89) 2周目 ふたりいる、ふたつある
「お父様、どいてよ!! なんで、なんでウィロー行っちゃったの!? まだ提案しただけじゃない!」
ウィローに少しも話を聞いてもらえず、リアは混乱している。束縛の魔法が切れると、ロアンは床に膝をつく。
「くっそ……あの人ほんとうに人の話を聞いてくれない……アステル様のばか、あほ……」
手を離してはいけないと、わかっていたはずなのに。リアとロアンを抱きしめる表情がとても穏やかだったから、手を離してしまった。
「おれのばか……」
ロアンは、床に額を打ちつける。
「ふたりとも落ち着きなさい」
ルーキスはいつの間にかソファーに座り、お茶を飲むのを再開している。
「落ち着いていられる!? 私たちは屋敷から出られないのに、ウィローはひとりで魔王の遺骸の封印に行っちゃった! 今、私、お父様を倒す方法を考えているところよ。私のありったけの神聖力をぶつけてみて……でも、そのあとの体力の回復が問題ね。ウィローを追いかけられなくなっちゃう」
「痛いのでやめていただきたい。シンシア、貴女も話を聞きなさい。ルアン君も。お茶でも飲みなさい」
「ルアン?」
ロアンは驚く。ルーキスに、本当の名前を教えたことがないからだ。
「あの方は魔王でありながら、魔物としては生まれたての赤子同然なので、魔物の世界のルールを知らないのです」
「魔王でありながら?」
「魔物の世界のルール?」
ロアンは訝しみ、リアは首を傾げる。
「魔物は生き物の、魂に刻まれた名前を見ている、ということを我が主は知らないのです。主は『リアとロアンを屋敷から出すな』と言ったが、私は、リアとロアンなどという人物は知らない」
「つまり、屋敷から出られるってこと?」
リアは顔を輝かせる。
「ええ。我が主は、結界も発動させてから行きました。なので屋敷の玄関の扉や窓は開きません。しかし、転移魔術による転移は可能でしょう。そこまで複雑な結界を張るだけの時間は主にはなかったようなので」
ルーキスはお茶を飲み、ティーカップの中を見つめる。
「ルーキスさん、ひとつ聞いていいですか?
貴方は『魔王でありながら』と言った。ウィローは、本当に魔王なのですか?」
「あの方はあなた方が『魔王の遺骸』と呼ぶものそのものであり、私たち魔物にとっては生き返った魔王様そのものだ」
ロアンとリアにはよくわからない。
「ウィローが魔王の遺骸? ウィローはウィロー自身の封印に行ったってことですか?」
「いや、違う。マヴロス大陸には今、魔王様がふたりいる」
リアは、はっとする。
シンシアはふたりいる。
魔王の遺骸もふたつある。
教会の信徒に、ウィローは言った。
『聞こえなかったのか? ぼくの妻から手を離せ』
「お父様、私、私ってウィローの奥さんだったんじゃないかって思うの」
ロアンはこんなときに何を言っているんだ、という目をリアに向ける。
「何を妄想を」
「妄想じゃないわ!」
ルーキスは答える。
「まあ、近しい者ではあったのでしょうね」
ルーキスがリアの妄想を否定しないので、ロアンは信じられない気持ちになる。
「あの方がこことまったく別の場所から来たことは確かです。あの方は『どこか』からやってきた。『どこか』でシンシアと親しくなり、シンシアを失い、貴方たちが『魔王の遺骸』と呼ぶものと融合して、こちらにきた」
ロアンは、思い出す。
かつてルアンが『絶対に味方でいる』と言ったら、アステルはこう返した。
『ぼくが、何者でもかい?』
「魔物の立場から話をすれば、あの方は予言どおり、人間の体をもって再臨した魔王様であるので――この世界の魔王様とも融合していただき、よりつよい魔力を得て君臨していただきたい。
しかし彼は、それを良しとしていない。理由は魔物の私には、よくわからないが……」
ルーキスは難しい顔をしている。
「我が主は、この世界の魔王様を封印しようとしている。しかし神聖力ではなく魔力で封印を成すのであれば、代償相当の触媒が必要なはずだ」
