わたしにできることがあるなら 3
ミレイさまはバーリー子爵家の令嬢で、半年ほど前、第二学年が始まるタイミングで途中入学してきた。噂によると子爵家の庶子で、最近子爵家に迎え入れられたらしい。
アデラインさまは、答えを避けるように視線をさまよわせながら、
「……小説の中で、ヒロインは悪役令嬢のひと学年下だと知ってはいたけれど、途中入学のことなど書かれていなかったの。だからわたしが入学した翌年の入学式以降それらしい令嬢はいなかったから、もう存在しないものだとばかり思い込んでいたのだけれど……」
「で、でも、偶然ということも──」
と言いかけて、わたしは、はたと言葉を区切る。
数日前に裏庭で見た、ベイジル王太子殿下とミレイさまとの親しげな様子が思い起こされた。
恋愛に疎いわたしでも、あれが友人同士でないことはわかる。もしアデラインさまの言う”ヒロイン”がミレイさまだとするなら、あのふたりの仲を邪魔すると断罪される未来が待っているということになる。
でもそうなると、ひとつ気になることが出てくる。
「あの、もし違っていたら申し訳ありません」
と、わたしは前置きしてから、
「嫉妬した悪役令嬢がヒロインに”ひどい仕打ち”をしたから、王子さまは悪役令嬢を断罪するんですよね? でもアデラインさまはそのようなことをされる方には見えませんが……」
”ひどい仕打ち”というものがどの程度のことを指しているのかわからなかったが、断罪されるならよほどのことだろう。しかし目の前のアデラインさまは、理不尽に人に危害を加えるような令嬢には到底見えない。
それに先日の学院の裏庭では、取り巻きの令嬢たちがミレイさまに詰め寄っていたのを止めていたではないか。
アデラインさまは一瞬、思いがけない言葉を聞かされたように目を丸くし、ややあってから、
「そう言ってもらえるなんて……」
とほころぶように笑う。
わたしが男性なら、思わず恋に落ちてしまいそうな笑みだった。
(ぐ──っ!)
わたしは胸を押さえる。
「そうね、誰かを陥れるなんてことはしたくないわ。それにほかのご令嬢にそこまで嫉妬するほど、ベイジル殿下をお慕いしているかと言われると、どうかしら……」
それはアデラインさまの本心に思えた。
「あれ? じゃあ、断罪されるなんてことにはならないのでは? むしろベイジル王太子殿下と正式に婚約されていらっしゃるのはアデラインさまなのですから、非があるとするならば殿下とそのご令嬢なのではないのでしょうか?」
そこまで言ってから、わたしはハッと口を両手で押さえる。
(──言い過ぎた! 非があるのが王太子殿下だなんて、不敬罪に処されてもおかしくない!)
すると、アデラインさまは「ふふっ、とても率直な意見ね」とさもおかしそうに笑う。
こうして見ると、いつもの気高くて近寄りがたい雰囲気はまったくない。どこにでもいる令嬢だ。
しかしアデラインさまは、ふと不安げに瞳を揺らす。
「わたくしもそう思ってはいるけれど、何があるか本当にわからないの。これまでベイジル殿下との婚約だって、学院への入学だって、ほかにも色々回避しようと試みたけれど、結局は無理だったもの。小説の物語どおりに進ませようとする強い力が働いているのかもしれないわ……」
その何か得体の知れないものを予見させる物言いに、わたしはわずかに寒気を覚える。
「それに……」
アデラインさまは何か言いかけたが、逡巡するようなしぐさのあとで口をつぐんだ。
しばらく待ってみたが、口を開く様子はなかった。
無理に尋ねようとも思わないので、わたしは代わりに話しを続けるため、ほかにも気になっていたことを尋ねる。
「……では、もし仮にアデラインさまが知る未来どおりになるとしたら、断罪されるのは半年後の夏の半ばに行われる、ベイジル王太子殿下やアデラインさまたちの卒業パーティーになるんですね?」
なぜアデラインさまが『卒業パーティーまで』と明確な時期を口にしたのか不思議だったが、そういう事情があったのだ。
アデラインさまは頷く。「ええ、それさえ回避できれば、おそらく大丈夫だと思うの」
わたしは、なるほど、とつぶやいたあとで一呼吸置いてから、さらに最も気になっていたことを訊く。
「……でも、なぜわたしがそばにいる必要があるでしょうか?」
するとアデラインさまは前のめり気味に、活路を見出したかのような強い瞳でわたしを見つめ返し、
「あなただけが予想外なの」
「……よ、予想外?」
(その回答こそ、予想外ですが……?)
