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白蛇様の、愛弟子のいい仕事  作者: 相良徹生
白屋敷の調香師
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第9話 皇帝陛下の調香師

「私は才人の香は調合しないぞ」


 杏璃が後宮に行った次の日、朝一番に八仙バシェンの言付けを白蛇に伝えた返事はこれだった。

 断るならまだしも、思っても見ない答えに杏璃シンリーは目を見開いて口を開いた。


「調合しない?なぜです?」


「なぜって……私は妃嬪からの依頼しか受けぬ」


「妃嬪って——皇帝陛下の妃嬪は6人、太子の妃嬪は3人ですよ」


 皇帝には正室である皇后が1人。妃嬪が6人いる。太子の正室はまだ決まっておらず、妃嬪は3人だけいる。

 いや、今は2人だ。

 太子の四妃嬪とは言われているが、芳蘭妃は亡くなり、1人は病気で一時的に国に帰っているのだ。

 皇帝の寵愛を受けるのは一握りだが、それ以外も数千人の女が後宮にはいる。その全ての女の香を用意すれば、さぞかし財を成すことが出るだろう。実際白蛇もそうやって名を上げたと思い込んでいた。


「合わせても10人もいませんけど……」


「そうだ」


 当然だろうとでも云う様子で、白蛇はごろりと寝転がって言った。

 白蛇は見かけこそ貴人だが、良く言えばどこか無邪気で子どもらしい、悪く言えば大人気ない振る舞いをする。

 そんな様子に杏璃は驚いたり呆れたりしつつも、最近では慣れていった。


「9人の方の香しか作らないのですか?」


 それで儲かるのか、と口から出かかったがなんとかこらえた。

 商家で育ったので、どうしてもお金の事は気になってしまう。高貴な方の不思議な世界だろうか。


「性格には11人だな。私は国母様に嫌われているから。彼女は王宮の尚香院しょこういんの調香をご愛用している。皇帝陛下と太子の香の調香は私の担当だ」


「え」想像の上の答えに、なんだか間抜けな声を発してしまう。


「なんだ、知らなかったのか?私は御香司ごこうしだぞ」


 ごこうし?知らない言葉だ。

 だが御がつくということは、皇帝陛下の勅命で働く職人のことだ。


「そうですとも、白蛇様は皇帝陛下の調香師でございますよ」


 そんな様子を横目に見ていた雲華が、お茶を用意しながら口を開いた。

 最近は昼頃になると、工房でお茶と一緒にお菓子を楽しむのが習慣になっている。

 白屋敷に来てから、これまでの人生で食べた分より多くのお菓子を味わった気がする。痩せていた杏璃も少し肉付きが良くなって、細かった手首と頬に肉がつき、少しふっくらしてきた。ゴワゴワしていた髪も薬湯で洗うためかで手触りが良くなり、隼星にもらった軟膏を寝る前に手に塗っているおかげで爪に艶が出てきた。

 外見など気にしたことのない人生だったが、最近は鏡台でまじまじと自分の顔を見てしまう。

 妃が豪奢な鏡台を私室に置き、大事にしていたのも今なら納得がいった。


「——知りませんでした」


 美味しそうなお菓子から目を塗りやり剥がし、杏璃はポソリと言った。


「白蛇様は2年に一度開催される御前調香会ごぜんちょうこうかいで優勝した、首席調香師ですのよ。優勝すると御香司ごこうしの役名をいただけます。つまり、天鷹宮てんおうきゅう一の天才、国一番の調香師、世界最高の御方です。毎回白蛇様が優勝しているので、ずっと白蛇様は御香司なのですよ」


 雲華が自分の事のように胸を張って言う。


「御香司は皇帝陛下の香を調香する誉高いお仕事を担当するのです」


「すごいですね……」としか言えない。


 王宮の一角に工房を持てるとは、只者ではないとは思っていたが、そこまで高位の顧客がいるとは思っていなかったのだ。

 皇帝陛下の香を調合する。信じられない世界の話だ。


「といっても帝は伝統でまとう香が決まっているからな。調合も三百年前から変わっていないから、誰にでもできる退屈な仕事さ」


 白蛇はつまらなそうに言う。謙遜ではなく、本当にそう思っているようだった。寝転がって包子をもくもくとほおばる様子は、とても皇帝のために働いている人には見えなかった。


「御前調香会で優勝すれば、誰でも作れるさ」


 知らないことが一杯である。

 杏璃は一口包子をかじる。口いっぱいに胡桃の香ばしい甘みが広がった。

 甘い胡桃餡が入った包子だった。杏璃としては、信じられない贅沢だ。


「妃嬪の媛様方に白蛇様は大人気でございますのよ。安請け合いはいたしません」


「そうですか……」


八仙バシェン殿の香はお前が作ればよろしい」


 思わぬ発言に、杏璃はお茶を吹き出しそうになった。

 ——わたしが調香?!


「無理……などと言っている場合ではないぞ。お前、なんのために私の弟子になったのだ。妹を探すのだろう。恩を売り客を増やせ」


「——確かに」


 調香師となり名を売れば、後宮内の方々を顧客に持つこともあるだろう。そうしたら、後宮に出入りができるようになり、知り合いが増えれば妹の行方が探しやすくなる。

 たしかに白蛇の工房に出入りして、色々な香料を眺めて基本的な香の原理は覚えた。

 だが、私にできるのだろうか?

 それでもやるしか無いように思えた。

 少なくとも、八仙様は親切にも赤毛の娘を紹介してくれると申し出てくれた。あの方にふさわしい物は用意してあげたい気持ちはある。


「わ、わたし、挑戦いたします。白蛇様、ご指導お願いいたします」


「うむ。真面目な弟子を持つと気が引き締まるよな。雲華ユンファ、お前に似て杏璃は出来がよい」


「白蛇様、せめてお茶は起き上がって飲んでくださいまし」


 その時、部屋の香りが切り替わるように色を変え、正午の時を告げた。

 今ではすっかり馴染んだ香時計の合図だ。


 正午を告げる鐘の音とともに、色彩が静かに変化した。

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