高原に送った皇帝が全然死なずに帰ってきたらムキムキだった件
バルバルバ帝国の宰相執務室で、私はグッと両手の拳を握りしめて天に突き上げた。
「やったあああああああああ! ついにあのバカ皇帝を地獄のドドン高原送りにしてやったぞ!」
さて、私の名はサイショー。このイカレた帝国で色々やって皇帝に気に入られ、宰相の地位を獲得した、どこにでもいる一般的な小悪党である。
バルバルバは窮地にあった。皇帝がバカなのだ。
66代皇帝バルガスの頭には、鍛え抜かれたシックスパックの筋肉が詰まっている。
国民に毎朝腹筋三十回を課すなどの、よくわからない法律を通しまくった結果、赤子までムキムキにしてしまった。
まあ、バカなのはいい。最初は私が上手く操縦してやるつもりだったのだが、ヤツには自我があるのだ。
先日、外交で王国と領土問題の解決をするにあたり「じゃんけんで決めよう!」と、本気で主張したのである。
私が用意した文書通りに会議を進めていれば、相手から譲歩を引き出せたというのに。
しかも……じゃんけんで勝って領土を獲得してしまったのだから、国民人気は妙に高い。
バカのくせして。
国家のトップが頭ギャンブラーでは、いつ帝国が滅んでもおかしくない。
おっと、私としたことが。つい、熱くなってしまった。
忠臣ではないのだ。この国で上手いことたちまわって、甘い汁を吸い私腹を肥やすためにも、バルガス廃位はマストなのである。
ヤツがいなくなれば、少しは話の分かる……まあ、こざかしいガキなんだが、弟のジニアスを新皇帝として即位させる算段だ。
脳筋の兄を崇拝する以外、比較的まともというか、魔法も使えるし勉強もできるし、美少年だから将来さぞやイケメンにもなるだろうしと、伸び代だらけ。
極度のブラコンも兄が名誉の戦死を遂げれば、自立心が芽生えて依存もしなくなる予定である。
だからバルガスは殺すに限るのだ。兄の死のショックで心を病んだところに、甘い言葉でつけいり、バルガスに向けられている依存心を私に向けさせる。
ああ! ついに理想の帝国ができあがる! 裏から操る傀儡皇帝生活の始まりだ!
城のカーテンを開けて朝の太陽を部屋に呼び込むと――
ドアが激しくノックされた。
「た、大変です宰相閣下!」
「開いていますよ。朝から騒々しいですね。いったいどうしたというのですか?」
「ご、ごご、ゴブリンの大軍が帝都を包囲しているのです!! その数およそ十万!! 大部隊です!! ど、どうすればいいのでしょう!? 皇帝陛下不在の今、我々にできることは……」
「お、落ち着きなさい。まずは防備を固め、町の人間たちを中央区画に避難させるのです。陛下の帰還まで、なんとか持ちこたえましょう。私は隣国に救援の要請をしに出ます」
「き、危険です! 宰相閣下! 包囲網は完全で街道もゴブリンたちの緑一色に埋め尽くされています」
チッ……逃げ損ねたか。しかし、まさか皇帝暗殺の陰謀のまっただ中だというのに、亜人どもが攻め込んでくるなんて。
私もつくづく運がない。
伝令にとりあえず防戦の指示を出したところで、別の衛兵がやってきた。
「宰相閣下大変です!」
「次はなんですか? 国家存亡の危機よりも大変なことがあるというのならうかがいましょう」
「弟皇子のジニアス様が単騎で飛び出してしまいました!」
「バカなの!? なにやってるんですか! とっとと呼び戻してらっしゃいな!」
「ひいいい! す、すみません!!」
少しはマシと思っていたのに、ジニアスも結局バカ皇帝と血を分けたバカだった。
アレが死んだらまずい。王位継承者がいなくなってしまう。
「宰相閣下大変です!」
三人目の衛兵がやってきた。もうどうにでもしてくれ。
「なんです、今度は?」
「先ほど飛び出していったジニアス様が帝都の正門を開門指示しています! このままでは無血開城です!」
「なにしてくれてんですかバカ兄弟がああああああ!! おっと、失礼。不敬罪ですね」
外壁の正門が開かれて、ゴブリン軍団が綺麗に整列しながら帝都入りした。
蹂躙を許すとは、不覚。いや、私は一切悪くないけれど。
城の前までジニアスが緑の一団を先導した。
跳ね橋を降ろせという。
どうにか逃げる術はないかと考えたものの――
ジニアスから「サイショー宰相を呼んでよ!」と、名指しされてしまったので、諦めて城の中庭に降りた。
ああ、無念。私が食い散らかす予定だった帝国が、ゴブリンたちに奪われることになるなんて。
それにしても蛮族亜人の連中にしては、統率された軍隊のように理路整然と行軍していた。
これは、きっと強力な指導者に率いられているに違いない。
彼らを連れてきた馬上のジニアスに訊く。
「ジニアス様。無抵抗に開城するとは……この私に相談もなく」
「だってこのゴブリンさんたちは……あっ! 来るよサイショー!」
「来るとは何が?」
「そりゃあもちろん……兄様さ!」
