こじらせブロンドガールと恋を始めます
あれほど衝撃的な挨拶をされたのは初めてだった。
「僕は五十嵐ツムグ。この髪色はフランス人である母譲りだ。趣味は哲学書を読むことである。今日はエレナ君屈指の誘いだから来たが、如何せん僕は色恋には興味はない」
これが、翡翠色の瞳を持ち、ブロンドの髪をボブにした、一見するとお人形のような顔の女の子の初対面の挨拶だった。
お人形のような外見の女の子がまさか、変わり者の数学教授みたいな喋り方で、しかもまさか合コンの席で「色恋に興味はない」と発言するなんて誰が想像出来ただろうか。
合コンが始まって一時間。何人かの女の子とお喋りをしたが、彼女の挨拶が衝撃的すぎて、何を話したのか覚えていない。
結局つまらなくて、こうしてトイレでぼけーっと休憩している。
「よっ! 啓介!」
トイレのドアが開くと同時に、イカツイ声が響く。
トイレに入ってきたのは、今日の合コンをセッティングした阪口だった。
「阪口……」
「啓介。単刀直入に聞くけど、お前エレナちゃん狙い?」
「エレナ……?」
小首を傾げる俺に阪口は苛立ったように答える。
「ほら、あの一番可愛い子だよ。ハーフの」
「ハーフなら2人いたけど……?」
再び疑問系で返す俺に、阪口は更に苛立ったように声を荒げる。
「だーかーら、右から二番目の茶髪巻き髪のエレナちゃんだよ!」
「あぁ……分かった」
確かにお嬢様系のワンピースを着た、ファッション誌の読者モデルレベルに可愛い子だ。
「てか今日はエレナちゃん以外ハズレだよな。男に縁遠そうな条件の女ばっかだよ」
「その条件って?」
「まずあの右の女!ケバい化粧で周りの男批判しまくりの勘違い女王。それでエレナちゃんの左の女は、自分がいじられることに貪欲な芸人女!あと一番左の女なんか論外だな!」
……五十嵐ツムグだ。
「左の子もハーフじゃん? フランスかなんかの」
「ルックスはさて置き、文学的言葉使いの痛い女だ」
「へぇ……それが縁遠そうな女の条件なんだ」
「そんなことより! エレナちゃん、やたら啓介のこと見つめてるんだよなー。まぁお前女受けしやすいルックスだしな」
「マジ? 別に俺狙ってないけど」
「マジか!」
阪口はイカツイ顔で不気味な笑顔を作った。
「じゃぁ、俺、エレナちゃん狙うから!」
「あぁ。どうぞお好きなように」
阪口に連れられ、トイレから帰還した俺に充てられた席は阪口が論外だと批判していた五十嵐ツムグの隣だった。
ちなみに阪口は無事エレナちゃんの隣に座れたようだ。
五十嵐さんは俯いて文庫本をめくっている。おそらく哲学書かなにかだろう。大音量の歌声が響くカラオケルームで哲学書を読む彼女の姿があまりにも不釣り合い極まりなくて、つい笑ってしまう。
「全員医学部なんでしょー? みんなすごく賢いんだぁ」
横から甘い声が聞こえてきた。エレナちゃんだ。
「そんなことないって!俺みたいなのもいるし!エレナちゃん達だって有名女子大じゃん?」
鼻の下をのばす阪口。
「えー? すごいよぉ! だって人の命助けられるのってお医者さんだけじゃん。すごいよ!ねぇ、ツムグちゃんも思うでしょ?」
俺を含め全員の目線は五十嵐さんに向く。
「……思わない」
「え?」
「生命とは自然の摂理だ。病気で死ぬのもそれはその人の寿命。果たしてそれを作為的にどうこうしていいのだろうか。人にメスを入れて自然の摂理に刃向かう医療というのは一種のタブーではないのか、と僕は若干思うのだ」
……凍った。
場の空気が一瞬にして険悪なものに変わる。
当の五十嵐さんは顔色ひとつかえず小首を傾げ、「……どうだろう?」と付け加える。どうやら空気を読む能力はないらしい。
「こ、この子、ちょっと変わってるから! き……気にしないでね」
エレナちゃんが顔をひきつらせながらも満面の笑みで男達を宥めたおかげで、凍てついた場の空気は徐々に溶けていった。
そしてあたかも五十嵐さんの発言がなかったかのように、三組の男女達はそれぞれキャッキャッして盛り上がりだした。
耳には何も入ってこない。入ってくるのは不快な騒音だけ。そして視界にはいるのはただ一人――すました顔で再び文庫本に目を落とすブロンド美人の横顔。