わたしは圧倒されてやや仰け反る。
アデラインさまは確信するように、
「ええ、小説の中でアデラインと接点のある人物はおおよそ頭に入っているのだけれど、学院生活ではベイジル殿下とわたくしと親しくしてくれている三人のご令嬢、そしてヒロイン役のご令嬢以外で気になる接点はないはずだったの。でも突然、その中に当てはまらない人物が現れた……!」
アデラインさまは、わたしをまっすぐに見つめる。
「リゼ嬢、あなたが現れた。あなたがいれば、この結末を回避できる気がするの」
「え⁉︎ わ、わたしですか⁉︎」
わたしは激しく動揺する。
(わたしがそんな重大な役割なの──⁉︎)
するとアデラインさまはさっとわたしの両手を取り、一心に懇願する眼差しで、
「どうかお願い。半年後の卒業パーティーまででいいの、そばにいてくれないかしら。このまま未来が変わらなかったらどうしようかと毎日不安だったの。それにベイジル殿下とミレイ嬢のことは本音を言うと嫌気がさしていて、あの日も思わずあんな言葉を吐いてしまうほどで……」
「え──っ⁉︎」
『あの日』とは、つまり数日前に学院の裏庭でわたしが偶然立ち聞きしてしまったあの出来事のことだろう。
わたしは慌てて確認する。
「では、そのことを黙っていてほしいから、わたしにおいしいものをご馳走してくださったり、ドレスを贈って観劇に連れて行ってくださったりしていたわけではないんですか?」
「え? わたくし黙っていてほしいなんて、お願いしたかしら?」
さも不思議そうにアデラインさまは小首を傾げる。
わたしは大きく息を吐き出し、
「いえ、てっきり口止めの賄賂なのかと思って……。でも、そんなことしていただかなくても大丈夫ですって、お伝えできないものかと考えていたんです」
「まあ、賄賂だなんて。リゼ嬢にわたくしのそばにいていただくためには、まずは仲良くならなきゃと思って。お友達ならカフェでお茶したり、流行りの衣装店へ行ったり、観劇を観たりするのが当たり前だと聞いたものだから、そうすればいいのかしらって思っただけだったの」
「はぁ……」
わたしは、返答ともため息ともつかない息を漏らす。
その様子を見たアデラインさまは眉尻を下げて、わたしの手を放す。指先をもじもじと動かし、不安をにじませながら、
「あの……、ごめんなさい。わたくし初めて同世代のご令嬢とお出かけしたものだから、ついうれしくて。迷惑なのはわかってはいたのだけれど、前世でもお友達がいたことがなかったから勝手がわからなくて……」
「ん"ん"──っ‼︎」
その瞬間、わたしは盛大に言葉を詰まらせる。
淑女の鏡とも言われるアデラインさまから、こんな言葉が出ようとは誰が想像できただろうか。
わたしは目の前のアデラインさまを見る。
申し訳なさげな表情で、どことなく頼りなさげに視線をさまよわせている。
いつも学院で見かける冷静沈着なアデラインさまの面影はどこにも見当たらないが、今となってはこちらのほうが素なのだろうと思える。
そして、それを好ましく思っている自分がいる。
(もしかしたら、いつもは気丈に振る舞ってるのかな……)
自分とはまったく違う世界の人だと思っていたら、じつは自分と同じように悩んだり、苦しんだり、よろこんだりしていることを肌で感じた気がした。
わたしはぐっとまぶたを閉じる。眉間に力がこもる。色々な思いがせめぎ合う。
だがしばらくしたあとで、ばっと目を見開くと、アデラインさまの両手を取った。
「──わかりました! わたしにできることがあるなら協力します!」