ゴブリン軍団の列が左右に割れた。その真ん中を神輿が遠くからやってくる。
ゴブリンたちは「わーっしょい! わーっしょい!」とリズミカルに声を上げた。
避難もできず家に閉じこもった帝都の民たちも、その声に家々の窓を開けて外を見る。
神輿がだんだん近づいてきた。
担がれていたのは……バカ皇帝だ。褌一丁。送り出した時に着ていた王者の服はどこへやら。
肩に漆黒の巨剣を担いで「がっはっはっは! 戻ったぞ帝都の愛する民たちよ!」と、これでは凱旋パレードだ。
意味がわからない。が、臣民たちはバカの顔を見るなり通りに集まった。もうパニックだ。大騒ぎだ。むしろゴブリンたちが衛兵ばりに臣民たちが雪崩を起こすのを防ぎ、将棋倒しにならないよう人の流れの整理までする始末。
城の中庭にゴブリン神輿が到着すると、バカ皇帝は「とうっ!」とジャンプして空中で一回転半ひねりをしてから着地した。
クソ重たそうな巨剣を手にしているのに。送り出す前よりも二回りほど、筋肉が膨れあがっていた。
「宰相よ。俺の留守をよく守った。変わったことはなかったか?」
「はい、ええと……万事つつがなく」
「さすがだサイショー宰相。信頼のおける者がいればこそ、俺も自由に遠征ができるというものだ」
バンバンと肩を叩かれた。脱臼するかと思った。バカの馬鹿力である。
なにが信頼のおける者だ。私の悪意満載な陰謀に微塵も気づかぬ愚鈍な男よ。というか……なんで生きて帰ってきてるの? ドドン高原の魔物はめちゃくちゃ強くて、皇帝一人で行ったら普通に死ぬってレベルなのに。
高原の中央には巨獣ベヒーモンとかいう、デカくて黒いケモノがいて、どの国も軍隊を送り込んでは返り討ちに遭ってきたっていうのに。
ジニアス弟皇子が私のスネを蹴る。
「宰相、ほら兄様はお疲れなんだから」
「は、はい。そうですね。まずは湯浴みとお着替えをしていただいた後に、何で生きて……陛下の武勇伝を拝聴したく存じます」
バカ皇帝は腕組みして満足げだ。
「うむ! よし! ゴブリンたちここまで見送りありがとう! お前たちの国をドドン高原につくっていいぞ。保護国にしてやる!」
ゴブリンのリーダー的なやつがバカ皇帝の言葉に涙を流して平伏した。
ちょ、なに!? 宰相の私に相談もなく、高原明け渡しちゃったの!? やっぱバカだ……こいつ。早くなんとかしたかったのに、どうして生きて戻ってしかも前よりムキムキなんだよ!!
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ゴブリン軍団はドドン高原方面に引き潮のように退却した。
皇帝と弟皇子と私の三人で、やたら長いテーブルに並んで食事を摂る。
「あの、陛下。臣下たる私がお二人と横並びで食事をするのは……いささか問題があるのではないでしょうか?」
「いーだろ別に。皇帝の俺が許す!」
骨付きの鶏もも肉を両手に一本ずつ持って、バカな食べ方をしながら皇帝は笑う。おいそこの弟皇子。「わぁ! さすが兄様度量がマリマリ海溝並みに深いです!」じゃねぇよ。
どうして弟がナイフとフォークを使いこなせるのに、兄は全部手づかみで食うんだよ。
ハァ……。
「陛下、そろそろなにがあったのか、お話いただけますか?」
「うむ」
で、バカ皇帝の独演会が始まった。
まあ、ドドン高原の視察(というていの謀殺)を発案したのは、私である。
カリスマ性だけはあるのでバカ皇帝に「お供します! お供させてください!」みたいな護衛は山ほど手を上げたが――
私はバカに耳打ちした。
「陛下、兵といえども大切な臣民。みだりに危険にさらすわけにはまいりません」
「うむ! 民を想う宰相の気持ち、見事なり。俺は一人で向かうぞ!」
この時、バカを厄介払いできたと確信したのになぁ。
で、このバカ皇帝曰く。
単身、地獄のドドン高原に乗り込んだはいいものの、水と食料を持ち込むのを忘れていたそうだ。
さすがバカである。
で、何を食っていたのかといえば……。
「すごいです兄様! まさか現地の魔物を食べていたなんて!」
「虫はまずいが筋肉がつくぞ! それに巨大植物の魔物は水分がたっぷりだ!」
知識ゼロなのにフィジカルだけでサバイバル生活をこなした上に、魔物を食ってその力を取り込んで、強くなるとか寝耳に滝である。
「それからそれからどうなったのですか兄様!?」
弟皇子は強火ファンだ。
高原で三日ほど過ごしたバカ皇帝は、ゴブリンの集落にたどり着いた。
最初は襲われたのだが、かかってくるゴブリン全員を拳でわからせ、族長とタイマンに勝利。
で、亜人あるあるなのだが、族長に勝った者が族長ルールが適応されて、小集落のボスになった。
着ていた服は友好の証に、タイマンした元族長にあげてしまったんだとか。
そこからは神輿に担がれ、ゴブリンの集落を七つほど回って統一王者になったという。
ねえ、なんなの……こいつ。皇帝の書類仕事は一切できないのに、なんでゴブリンの王になってんの?