「ねぇ……五十嵐さん。五十嵐さんが言いたかったのはさ、要は生命を弄ぶことは良くないってことなんだろ?」
五十嵐さんは俺が話しかけたことが予想外だったのか、少し驚いたように顔を上げた。
「……そうだが」
「俺もそう思うよ。さっきの話の続き、聞かせてよ」
「あ、あぁ」
五十嵐さんは戸惑いながらも、嬉しそうに話し出す。
「人間の生命は人間にしか生み出せない。例えばクローンなどは親なしで命が生み出される。しかしそれはフランケンシュタインと一緒だ。作為的に命を生み出すことを僕は命を弄ぶことと同義だと思う」
「俺もそう思うよ。だけど、人の命を医療で助けることも命を弄ぶと同義?」
五十嵐さんはバツが悪そうに上目使いで俺を見た。
「その……先程は申し訳ない。医療を勉強している君達の前で医療を批判してしまって……。別に医療を否定するつもりはなかったのだ……。疑問視していることを伝えたかっただけで……」
先程までの断定口調が嘘のように彼女の言葉が拙くなる。
意外と彼女は自分の考えだけでなく気持ちに正直な人間なのかもしれない。
「別に責めるわけじゃないんだ。五十嵐さんの言ってることは間違いじゃない。ただ俺が一つだけ言い切れるのは、救える命を救わないのは罪だと思うってこと」
五十嵐さんは俯いて、スカートの裾を握った。
気のせいかもしれないけど、コクリと頷いたような気がした。
五十嵐さんの発言で不穏な空気になった合コンも盛り上がりを取り戻し、無事に終了した。
「あ! 五十嵐さん、そっちなの? 俺送っていくよ」
五十嵐さんは怪訝な顔をしながら振り返る。
「何故だ?」
「何故……って危ないじゃん? 女の子が夜道歩くの」
「なら、エレナ君を送って行くべきだろう。エレナ君は麗人だ」
「大丈夫。エレナちゃんを送りたい男はいっぱいいるから。それに……五十嵐さんも綺麗だよ」
「な゛っ!」
声にならない音を発したかと思えば、彼女は顔を紅潮させて翡翠色の目を見開いた。
……なんだか可愛い。
「もしかして綺麗なんて初めて言われた?」
頬を膨らまして、ぷいっと横を向く五十嵐さん。
そんな彼女をエスコートするようにゆっくり一歩ずつ歩き出す。
「色恋に興味ないって言ってたけどなんで?」
「恋愛とは響きは綺麗だが、その根本には無意識的にも自分の子孫を残したいという本能が含まれている。恋愛の中心は生殖だ。僕は今まで子孫を残したいと思ったことはないし、それを考えると色恋をしようとは思わない」
「ふ~ん。ま、そうだよね。勃つ相手でないと恋愛ってできないし」
「な゛っ! 」
五十嵐さんは再び奇声を発し頬を紅潮させた。
……なんだか面白い。
生々しい卑猥な単語を並べて、もっと彼女を困らしてやろうかと思ったが、彼女があまりにも不憫なので話題を変えよう。
と言いつつ、僕が彼女に軽蔑されるのがなんとなく怖かったからだ。
「エレナちゃん達とは大学の友達?」
「他の二人は初対面だが……エレナ君は幼稚園からの付き合いだ。同じハーフというのもあってな……昔からよくしてくれる。今日もエレナ君切っての頼みだったから来たのだ」
「へぇ……エレナちゃんのこと好きなんだ」
「エレナ君は本当に優しい子だ」
五十嵐さんは満足げに笑った。
五十嵐さんって笑ったらえくぼが出来るんだな。
「では、僕はこの駅から電車で帰る。ここまで送ってくれて礼を言う」
気付けば俺達は駅の前まで来ていた。カラオケから歩いて二十分ほどかかるはずなのに……少し早く歩きすぎたんだろうか。
何故か心に隙間があいたみたいな気分になった。
「五十嵐さん、番号教えてよ。携帯の」
「携帯電話は持っていない」
「じゃぁ、明日デートしよう。今日のカラオケ屋の前に二時ね」
ゆっくり喋るつもりがつい早口になる。そして俺はブロンド美人の額に軽くキスをした。
自分でも何故キスなんかしてしまったのか分からなかった。 ただもぅ俺の足は駅と反対方向に歩き出していた。背中のあたりから、彼女が何か言っているのが聞こえたが、耳に入らなかった。
……そうだ。
俺は振り返って彼女に手を振る。
「言い忘れてた!ツムグっていい名前だね!」
大声で叫ぶと、彼女の頬がまた紅潮した気がした。
