4. 初優勝、初めてのハグ
その後数試合も、敦志は申し分ないどころか素晴らしい働きをしてくれた。元々彼はいいゴルファーで、コースの起伏や曲がり加減、風、芝の状態、自分の飛距離や持ち球をよく把握してコース攻略する戦略性もあるし、苦しい局面で辛抱強い粘り強さもある。だから、キャディとしても素晴らしかった。
「このホールは曲がってるし細いですから、無理に飛ばさず、曲がり角でいったん落としましょう」
「思い切って狙っていきませんか?」
押し引きの駆け引きが絶妙なのだ。押しの一手になりがちな俺は、そのスマートさに痺れた。戦略だけではない。彼は、難しい局面でのパットを決めた時は率先して、マスコミが名付けた「純ポーズ」という、親指を立てて片膝をつくガッツポーズを率先して取って俺を笑わせてくれた。メンタルまでうまくサポートしてくれる。
強気に明るさが加われば、お調子者(不本意だがマスコミにはそう言われる)星田純の真骨頂だ。
ただひとつ。元カレがキャディをしている同期プロと微笑み合い、時折こっそり指を絡めたりする姿を目にすると、やっぱり落ち込んだ。ハグとか、目立つ接触は俺に気を遣って避けている様子なのも、失恋で今もじくじくと痛む傷口に塩を擦り込まれた気分にさせられた。だからと言って、試合会場で避けて通るわけにはいかない。二人の睦まじそうな姿を見るたび、俺はいつも奥歯を食いしばって耐えた。
その日、最終ホールでのパットには勝負が掛かっていた。それぞれの組には、上位選手の名前とスコアが掲示されているスコアボードを持った係員がついてくる。ボードで確認し、あと一打縮めれば初優勝に手が掛かると気づいていた。
なのに、よりによってボールが付いている位置は、曲がる、難しい下りのラインだ。パットは、カップより下の位置から打ち上げるより、上から打ちおろすほうが一般的に難易度が高い。しかも、このグリーンはデコボコしていて、途中で左右に何度か曲がりそうだ。でも、恐れることはない。打ち始める位置と、カップとの関係で、打ち出すだけだ。
……頭では分かっていても、初優勝が掛かっているとあって、俺は武者震いした。
「純さん。リラックスしてくださいよ。学生選手権の時のあの下りに比べたら可愛いもんじゃないですか。あの時は外して、三回もパット打ったでしょ? それに比べたら、これなら少なくとも二打あれば入る。そしたらプレイオフ[6]するだけです」
俺の緊張を見抜いた敦志は、グリーン上で泰然と腕組みし、敢えて俺を挑発してくる。俺は「ふはっ」と笑った。
「スリーパットとか不吉なこと言うなよなー。絶対一打でキメてやる」
俺の強気な言葉に、満足げに敦志は頷いている。ひりつく勝負に程良くアドレナリンが出ている。身体が熱い。俺は構えに入る。力まず、するりとパターを押し出した。十五メートルはあろうかという距離、しかも下りだし途中はうねっている。だが、ボールは意思を持って辿り着こうとしているかのように、するするとカップを目指していく。
……入った‼
「ナイスバーディー!」
「純君おめでとう!」
「すごいパットだ。これで勝負は付いたんじゃないか?」
敦志と一瞬目線を合わせ、どよめき歓喜する観客に向けて二人で純ポーズを決めると、更に熱狂が起こった。
このバーディーが決定打となり、俺は初優勝を手にした。
後続選手が追いつけず、優勝が決まった瞬間、俺は感極まって敦志の首にしがみ付いた。敦志も俺の背中に手を回して抱き締め返してくれる。しなやかな胸に顔を埋めて息を吸い込むと、一日重たいキャディバッグを担いだ後の彼からは芝と汗の匂いがした。……もっと彼の体温と香りを感じていたい。シュッとして見えても肩や胸の厚みはさすがアスリートで、しっかり筋肉が付いている。敦志ってこんなに良い身体してるのか……、やだ萌える。もっと触れていたい。でも、さすがにこれ以上くっ付いてたら、アスリート同士のスキンシップとしては不自然だと思われちゃう。いや、だけど、あと少しだけ……。
未練がましく数度躊躇してから俺はそっと彼から身体を離した。目の前の敦志は何の曇りもない満面の笑顔で、疚しいことを考えていた俺は少し申し訳ない気持ちにさせられる。
落ち着け。この後は表彰式だ。初優勝した若手として、ファンに応えるのも俺の仕事だ。初優勝と敦志との抱擁の興奮に震える指先を握り締め、そして開く。肩を回して軽くジャンプする。
アスリートはスキンシップが多めな業界だ。とりわけ有名なのは、フィギュアスケートのキス・アンド・クライだけれど、ゴルフだとそこまで行かない。特に男同士は、握手やハイタッチくらいで終わることが多い。男の肌の感触に飢えてきたクローゼットゲイの俺にとっては、一回のハグでも重大事件なのだ。とは言え、今は仕事だから、何とか取り繕って表彰式に臨んだ。
優勝インタビューでは、アナウンサーからこの日のウェアの色を尋ねられた。
「星田プロと言えば、日曜は赤いポロシャツのイメージがありますが、今日は白ですね」
「はい。この大会の優勝ブレザーが水色なので、赤と水色じゃコーディネートが変かなと思って。それで白にしました」
日曜の赤は、ゴルフ界では誰もが知る色だ。リスペクトするプロゴルファーに倣って普段の日曜は必ず赤を着る俺が、そのルーティンを敢えて外した。もう、優勝する気満々だったと言わんばかりの俺の率直な答えに爆笑が起きた。観客が笑ってるのはいいサインだ。会場を見渡し、お笑い芸人みたいに内心冷静に計算しながら愛想の良い笑みを浮かべた。
「応援してくださったファンの皆様、スポンサーの皆様、大会運営に携わってくださった協会やボランティアの皆様。支えてくれたコーチやマネージャー、家族、そして苦しい四日間を一緒に戦ってくれたキャディの千葉君に感謝します」
ここで大きくトロフィーを掲げる。その重みに初優勝の感動が甦って来て、さすがにちょっと涙が滲む。目が眩むほどのカメラのフラッシュがたかれた。
[6]全員がプレイし終えた後、一位タイの選手だけで戦い、優勝者を一人に決めること