92) 2周目 魔術院 地下 扉の消えた部屋
魔術院の地下の暗い廊下にロアン、リア、エルミスは立っている。ロアンは灯りのついたカンテラを持ち、壁に手をつけながら話す。
「問題はどうやって入るかですね」
「え? え、ここなの?」
不思議がるリアに、エルミスが説明する。
「ある日急に、アステルが魔術院の地下に自分の研究室を移した。そしてまもなくしてその部屋で亡くなったんだが、後日、扉が消えてしまって、なにをどうやっても入れない部屋になったんだ。壊すこともできない。魔術で結界がかかっているのは確実なのだが、外からは結界の糸口が見えないんだ。『第四王子の呪いの部屋』と噂があって、みな不気味がり、近づかない」
リアは、ロアンのするように壁に手をあててみる。リアの指先が壁に触れた瞬間、そこから壁に光が広がり、砂が崩れるように光が溶け、白い扉があらわれる。
リアとロアンは顔を見合わせる。
金色のドアノブに手をかけて、リアは扉を開ける――
『アステルの研究室』の中に、リアとロアンは入る。部屋の灯りはついたままで、明るくまぶしい。リアは目を細める。本と紙だらけの部屋だ。
「片付いていないわ」
「部屋が片付いていなくてホッとする日がくるなんて……」
ロアンはため息をつく。
しかし、片付いてはいないが、ウィローのいる気配もない。リアとロアンは焦燥感を覚える。
ふたりに続き、部屋に足を踏み入れたエルミスは、呆然とする。
「こんな近くに居たのか……?」
そして魔術の使える身として、感嘆する。中に張られている結界の見事さに。壊す・入ることができないだけではなく、光や音や気配が、いっさい外に漏れでないように構成されている。
魔石の灯りが部屋のあちこちにあり、あたたかな印象の部屋だった。あいだに扉のない二間続きの部屋で、入ってすぐに深緑色のソファーと低いテーブルがある。研究室らしく、大きな書き物机もあった。奥の部屋にベッドがある。
どちらの部屋にもウィローの姿はなかったが、ベッドの上に白いローブがあった。ウィローが朝、着ていたものだ。リアが触れるとまだ暖かい。本当に今さっきまで着ていたような感じだ。ふんわりとウィローのにおいがする。
リアは呆然としているエルミスにローブを渡す。エルミスはローブを手に持ち、頬に寄せる。長いため息をつく。
「本当に生きていたか、アステル……」
リアは、エルミスは泣きそうな顔をしていると思った。ベッドに腰掛けてローブを抱きしめているエルミスを、リアは、そっとしておこうと思う。
リアは、足元にひとつの魔石が落ちていることに気づく。木の実くらいの大きさの、透明な正八面体の魔石だ。手のひらの上で転がして観察したあと、リアは魔石を緑色のローブのポケットに入れる。
ロアンは書き物机の上を調べており、リアもそこにやってくる。リアは、机の上に散らばる計算式が書かれた紙の上に、絵葉書が置いてあるのを見る。椅子の位置から、リアは、ついさっきまでウィローがこの絵葉書を眺めていたように感じた。絵の具で、紅葉の綺麗な湖が描かれた絵葉書だ。絵のなかの湖にも紅葉が映り、小さな青いボートが浮かんでいる。
(私も、スペンダムノスにまた行きたいな)
リアは、ウィローもそう思って眺めていたのかな、と思う。
ロアンは、机の上に置かれた綺麗な赤い箱の蓋があいているのを見る。箱の中には、ウィローの大事にしているものがいろいろとおさめられているようだ。一番上に、絵が一枚、汚れないように薄い透明な硝子に包まれて置いてある。手にとってみると、ロアンにとって懐かしい白い女の子の姿が描かれている。リアがそばにきて、姿絵を一緒に見る。リアは驚きつつ照れた様子を見せる。
「これ、描くとき大変だったの、すごく……ウィローはこれを、婚約者候補だったから持っているのかな?」
「いや……違うと思います、私はこれを見た覚えがないから。ルーキスさんに頼んで、貰ったんじゃ……」
「ルーキス? ルーキス・ラ・オルトゥス?」
