年下のくせに……
そのあと、午後の授業も終えたわたしはいつもどおり図書館の仕事をこなしていたが、普段よりも来館者や本を探す人が多く忙しかった。
ようやく忙しさの波がおさまったので、受付台の前の椅子に腰を下ろす。
頼まれた書類仕事を進めるが、頭の中にはアデラインさまのことが浮かび、気になってしまう。
「やっぱり、まずは接触しないにかぎるよね……」
お昼の時間にアデラインさまにも伝えたことだが、やはりミレイさまとの物理的な接触を避けるのが一番だろう。
アデラインさまがミレイさまに”ひどい仕打ち”をしなくても、例えば目の前で転んだり、けがをしたりしたときに、第三者が見てアデラインさまが行ったと勘違いされる可能性もある。
あとはもっと具体的な対策を練らなければいけないが、昼休憩のかぎられた時間ではじっくり話し合うこともできないと思われたため、週末の休日、わたしの午前のみの図書館の仕事が終わった昼以降に会う約束をして、今日のところはひとまず解散したのだった。
「ヨークさん、今日忙しくてまだ一回も休憩入ってないって? ちょっと休んできていいよ」
そう言って声をかけてくれたのは、図書館のメイソン館長だった。ふくよかで優しい見た目をしている。忙しい身でありながらも時々こうして館内を見回り、気さくに声をかけてくれる。
「え、でも……」
「それとこれ、実家から届いてたよ」
一通の手紙を手渡してくれる。
「あ、すみません! ありがとうございます」
わたしはお礼を言って、手紙を受け取る。
本当なら手紙は滞在している下宿先に届けてもらえばいいのだが、まれに配達の途中で紛失することもあるし、配達代もばかにならない。
王都のこの図書館がある区域なら、実家のヨーク男爵領がある東部地方と荷物が行き来する経路があるため、図書館留めにしたほうが確実に届くうえ安く済むのだ。とはいえ、本来は正規の勤務関係者にかぎられる特権なのだが、館長から特別に許可をいただいている。
「少し休憩がてら、手紙でも読んでおいで」
メイソン館長が優しく微笑む。
わたしはもう一度お礼を言ってから、受付台の上に備え付けられているペーパーナイフを拝借して封を切ったあとで、お言葉に甘えて少し席を外すことにして図書館の外に出る。
春先のこの時期、日中はあたたかいが、日が傾くにつれてとたんに肌寒くなる。
わたしはわずかに身震いしながら、図書館脇の壁掛け灯の明かりがある一角、ベンチのひとつに腰かける。
夕暮れ時でもう少しすれば閉館ということもあり、いつもなら誰かしら座っているベンチも今は閑散としていた。
図書館内には勤務者用の休憩部屋もあるのだが、今は少しひとりで読みたかった。
書かれている内容はなんとなくわかっている。
封筒から便箋を取り出す。
大雑把な見慣れた字で、いつものように『リゼへ、元気か?』から始まる。
領地にいる兄からだ。
『だんだんとあたたかくなってきているが、風邪とか引いてないか? ちゃんと食べてるか? 学費が免除される成績上位を維持しながら学院に通うだけでも大変なのに、図書館の仕事までさせてしまってすまない。よい知らせでよろこばせてやりたいのに、こちらは相変わらずだ、この春も──』
一度読んで、そのあともう一度じっくりと読む。
「はぁ……」
わたしは息を吐き出し、便箋をたたんで封筒に入れる。
冷たい風が吹いて、わたしはまたぶるりと身を震わせる。
「──おい」
ふいに声がしたと思えば、バサリッという音とともに、急に目の前が真っ暗になる。
「──へっ⁉︎」
何かが頭に被さった感触がして、慌ててそれを取り除く。
見ると、あたたかそうな紺色のストールだった。
「それでも羽織っとけ」
顔を上げると、そこにはレイが立っていた。
「見てるこっちが寒いんだよ」
何やら文句を言いながら、わたしの隣にどかりと座る。
(なら、見なければいいのでは……?)
