7. 純の初めての失恋
少年のように無邪気に顔をほころばせる敦志を可愛いと思いつつ、しっかり釘も刺す。
「本番も毎日調子は違うから、それに柔軟に対応していくことも大事だぞ」
「やっぱり純さんも毎日違います?」
敦志は恐々といった様子で振り返った。
「当たり前だろ。その日の調子を受け入れて折り合い付けてやるのはプロでも普通だよ」
彼の広い背中を見ると、ついぼやきたくなる。
「あー、くそ、お前の体格が改めて羨ましくなってきたな。俺なんか、お前より八センチも小さいからスイングの半径相当小さいんだぞ? どう考えたって飛距離出ないだろ。筋肉量も少ないし」
「でも、それをハンデにしてないでしょ? 飛距離だって平均以上あるし、パットもうまいし。……それに、日本オープンのローアマも、学生選手権も獲ってる。プロテスト一発合格で初年度から活躍して二年目シード選手だし。どれも俺が持ってないタイトルばっかりですよ。キャディやらせてもらってよかったです。俺が去年なんでプロテスト落ちたか分かった気がします。ここ一番って時の集中力が全然違うし、日頃からの過ごし方も……。俺、純さんのプロ意識を尊敬してます」
「……褒めてくれるのはありがたいけどさ。せっかく試合ない日まで俺と練習って、お前も相当のゴルフ馬鹿だぞ」
「あはは。そうっすね」
敦志はゴルフ馬鹿という言葉を気にかける様子もなく、スポーツドリンクをぐびぐびと一気飲みしている。今日は湿度が高いから、蒸し暑くて喉が渇いたんだろう。喉を伝う汗に色気を感じてしまい、慌てて目を逸らす。
「俺の初優勝の時に会場にいた子、カノジョなんだろ? いいの? ほったらかしで」
聞きたくない答えが返ってくるかもしれないと思いながらも、つい聞いてしまう。
「バレてました? まあ、いいじゃないですか。てか、純さんこそどうなんです? 付き合ってる人とか」
ごまかされた上に逆襲された。こういう時は喋りすぎないに限る。俺は端的に答えた。
「今はいない」
「意外。ゴルフの王子様って持てはやされてるから、てっきりモテモテなのかと思ってた。そう言えば学生時代も告白した女の子、片っ端から振ってましたよね」
目を丸くしている敦志は、俺をからかっているようには見えなかった。そう、俺も敦志ほどではないがモテた。でもゲイの俺はそもそも女の子とは付き合えないから『今はゴルフに集中したい』という理由で、いつも丁重にお断りしていた。そのせいで、「星田さんの恋人はゴルフ」と呆れ半分に噂されていたのも知っている。俺が表情を硬くしているのを見、遠慮がちに敦志が聞いてくる。
「前はいたんですよね?」
「……うん、いたよ。でも、もう終わったことだから」
「どんな人だったんですか」
今はいない、の一言で逃げ切るつもりだったが、なぜか敦志は追及してくる。思わぬ服のほころびを見つけられたような気分で、俺は小さく苦笑いを浮かべた。
「年上で、スマートで……優しい人だったよ。俺にはもったいないくらいの」
「なんで別れたんですか」
俺は練習場の一番遠いグリーンを見つめる。
「……分からない。未だに俺の何が悪かったのか、分からないままなんだよ」
小さく溜め息をついて瞼を閉じると、脳裏に浮かぶのは、練習場のロッカールームで熱いキスを交わしていた元カレと俺の同期ゴルファーの姿だ。
俺に見られて慌てふためいたのも一瞬、堂々と「別れてくれ」とその場で言われ、逆上してキャディとしてもクビを言い渡した。
どうして浮気されたのか分からない――ずっとそう思っていた。でも、きっとこれが恋愛というものなのだろう。どんなに信じていても、全てがうまくいくとは限らない。あの頃の俺は、それを受け止められるほど大人じゃなかったんだ。自分は悪くないって思っていたから、ブチ切れて終わった。だけど、本当に何も悪くなかったのかは分からない。冷静に、あるいは多少は感情的になっても、元カレと話し合っていれば、こんなに失恋を拗らせる必要はなかったのかもしれない。
……全て結果論だけどな。そう思うと、つんと鼻が痛くなった。俺は無理やり笑顔らしきものを浮かべた。
「俺が子どもだったんだ」
「……その人が見る目なかったんですよ」
「え?」
「純さんは悪くないです。その人、絶対後悔してますよ」
敦志は眉をひそめて吐き捨て、少し怒っているようにすら見えた。もしかして、俺のために怒ってくれてる……?
「……そうかな。そう言ってくれるの嬉しいよ。ありがとな。……でも、あの頃は本当に何が正しいかも分からなくて、ただその人を信じてたんだ」
俺のために怒り、慰めてくれた敦志にお礼の気持ちを伝えたくて、何とか笑顔を作ろうとしたが、なんだか泣けてきてしまう。俺は「ふはっ」と空を仰いで涙を逃がすのに瞬きする姿を見られまいとした。
「……話、変わりますけど。純さんて、その茶色い髪、地毛なんですね。染めてるのかと思ってたけど」
「? そうだけど、急に何で?」
「いや、今、ちょうど西日が睫毛に当たって透けて見えて。髪と同じ色だから」
てか、えっ、何そのときめき台詞! 敦志は目を眇めている。西日が眩しいのだろうが、少し眉をひそめた表情は俺がこれまで見たことのないものなだけでなく、男の色気まで滲んでて、俺の心臓はおかしな音を立てる。
「……敦志。それ、女相手だったら『君の髪綺麗だね』とか言ってそのまま口説くパターンじゃねえの? 俺にそんなの言っても、何も出ないぞ」
そんな目で俺を見るな。そんな口説き文句みたいな言葉で俺を惑わすな。勘違いするじゃんか……。西日に照らされているのを隠れ蓑にしているけれど、今、俺の頬は確実に赤い。少しでも隠したくて、火照った肌を冷やすふりでペットボトルをこめかみに宛がう。