ロアンは胸が締め付けられるようだった。わかっていたはずなのに、ルーキスの口から『代償』の言葉が出てくると――本当にどうして手を離したんだと、ロアンは自分を責める。
「お父様、私たちはウィローを止めたいの」
リアは静かに、伝える。
「ウィロー自身を犠牲にしてまで、魔王の遺骸を封印してほしくないの。でも、一つ問題があって、私たち、転移魔術の込められた魔石は、アズールの家に行くものとタフィに行くものしか持っていないわ」
ルーキスは驚く。
「転移魔術の込められた魔石? そんなものがあるのですか?」
「ああ ええっと あるんだけど……でもその話はまた今度ね」
リアは、ルーキスに頼み込む。
「お父様、書いてくださらない? 転移魔法陣が、いくつか必要なの」
「どうして私が」
ルーキスは眉をひそめる。
「お父様しか頼める人がいないから。ウィローが無事に戻ってきたら、お父様に魔法陣の書き方を教えるように私、頼むわ。転移魔術を込めた魔石の話もするようにお願いしてみるわ。それが交換条件で、どう?」
「……」
ルーキスは少し考えたあと、言った。
「良いでしょう。私としても、主に、魔王様を封印してほしくはないのだから。私はあの方にこちらの魔王様とも、融合してほしいと思っているので」
(融合したら、どうなっちゃうんだろう)
リアは、不安だ。
「ウィローは、どこへ行っちゃったと思う? ロアン」
「すぐすぐ魔王城には行かないと思います、準備があるはずだから。ウィローの家に戻ったのではないでしょうか?」
「あの耳飾りって、片方はアズールの家よね」
「アズールの家にもいったん、確認のために寄ったほうがよさそうですね」
リアが鍵をもらってから、行っていないので、今アズールの家がどういう状況になっているのかがわからない。
「もう片方の耳飾りがウィローの家に繋がっているはずよ。ウィローの家はどこにあるのかしら?」
リアはルーキスを見つめる。
「お父様、何か知らない?」
「……」
ルーキスはお茶をひと口飲む。
「あの方がどこに住んでいるか、私も、知らないが……しかし、私に一度だけこう言ったことがある。『死んだ部屋にいるよ』と」
「死んだ部屋、だって!?」
ロアンは驚愕する。
「ロアン、どういう意味?」
「ウィローは、リアと同じで一度死んでいるじゃないですか」
「ああ、そっか。ウィローはどこで死んだことになっているの?」
「コルネオーリ城に魔術院という研究施設があって、そこの一室です。アステル様はそこで14歳から研究員として働いていたんですけど」
「14歳? 私と同い年で働いていたの?」
「13歳から働くはずだったんですけど、病気のために、一年遅くなったんです」
「うーん それを聞くと、私も仕事したほうがいいのかもって思うわ……」
基本、屋敷にこもりきりなリアは呟く。
ロアンは顔をしかめる。
「しかし、ウィローは本当に嘘つきだな。タフィ以上に人がいる場所じゃないですか」
「そんなところで研究して、大丈夫なのかしら?」
リアはルーキスに聞く。
「お父様、魔術院と魔王城への転移魔法陣をお願いできる?」
「魔王城は、まあ……なんとかなるでしょう。
問題はコルネオーリ城だ。転移魔術を使える場所が限られている。あの城は魔術により警備されているので、大丈夫な場所を知って飛ばないと弾かれます。
転移魔法陣で飛ぶことが可能な場所で、一番、魔術院に近いのは――城の西門の近く。王国騎士団本部の、厩舎のあたり」
ロアンは嫌な顔をする。顔見知りだらけの場所だからだ。こんなに背が伸びたとは皆知らないかもしれないが、見つかったら大ごとだ。魔術院に無事に辿り着くことができるだろうか。
リアは、ルーキスに頼む。
「じゃあ、お父様には、魔王城とコルネオーリ城への転移魔法陣をお願いしたいわ。私たちは、一旦、アズールの家に行って、すぐに戻ってくるから」