1. 始まりはスポットの依頼
今夜から八夜連続で、J庭57新刊冒頭の試し読みとして連載します。
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俺は困っていた。
再来週に迫る海外試合を控えながら、キャディがいない――いや、正確には「自分で辞めさせた」のだ。
プロゴルファーとして二年目、ようやくシード権を手にして国内外の試合に出場できるようになったというのに、こんな状況では試合どころではない。冷静になれば分かる。キャディはただの同僚ではなく、選手にとっては戦友であり、孤独な試合を支える唯一の味方だ。
それを、ただの――と今の俺には言い切れないが――感情のもつれで失ったのだから。
「……何してんだろ、俺」
車を止めた路肩で一人嘆く。元カレの裏切りに怒りを覚えたはずが、今は自分の軽率さを呪いたくなる。大学ゴルフ部時代の監督の顔が頭に浮かび、すぐさまスマホを手に取った。
『もしもし』
「監督、星田です」
『おお、純か。どうした』
「実は俺、キャディいなくなっちゃったんですよ。国内ならまだしも、再来週の海外試合を何とかしなきゃいけなくて。一試合だけでも担いでくれる後輩いないかなと思いまして。誰か心当たりありませんか?」
『ええっ、このタイミングでキャディがいないのか⁉ 珍しいな、お前がキャディを切るなんて』
「……まあ、色々あったんですよ」
俺が言葉を濁すと、監督はあまり追及せず素直に受け取ってくれた。
『プロの世界は厳しいからな。……そうだな。千葉はどうだ、一年後輩の』
「千葉って、千葉敦志ですか……」
俺の脳裏に彼の姿が思い浮かぶ。百八十センチの長身に秀でた額、意志的な目元。プロゴルファーを父に持つサラブレッドでハンサムな彼は学生時代からエグイくらいモテていて、彼女が切れる間もないほどだった。ルックスだけでなく性格も明るくて、ノンケだと分かっていても俺も密かに憧れた。
でも、キャディと恋愛感情を絡めてうまく行かなかった時のどん底な気持ちを今まさに味わっている俺は、彼にキャディを頼むのをためらった。恋愛に絶対発展しなさそうな、好みと真逆のタイプがいいのに、って思ったから。
『どうした? 千葉なら、去年のプロテストを一打差で逃したほどの腕があるから、今年は絶対合格するだろう。そのセンスで、キャディとしてもお前の役に立つはずだ。プロ入りしたらすぐに海外試合に出て行ってもおかしくない選手だしな。千葉のためにも先輩として一肌脱いでやれよ、純』
「うー……ん、はい。そうですね。彼に電話してみます」
時間を置けば決心が鈍るかもしれない。俺は自分の尻を叩く意味でもすぐさま車を路肩に停め、大学ゴルフ部の一年後輩だった千葉敦志に電話する。
『もしもし』
ツーコールほどで敦志は電話に出た。少し低めの声が腹に響く。あー、くそ、声だけでゲイの俺を悩殺するなよ。イケボの威力を減らそうと、ちょっとスマホを耳から離す。
「あー、敦志? 俺。星田だけど」
『何スか? 純さん』
「あのさ。お前もプロテストの練習忙しいと思うんだけど、……一週だけで良いから俺のバッグ担いでくんないかな?」
『一週って。……このタイミングってことは、海外試合ですよね?』
「そうなんだよ! せっかくのチャンスだから結果出したいのに、俺、今、キャディがいないんだ。……前の奴とは、ちょっとわけあって関係解消してさ」
『いいですよ』
敦志は、いともあっさりOKしてくれた。
「! ホントに?」
『海外試合の雰囲気体験できるのは、俺もプロになってから役に立ちそうですし』
「……っ、ありがとう‼ じゃあ、遠征のフライトとか待ち合わせとかの情報は後で送っとくから、身体空けといてくれよな。アゴ・アシ・マクラはこっち持ちで」
電話一本で快くキャディを引き受けてくれた後輩の男気に胸を熱くしながら、俺は忘れないようにとりあえず一番大事そうなことだけはその場で伝えた。
日本のプロゴルフシーズン開幕前、サウジ・インターナショナルという海外試合に俺は招待されている。国内開幕からスタートダッシュを決めるためにはここで試合勘を取り戻したいし、あわよくば世界ランキングでのポイントも稼ぎたい。そんな大事なタイミングでキャディに心強い相手を得て、俺は安堵で胸を撫で下ろした。
「最初に確認しておきたいんですけど、純さんは俺にプレイのアドバイスを求めますか? それとも、そういうのはいらないですか?」
成田空港で顔を合わせるなり、敦志は聞いてきた。まるで食らう獲物を前にした肉食動物のように真剣な表情をしている。これこそ一打の勝負にしのぎを削るプロゴルフの世界に身を投じる男のあるべき姿だ。
俺は闘争本能に溢れたバディにぞくぞくしながら一度大きく息を吐き、彼の目を見つめながら答える。
「クラブ運んでくれるだけのキャディなら幾らでもいる。俺のプレイスタイルを分かってて、コース攻略のセンスもある奴だと思ってお前に頼んでる」
俺の返事に敦志は納得したらしく、噛み締めるように何度か頷いていた。
サウジ・インターナショナルには錚々たるメンツが顔を揃えていた。試合会場には、海外ツアーで活躍する有名外国人選手がゴロゴロその辺を歩いている。さすがにこの雰囲気には敦志も気圧されているようだった。
「敦志。次、六番アイアン」
「はい、純さん」
「これ七番じゃん」
アイアンは、正確に打ちたい距離を打ち分ける時に使うクラブだから、番手が一つでも違うと、狙いたいところに打てない。渡されたクラブが俺の指示と合っていないことを指摘すると、敦志は軽く青ざめてさえいる。こんな単純なミスをして顔色を変えるなんて、ド緊張している証拠だ。
「……っ、すいません」
「慌てなくていい。時間はあるから」
ハーフ(九ホール)回った後の休憩タイミングで、俺は敦志の頬を両手でパチンと挟んで叩いた。