ふたりの後ろからエルミスの声がとんでくる。振り返ると、いつの間にかエルミスがふたりの後ろに立っている。
エルミスはロアンから姿絵を奪い、見つめる。
「……聖女 シンシア・ラ・オルトゥス?」
リアとロアンは、背筋がぞわっとする。まずい、ばれた。エルミスは姿絵を見て、次にリアを見て、蒼白な顔をする。
「…………さっき、10歳のときに駆け落ちしたって……」
「アステル……あいつ……なんてこと……」
エルミスは青ざめたまま、呆然と立ち尽くしている。
ロアンはリアの手を握りタフィへの腕輪に手を伸ばし、帰還の魔法を使おうか悩むが、エルミスをこのまま放置して教会に通報でもされたらその方が大変だ。リアが生きていることが教会に知られるのは避けたい。
「昔、エオニアについてアステルに聞かれたことがある……見舞いに行っていた頃に……」
エルミスは記憶をたどり、つぶやく。エルミスがよくアステルの見舞いに来ていたことはロアンの記憶にもあったが、『エオニア』の話をしていたのは記憶になかった。
「しかし、なんでそんな危ない道を……」
「危ない?」
リアが聞き返す。
「大陸の人間としてとか、倫理的にとか……言いたいことは色々あるが……つまりアステルは教国エオニアに個人で敵対する道を選んだ、ということだろう? コルネオーリ王国に迷惑をかけないために死んだんだ、あいつは」
エルミスは、ロアンとリアとは違った視点の感想を伝える。
「エオニア?」
リアは聞く。
「アサナシア教を司っている国だ、大国だ」
エルミスは(何故知らないのか?)という顔をする。
ロアンもリアも、敵はアサナシア教会だと思っていた。しかしエルミスは「エオニア国だ」と言う。
「エルミスさん、私、教会に捕まりたくないの。私のこと、教会に言う?」
リアの黒い瞳が、エルミスのことを探るように見る。
「いや……」
エルミスは難しい顔をして言葉を濁す。
「弟が命がけでしたことを……言おうとは思わない。それに、これは、コルネオーリとエオニアの戦争の火種になるような情報だ。俺の口からはとても言えない」
(大げさじゃない?)
リアは首を傾げるが、エルミスの言葉に、ロアンは考え込む。
これ以上、手がかりも見つからなさそうなので、リアとロアンはタフィに戻ることにする。部屋から出るときに、エルミスは名残惜しそうに一度、振り返る。3人が部屋から出ると、扉はまた消えてしまった。
「エルミス殿下、ありがとうございました」
「エルミスさん、ありがとう」
魔術院に入る協力について、ふたりはエルミスに礼を述べる。
「こちらこそ……弟が生きていると知れてよかったよ。アステルに、俺に会うように伝えてくれ。あいつならまわりに気づかれないように魔術で俺にコンタクトをとることも、可能だろうから」
魔術院を出る前、リアは、階段の踊り場からさす午後の日差しがまぶしく、目を向ける。大きな窓から西日が差し込み、階段の踊り場を照らしている。
(綺麗)
この階段を使っていたであろう14歳の『アステル』にリアは思いを馳せる。
ロアンとリアはエルミスに別れを告げずに。魔術院の玄関先を歩くエルミスの背を見ながら、帰還の魔法でタフィに消える。ルーキスの反応で、帰還の魔法の存在をあまりおおやけにしないほうが良いと感じたためだ。
エルミスがふたりに話しかけようと次に振り返ったとき、ふたりの姿はもうなく、エルミスは驚く。引き続き、アステルを探しに行ったのだとエルミスは思う。
(アステルのローブを、持ってきてしまった)
エルミスは腕に白いローブをかけたままなことに気づく。
(まあ、ローブが一着なくなっていたところでアステルは気にしないだろう。このまま、ミルティア様に持って行ってあげよう)
エルミスは護衛騎士たちに何も言わずに消えてしまったことを思い出す。彼らは、エルミスを探していることだろう。
エルミスは彼らと合流後、ミルティア妃の部屋に向かおうと、城に向かって歩き出す。