おやすみ、そう小さく囁くと俺は原付を止めた駐車場目掛けて走り出した。
ピピピッ。
携帯の着信音が鳴る。
ディスプレイに映ったのは知らないアドレスだった。
『エレナです。今日はお疲れ様。よかったら明日会いませんか?十時に今日のカラオケ前で待ってます。おやすみなさい』
「けーすけ君! 来てくれたんだ」
嬉しそうな顔をして、向こうから走ってくるのは間違いもしない、レモン色のワンピースに身を包んだエレナちゃんだった。
昨日のピンクの大人っぽいワンピースも似合っていたが、レモン色のワンピースも爽やかで彼女の可愛さを引き立てていた。
「キレイな色のワンピースだね」
「ありがと」
そう言って、エレナちゃんは俺の手を掴んだ。
結構大胆な子なのかもしれない。一瞬、昨日五十嵐さんにキスしてしまったことを思い出した。
「どこ行くー?」
「俺、二時から用事あるから、あんま遠くまで行けないかも」
「じゃぁ向かい側のショッピングモールでも行く? エレナ、けーすけ君とだったらどこ行っても楽しいし」
彼女は甘えるように指を口にあてる仕草をした。
「そうしよっか」
ショッピングモールに入った俺達は、色々な店に入っては物色した。「これ、けーすけ君に似合う!」とか「けーすけ君にはベストとか着てほしい!」とか言いながらエレナちゃんが俺に服を見立ててくれるもんだから、欲しくない服も買ってしまった。
「じゃぁ次はけーすけ君がエレナの服選ぶ番ね。なんだか恋人同士みたいだね、私達」とエレナちゃんは俺の腕を引っ張り、女の子が好きそうなブランドの店に連れて行かれる。
「どれがいいと思う?」
「エレナちゃんなら何でも似合うんじゃない? あ、これ……」
俺の目に留まったのはアイボリーのワンピースだった。
「これ?」
「いや……五十嵐さんに似合いそうだなって」
「え……。そ……そう? 似合うかなぁ」
「絶対似合うよ」
「そ……そうだ! なんかお腹空いちゃったね。屋上に美味しいクレープ売ってるんだ。行こう」
エレナちゃんは話題を変えるように、屋上に上がる階段へ向かって歩き出した。
「五十嵐さんって何であんなに哲学が好きなの?」
「あー、お父さんが哲学の教授なの。ツムグちゃん、昔から友達いなかったからずっと哲学の本ばっっかり読んでたんだって」
「そうなんだ。エレナちゃんは五十嵐さんと友達なんだろ?」
「うーん……」
言葉を濁す彼女。
俺達は外界の光に誘われるように屋上に出た。
「五十嵐さんは少なくともそう思ってるみたいだけど」
俺、なんでこんなに彼女を突き放すようなこと言ってるんだろう……。彼女は超可愛い女の子で、しかも俺のこと好きかもしれないような子なのに。
「なんかけーすけ君、さっきからツムグちゃんの話ばっかだね。そんなにあの子が珍しい?」
「珍しいからじゃなくて……なんて言うか面白い」
「それ……気があるって意味?」
「……そうかも」
俺がボソッと囁いた直後、エレナちゃんは顔を歪ませて叫ぶ。
「何それ!エレナとデートしといて、あの子が気になるなんて……最っ低!」
「ごめん」
俺はエレナちゃんの目を直視した。エレナちゃんは興奮気味に俺を睨み付けた。矢先、彼女は吹っ切れたように「あーあ」と言って空中に目をやる。
「最悪。せっかく医大生との合コンって言うから、私が引き立つような底辺の女ばっか選んだのに」
「底辺?」
「そ。ブスのケバ女にいじられ担当芸人女。それと哲学的なことばっか話す痛い変人女」
軽蔑するように俺を見ながら、ペラペラと本性丸出しで喋る目の前の女は、完全に開き直っていた。
「ふーん。残念だったね」
「何よ!」
「君より五十嵐さんの方が断然キレイだよ。てか彼女達が底辺なら、君はドン底のいたーいナルシスト女だよね」
ナルシスト女は顔を真っ赤にして鬼のような形相をしたかと思うと、「死ね!」と捨て台詞を吐き捨て階段を駆け降りて言った。
……ブース。
「きゃぁぁっ」
女性の悲鳴が聞こえた直後、背後からざわめきが起こる。
振り返ると屋上に人盛りが出来ていて、俺も人を掻き分けるようにその中に入った。
「危ないで! お嬢ちゃん」
そう叫ぶ青ざめたおじさんの視線の先には、転落防止のためのフェンスを越えた女の子が一人立っていた。
公然自殺かよ?
