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3. 国内シーズン開幕

 元カレと顔を合わせたのは、練習場だった。俺と別れる原因になった今カレ――俺の同期ゴルファーでもある――と一緒だ。今期は彼と公私のパートナーを組むことにしたらしい。気づいていない振りで視線を向けずにいたが、ふと見てみると、彼らは俺を見ていた。


 特に元カレは、申し訳ないような、俺を案じるような表情すら浮かべているから居たたまれない気持ちになる。そして彼らが時折微笑みながら見つめ合っているのには、新たな傷口ができて血が噴き出るような気すらした。


 去年は、あの優しい視線の先にいたのは俺だったのに……。


 俺の背中に添えられる彼の五本の指の感触すら思い出せるほど生々しい記憶だ。自分でも顔がこわばるのに気づく。練習場のロッカールームであの二人が熱烈にキスしていた場面を思い出し、熱い鉛を喉から押し込まれたような苦しさが腹のあたりでもやもやする。


 俺は素早く視線を彼らから逸らした。確かに俺は裏切られて傷ついた。でも、その傷を傷つけた相手に知られることには自尊心が痛んだ。いっそ何もなかったように振る舞って欲しかった。ただの仕事のバディを解消しただけなんだって態度でいて欲しかった。こっちもそう思い込めたらどんなに気が楽だろう。


 敦志は何か察したのか、明るい声で場所を変えようと提案してきた。


「純さん。もうショットは良さそうだから、バンカーかグリーン周りの練習に行きません?」


 敦志に軽く肩を抱かれて導かれるままにグリーンへ移動し、パットの練習に移った。俺は確信した。敦志は、彼と俺の間に「何かあった」ことに気づいたって。しかも、サウジの時とは違ってボディタッチしてくるのは、俺を守ろうとしてる……?

 敦志は俺に何も聞かないし、表情も変えなかった。そのお蔭で俺は練習に集中することができた。


 会場にはコーチも来てくれ、練習の様子もチェックしてくれる。


「サウジに続いて調子良さそうだな。千葉君との息も合ってるし、初戦から飛ばして行こうぜ。……純。ちょっと」


 彼に手招きされ、敦志を置いてコーチに近寄る。深刻そうな表情で、何が言いたいか大体予想は付いた。


「大丈夫なのか、純」

「…………」


 予想は当たった。俺の沈黙を、無視あるいは理解していないと取ったのか、コーチは追い打ちを掛けてくる。


「随分男前じゃないか、千葉君は。一試合だけならと思ったけど、ずっと頼むんだろ」

「ただの大学の後輩ですよ。あいつノンケだし、俺、面食いじゃないし。知ってるでしょ?」


 コーチは、去年のキャディと俺が付き合っていたことを知っている。……シーズン開始直前に別れたことも。

 俺より六つも年上で世慣れた雰囲気はあったけれど、いわゆる美男子ではない元カレを引き合いに出し、好みのタイプとは違うと俺は嘘をついた。


「それならいいんだがな。とにかくプレイに集中してくれよ」


 望むところだ。このコースは去年も回ったから土地勘もある。俺は最初からガンガンに攻め、5バーディー[1]・1ボギー[2]の通算4アンダー、十位で初日を終えた。トップテンに入ると賞金もポイントも大きい。二日目は更に順位を上げて九位だ。この試合最終日の日曜には、大勢の観客が訪れて俺を応援してくれた。ひとホール終えるごとにグリーンを取り囲んでいた人たちから声を掛けられる。


「星田プロ!」

「純くーん!」


 頭は既に次のホールの攻略に向かっているが、呼びかけられればなるべく笑顔を向けてサンバイザーのつばに軽く指を添えて応える。


 コーチの持論だが、ファーストネ―ムに「君・ちゃん」付けで呼ばれるのは、人気と実力を兼ね備えた国民的スター選手の証だと。ゴルフに詳しくない人でも知っている。

 例えば石川(いしかわ)(りょう)プロは「遼君」だし、宮里(みやざと)(あい)プロは「藍ちゃん」だ。試合に勝っても負けてもニュースになる、そんな存在。


「だから『純君』って呼ばれるのはありがたいことだ」

 コーチはいつもファンサービスを怠るなと言ってくれる。彼は元ツアープロ[3]として試合にも出ていたから、人気商売でもあるプロの世界をよく分かった上でのアドバイスだと、ありがたく受け止めている。そして、自分で言うのもなんだが、今の俺は人気上昇中の若手プロだ。「甘い顔立ち」「端正な王子様」などと雑誌や新聞に書かれるくらいだから、ルックスも悪くないんだろうとは思っている。別れた元カレも、よく褒めてくれたっけ。


「長くて濃い睫毛、整った目鼻立ち。可愛くて格好良いよ、純」


 ……やべえ。元カレ思い出したらへこんで来た。気持ちが通じ合っていると信じていた相手は他の人を好きだったという初めての失恋はまだ尾を引いている。

 若干同性愛(ホモ)嫌悪(フォビア)気味なスポーツの世界で、ゲイだと知られるのが怖くてずっと隠れていた俺に、ようやくできた彼氏だった。あんな終わり方をしたから、『俺を必要としてくれる人なんか、いないんじゃないか』という恐怖がまとわりついて俺を離さない。


 小さく溜め息を漏らすと、すかさず敦志が横からスポーツドリンクのペットボトルを差し出してくる。


「次のホール、昨日ボギー打ってますからね。気合い入れて最低でもパー[4]、できればバーディー取りましょう。今日のピン位置(グリーン上カップの切られている場所)[5]は難易度高くないはずですよ」


 ニコリともせず、厳しい言葉だが、彼が叱咤激励してくれているのは分かっている。表情を引き締めて頷き、クラブを手にした。


 日本ツアー初戦、俺は結局九位で終えた。


「悪くはない。でも、千葉君とのコンビのよさを考えたら、もっと行けた試合だったかもしれないな。次戦はもっと上を目指して頑張ろう」


 コーチからも厳しいコメントだったが、俺への期待こそだって伝わって来たから、素直に聞くことができた。

本話だけ、脚注が多くなっています。なお、ゴルフに関しては雰囲気で流して読んでいただいても、ほぼ恋愛の展開には影響はありません。


[1] そのホールの規定打数より一打少なく回ること

[2]そのホールの規定打数より一打多く回ること

[3]トーナメント(試合)に出て戦い賞金やスポンサー契約で生計を立てているプロのこと。対して、人に教えることを中心にしている「レッスンプロ」も存在する

[4] そのホールの規定打数通りで回ること

[5]カップにはピンが刺されるので一般的にこう呼ばれる。同一試合期間中でも、毎日ピン位置は変わる。同じホールでも、ピン位置により大きく難易度が変化することもある

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