95) 2周目 魔力切れ
「良いところだなあ、良い風だなあ。この木、良い木だなあ。ここはどこだろう。どうしてぼくは、ここに来たんだろうか」
夜が明けて空が白みはじめたころ、アステルはへんてこな木の前に立ちつくしている。枝垂れた葉がやわらかな風に揺れて、優しい音がする。アステルの金色の髪も、風にさわさわと揺れる。
「さっきまですごくすごく悲しかったのに、この木を見たら、なんだかほっとしてしまった。ようやく来られたから――会いに来ることができたんだね」
(だれが、だれに?)
とアステルは思う。わからないことだらけだ。
アステルはその場に座って、しばらく木を眺めたあとで、おなかが空いていることに気がつく。楽しみにしていたケーキを食べ損ねた気がする……でも、おかしい、昨夜の誕生日パーティーで、ルアンとごちそうをたくさん食べたはずなのに。
アステルは手に持った革袋に気づき、開く。
魔石をひとつ手にとって眺める。
「この黒い結晶は、ぼくにとって、大事なものだった気がするんだけど……あ、」
アステルは魔石をひとつ取り落として割ってしまう。魔王の呪いが溢れ出て、そばに居たアステルの中に入っていく。
アステルには、声を聞くことができない。
「眠い……すごく眠い。でも、ぼくはこの結晶を食べなきゃいけない気がする……。
ぼくの頭と体のなにかが、この結晶と結びつきたがっているみたい」
アステルは眠気に抗いながら、黒い魔石を口に入れる。かたい。しかし、アステルが魔力を込めて噛むと、魔石はアステルの口の中で割れた。
魔王の遺骸はひどい味と食感がしたが、それ以上に、粉々になった魔石がアステルの喉から先を傷つける。
「気持ち悪い……ひどい味だ……痛い……吐きそう……」
アステルは吐きそうと言って、吐血する。
吐血してなお、魔王の遺骸を食べ続ける。
「痛い、痛い……眠い……」
袋の魔石の5分の1を食べたところで、アステルは力尽き、地面に倒れ込む。
「やっぱり、眠い……どうして……」
枝垂れた葉が風に揺れている。女の人の白い手がそっとアステルの髪を撫でる。
『アステル、きっと、食べすぎたのよ』
「そうかもしれないね、シンシア……」
アステルは、目を閉じる。
朝の光のなか、ロアンとリアはウィローを見つける。葉の枝垂れた木のそばに、横向きになって丸まっている。
「本当にいた……」
ロアンは声をひそめる。
少し離れた茂みから、ロアンとリアは顔を出して様子を伺う。
リアはウィローの姿を見て(手負いの、ボロボロの魔物だ)と思う。出会ったときより、さらに魔力が強くなっている。でも、ずいぶんボロボロになっている。
ふたりはそっとウィローに近づく。
リアは草むらに座り込んで、ウィローの心臓に耳を当てる。鼓動の音を聞く。
ウィローは、眠っているようだ。
「眠っているみたい」
「魔力切れでしょうか……」
(アステル様の魔力切れを、はじめて見た)
とにかく無事に保護できただけで、ロアンもリアも、本当に泣きそうだった。
リアは座り込んだままウィローを見つめて、ぽつり、と呟く。
「私、聖女になろうかな」
「え?」
怪訝な顔をしたロアンに、リアは説明する。
「もちろん大陸の平和のためじゃないわ、だって魔王の遺骸はもう無いのだから。
神聖力でウィローが封印した『魔王の遺骸』を浄化したら、神聖医術で、記憶を戻せないかなって……聖女くらい神聖力を高めたら、それが、できるんじゃないかなって思ったの」
「私、ウィローを助けたい。きっとウィローがここまで傷ついて、何もかも無くしてしまったのは、私を愛していたからだもの」
リアは、お守りをそっと握りしめる。
「だから、私も愛したい。
ウィローから貰った愛を、私もウィローに返すの」
リアはロアンを見上げる。
「ロアン、お願い。できる範囲でいいから、私とウィローの力になってほしいの。
ロアンの人生なのに、ごめんね」
「何言ってるんですか」
ロアンは片膝をついてしゃがみこみ、リアと目線を合わせて、笑う。
「私の人生は、いつもアステル様と、それからリアと共にありました。これからも一緒ですよ、リア」
ロアンは口元に手を当てて、本当にむずかしい、という顔をした。
「とはいえ……こんなに魔力や魔の属性値の高い人を、どうやって匿いましょう? この革袋の中身を含めたら、魔王2人分の魔力を持っているんですよ、このバカアホ主人は。街中にいたら、すぐに教会が飛んできそうですが」
「カタマヴロス城で暮らす?」
「良いアイデアですが、本当にウィローが魔王になってしまいますねえ……うーん」
「じゃあ、やっぱりタフィのコミューンかなあ」
「タフィもタフィで、魔王に祭り上げられそうなんですよねえ……」
ロアンは嘆く。
「ウィロー、ゆっくりやすんでね。
あとは、私たちにまかせてね」
リアは、眠るウィローの金色の髪を、白い手で撫でる。