そう思った直後、風になびくブロンドのショートカットに見覚えがあることに気付く。
!!
――五十嵐ツムグ!
「五十嵐さん! 何してんの!?」
俺はがむしゃらに人だかりを掻き分け、ギャラリーの最前列に出る。
「子猫が降りられなくなってしまったらしく」
瞬間、大きなざわめきが起こる。
子猫が落ちてしまいそうになったのだ。子猫は必死に角にしがみついている。
「怖くないからな、こっちだ」
五十嵐さんは子猫に手を伸ばし、子猫の救出をはかった。
子猫は五十嵐さんの腕の中にすっぽりと収まっている。
俺がフェンス越しに五十嵐さんへ駆け寄ると、彼女から子猫を託された。
一人の勇敢な女の子の救出劇にギャラリー達の歓声が上がる。
「五十嵐さんはなんでここに?」
「君との約束の一時間前についてしまってな。カラオケ店からふとこの建物を見上げたら怯えている子猫が見えたのだ」
「なるほど。さ、五十嵐さんも早くこっちに」
「あぁ」
五十嵐さんがフェンスを越えてこっちに来ようと向きを変える。
「あ……っ」
五十嵐さんは足を踏み外し、バランスを崩す。まるでスローモーションを見ているみたいで、世界は無音になった。考えを張り巡らせる前に俺の体は二人を隔てる柵を飛び越え、片腕を彼女の体に回し、片手で柵を掴んだ。
世界に音が戻っていく。初めに感じた音は自分の激しい心臓音だった。
「はぁ……」
俺は彼女を引き上げ、無事にフェンスを越えて屋上に生還した。
まだ心臓がバクバク鳴っている。
「なんでこんな危ないことしたんだよ?」
珍しく苛立ちながら彼女に問い掛ける。
彼女は綺麗な瞳を真っ直ぐに俺に投げかける。
「救える命を救わないのは罪だ、という君の言葉を、僕が正論だと思ったからだ」
呆れとほんの少しの嬉しさに、苛立ちは徐々にひいていく。
「だからって……五十嵐さんが死んだら意味ないんだよ」
俺は頭を抱え、脱力するように地べたにしゃがみこんだ。
「君が僕の名前を褒めてくれた時に、出産予定日より早く産まれた僕に、両親が『命を紡ぐ』という意味を込めてつけてくれたことを思い出したのだ」
彼女の顔を見上げると、それはどこか誇りに満ちていた。
「子猫の命も君が紡いだ」
「僕は思う。これからは自分以外の命も紡いで行きたいと。新しい命を紡いで行きたい」
「それって五十嵐さんが興味のない色恋の根本だろ?」
彼女の顔が少し赤くなった。林檎みたいだ。
「そうだ。そして……願わくば君とな」
「え……っ!?」
あまりに唐突すぎて奇声を上げてしまった。
「それって告白ぶっ飛んで求婚レベルだよ!?」
俺は笑う。
彼女はコクリと頷いた。
俺は自分の耳の辺りが火照るのを感じた。
十年ほど前に書いた短編小説を少し改編したものです。
よろしければ評価いただけるますと、とても嬉しいです❀