ドドン高原にいる、のきなみヤバげな魔物たちに突撃しまくるバカ皇帝。こいつのやばいところは、先陣を切るタイプなのだ。
いや、リーダーが率先して動くことで組織が回るなんていうけどね、たぶん何も考えてないぞバカだから。
毎回「一番槍いただきだがっはっは!」なんてやってたもので、ゴブリンたちが追従して、王というかカリスマというか。
バカ皇帝バルガスが無軌道に好き勝手やり始めた結果、ゴブリンたちが規律を作って、バカに合わせて組織的な軍事行動ができるようなる始末。
結果――
「というわけで、高原中央に陣取ってた巨獣ベヒーモンを倒したってわけ。で、あの剣は戦利品だな。なんか黒いケモノのケツの毛がよりあつまってできた大剣なんで、俺はアレをケツゲスレイヤーと命名したぞ!」
弟皇子が「さすが兄様かっこいいです!」って、兄がらみになると途端に知能が低下するから、このバカ皇帝はとっとと排除しなきゃならないと地獄のドドン高原に送り込んだのに……。
というかですね、なんですケツゲスレイヤーって。竜殺しの剣ならドラゴンスレイヤーでしょ? ベヒーモンを殺す剣ならベヒモスレイヤーとかでいいじゃないですか。
尻の毛を刈る剣だよケツゲスレイヤーってさぁ!
すべてを話し終え、肉ばっか食って満腹になった皇帝バルガス。
その隣で一々メモまで書いて拝聴していた弟皇子が私を見つめた。
「つまり兄様のお話を総合すると、宰相サイショーが兄様を亡き者にするためにドドン高原に送り込んだということですね」
「え? はい? いや、ご、誤解です弟皇子様」
「護衛を抜いた合理的理由がないのに?」
ああ、クソクソクソ。こざかしい。こういうところだぞ! ちゃんと陰謀に気づけるくらいには、聡明なお前を皇帝の座に就かせてやるためにがんばったのに!!
ジニアスは衛兵を呼んだ。
「すみませーん! サイショー宰相に国家反逆の容疑が浮かびました。念のため処刑しておいてくださーい!」
「お、お待ちください! そこは一旦、牢獄とかですよねホップステップジャンプって段階踏みますよねいきなりクライマックスじゃないですかジニアス様!」
まずい。
それもこれも、帰ってきたバカ皇帝のせいだ。
バルガスが立ち上がった。
「いいかげんにしろジニアス! サイショーは……俺を鍛えるために苦行を課した真の知恵者だぞ。そんなことにも気づかぬのか!?」
「ひいっごめんなさい兄様!」
なんだか知らないけど、庇われた。いや、気付けってバカ皇帝! どう考えてもこっちは誅殺する気まんまんでしょ? 殺意マックスだったでしょ?
どうしてそこで「真の知恵者」なんて、文官が君主に言われたい言葉ナンバーワンのやつがさらりと出てくるんですか。
本当に……バカのくせに……。
バルガスはジニアスの頭にチョップした。
「痛いです兄様」
「疑われたサイショー殿の心はもっと痛かったはずだ。それに、謝る相手は俺ではない。ほら、サイショー殿に謝りなさい」
「チッ……ご、ごめんなさーい」
おのれクソガキめ。そういう態度、嫌いじゃない。
衛兵たちもスッと引く。何事もなかったように、会食の場は元通りだ。
「サイショー殿……俺がドドン高原を平定できると、その明晰な頭脳が導き出してくれていたのだろう。お前の知略があればこそ、俺はあの過酷な環境を信じて生き残ることができた。力も増した。ゴブリン軍という友軍も得た。本当に、貴殿ほどの男はいない。これからもどうか、この国と……我ら兄弟を支えてくれ」
「滅相もございません。陛下」
くそー。早く死なないかな皇帝。
そこまで言うなら、次は海底神殿にでも凸らせてやる。お望み通りな。
帝国歴XXXX年――
歴代でもバルバルバ帝国の最大版図を築いた皇帝バルガスは、二つの宝を持っていた。
優秀で献身的な弟皇子と、怜悧な頭脳を持つ名宰相の二人が。
これはバルバルバが一大帝国にまで登り詰め始めた、第一歩目の物語である。