反論しそうになるが、とりあえずわたしはありがたくストールを肩にかける。
「あ、あったかい」
思わず声が漏れる。ストールの肌触りはとても柔らかくなめらかで、すぐに高級品だとわかる。
「めずらしいね、こんな時間に」
わたしは横を向いて、レイに尋ねる。
レイが図書館を訪れるのはたいてい昼間だ。閉館間際の夕方近くになってから訪れることは、これまでなかった気がする。
しかしレイはそれには答えず、
「……その手紙、実家からか」
ちらりとわたしの手元に視線を向ける。
あっと思ったが、隠すほどのものではないと思い直し、
「あー……、うん、そう、領地にいる兄さんから」
とぽつりと答える。
レイはわずかに反応し、ぶっきらぼうに尋ねる。
「悪い知らせでもきたのか」
わたしはそっと目を伏せる。
弱音など吐きたくない。そもそも無理をして学院に通わせてもらっているのは、わたしのわがままだ。でも本音を言うと、すぐにでも領地に帰って兄を手伝うべきなんじゃないかと、強く思う。
わたしはぎゅっと拳を握る。
「おい、こっち見ろ」
声をかけられ、顔を上げる。
そこには、相変わらずの仏頂面のレイがいる。
「言いたいことがあるなら、言え。聞いてやるから」
態度と言葉はぶっきらぼうなのに、心配してくれているやさしさを十分すぎるほど感じる。
「ふふっ……」
わたしは笑みをこぼす。
そして、ふぅっと深い息を吐き出してから吹っ切るように、
「うん、実家の領地がね、ちょっと大変なの。元々裕福で蓄えのある土地なら大丈夫だったかもしれないんだけど、ここ数年、一番の収入源の薬草の採取量がぐんと落ちちゃってね」
わたしはなるべく暗くならないように話す。
「もちろん、今までだって気候に変化があった年とかは影響を受けることもあったんだけど、それでもあまり採りすぎないように一定の量と採取場所を守ることで維持できてたの。だけど、どう手を尽くしても減る一方で……」
「ヨーク領には独自の薬草が自生してるんだったな」
レイは確認するようにつぶやく。
「うん、そう。万能の薬草って言われるくらい、色々な薬の材料になる薬草なの。人の手で栽培できれば採取量も安定して増やせるんだけど、なぜかヨークの森以外だときちんと育たなくて」
「ふーん」
そう言いながらも、レイはきちんと耳を傾けてくれている。
わたしは遠くに目を向ける。
王都と東部の端にあるヨーク領は遠い。馬車で十日以上かかる。
兄とはこうして手紙でやり取りしているが頻繁というわけにもいかず、わたしが次の手紙を読むころには、もしかしたらもっと領地の状況は悪化しているかもしれない。
それでもわたしは気合いを入れるように、勢いよく立ち上がる。
「──だめだよね! もっとしっかりしなきゃ。兄さんもがんばってくれてるんだし!」
「リゼ」
レイがわたしを呼ぶ。
しかしわたしは構わず早口で続ける。
「それに、ほかの男爵家や子爵家が治める領地でも、うちと同じように状況が悪化しているところがあるんだって。ひどいところは領地を手放してるって噂も。うちはまだ領地を手放すほどじゃないもの。せめてどこか支援してくれるところがあればいいんだけど、ってだめだね。うまくいかないからって、つい誰かを頼りたくなるなんて──」
「リゼ」
ふいに、手のひらがあたたかな感触に包まれる。
見れば、レイがわたしの手をつかんでいた。じっとわたしを見上げている。
彼の淡く澄んだ空色の瞳は、今は夕暮れ時の色を反映して夜空のように深く色を染めている。
「いいんだ、リゼ、頼って。大丈夫だ」
そう言うレイは、いつになく真剣な表情だった。
こんなふうにふと見せる表情は、彼をずいぶんと大人びて見せる。
その顔を見ていると、本当になんとかなりそうな気がしてくるから不思議だ。
「……うん」
気づくと、わたしは小さく頷いていた。
あんなに乱れていた気持ちは、波が引くように穏やかになる。
(年下のくせに……)
わたしは恥ずかしさを隠すように、心の中でつぶやいた。




