか……?」
「!」
やっと我に返ったらしい。息を呑んだ少女の頬が、かぁっと赤く染まった。
この歳なら、許嫁がいてもおかしくない。令嬢としての教育は受けているはずだ。
本来、家格が下の者から声をかけることは非礼――そのリスクを負って僕が口火を切った重みも、理解してくれたようだ。
「そ、そうよっ……私は、ベアトリス・レーヴ」
「失礼いたしました、ベアトリス嬢。私はアルヴィン・フロスト。ご尊顔を拝し、身に余る光栄です」
膝を折り、定型句を述べながら少女の手を取り、軽く口付ける。
「このような軽装で御前に立つこと、どうかご容赦を」
「か、構いませんわっ……私も、前触れもなく訪れてしまった非礼がございますものっ……」
高位の貴族令嬢らしく高飛車な物言いだが、頬に赤みが残っている。社交デビュー前なら、初対面の男から正式な礼を受けるのは初めてかもしれない。
とはいえ、この流れはよろしくない。
レーヴ家に直系の幼い妹がいることは認識していた。挨拶は本来、こちらから出向くべきだった。
日も暮れていたし、傭兵の装いでは不躾かと思い、挨拶を明日に回したが――軽率だった。
表面上は冷静さを装い、非礼を詫びる。
「滞在の恩を賜りながら、ご挨拶が遅れ失礼しました。わざわざご足労をいただき――」
「構わないわ。トビアスお兄様が『明日で良い』と仰ったのでしょう。私が、勝手に来ただけだから」
ツン、と澄ました顔で言い切り、ベアトリスはじっと僕を見つめる。
「……?」
挨拶というには無遠慮な視線に、僕は少し首をかしげる。
何というか――ほんの少し、視線に棘があるような。
「わ、私っ――せ、宣戦布告に、来たのよっ!」
「はぃ……??」
威勢の良い発言に、僕は思わずぽかんとして、後ろの従者を見る。目を伏せる神妙な面持ちから察するに、彼も少女を止められなかったのだろう。
「えぇ……と……宣戦布告、とは……?」
フン、と鼻息荒く言い切った少女に、一応尋ねる。
しかし少女は、自分の言葉を撤回するつもりはないようだ。
小柄な身体で胸を張り、手にした扇を突き付け、宣言する。
「私、カルロ・ファレス殿と婚姻を結ぶわ!」
「……へ?」
迷いのない言葉に、思わず間抜けな声が出る。
どうやら、『宣戦布告』の言葉の意味は正しく理解していたようだった。
「そのためには、シャロン嬢との婚約が邪魔なの。可及的速やかに、あなたから婚約破棄を申し出てくれないかしら!」
突き付けられた扇の先を見つめ、思考が停止する。
「……は、はぁ……?」
唐突すぎる幼女の要求に、僕は困惑の声を絞り出すしかできなかった。