79) 2周目 ロアンの朗読会
その年の秋から冬にかけて、ウィローはそれまでよりも頻繁にタフィのコミューンを訪れた。陰鬱屋敷に滞在して、何日か過ごすこともあった。リアは大喜びだ。ロアンも、顔には出さないがとても嬉しかった。
ある秋の日の午後、村の農作業の手伝いから帰ってきたロアンは水浴びをする。そのあと居間に寄り水を飲んだロアンのあとを、誰かがこっそり、物陰に隠れながらついてくる。
(どうせリアが私を驚かせようとしているんだろう)
ロアンは自分の部屋の前まで来たのち、逆にリアを驚かせてやろうと、廊下の角に隠れている誰かさんに、急に間合いを詰め寄る。
「リア!」
「わ!」
驚いた顔のウィローがそこに立っていた。ロアンも驚き、慌てふためく。
「ウィ、ウィロー? 何をしているんですか?」
ロアンが驚いているのを見て、ウィローは顔を赤らめる。
「えっ……と……その……」
なんだか様子がおかしい。
昨日の夜遅くから屋敷に泊まっているウィローは、珍しくローブを着ていない。白い襟つきのシャツに黒いズボンというのはいつも通りなのだが、綺麗な色合いの青いセーターを着ている。あたたかそうな格好だ。
「ぼくはきみにお願いがあって来たんだ」
「声をかければ良かったじゃないですか」
こそこそついてくるなんて、ウィローらしくない。
「あんまり他の人に聞かれたくない話だったから」
確かに居間には執事やメイドがいた。それでここまでついてきたようだ。
「なんでしょうか?」
「あの……ええと」
ウィローは手をさすり、もじもじとしている。すごく恥ずかしそうに、ウィローはロアンに言う。
「もし、きみが、物語の本を持っているなら、ぼくに何冊か貸してくれない?」
ロアンは、ぽかんとしてウィローを見る。
なんだか涙がにじんできて、慌ててウィローから目を逸らし、部屋のドアノブに手をかける。
「もちろん」
ロアンはウィローを見ずに答える。
今、ウィローを見たら、泣いてしまいそうだ。
ロアンはドアをあける。
「どうぞ入ってください、ウィロー」
「ありがとう、ロアン」
ウィローは、ホッとしたような声だ。
ーーーーーーー
ロアンはウィローに椅子を差し出す。ウィローは座って待ちながら、感心している。
「きみの部屋はいつも片付いているねえ」
ロアンは『数冊』を選ぶのに苦戦する。とりあえず10冊くらい、ベッドの上に並べてみせた。
ウィローは困った顔をした。
「こんなにたくさん、読めないよ……」
「このなかから好きなものを選んでいただけたら、と思いまして」
ウィローは立ち上がり本の表紙を眺めながらロアンに聞く。
「うーん きみのおすすめはどれなの?」
「ウィローは、どんな話が読みたいですか?」
「楽しい話が良いなあ。わくわくするような話」
(昔から冒険ものが好きですものね)
ロアンは少し微笑む。
「それではまず、これを……」
ロアンはウィローに、冒険ものの1冊を渡す。動物が冒険に出かけて、協力をして宝物をみつける、ほのぼのとしたお話だ。
「ありがとう」
「……なんでさっき、恥ずかしそうだったんですか?」
「え!? 今も恥ずかしいよ。ロアンの部屋はリアの部屋に近いから、リアに見つからないかヒヤヒヤしているんだ。この本をセーターの中に隠して、泊まっている部屋に持って行くつもり」
ウィローは表紙の可愛らしくも美しい絵を眺め、嬉しそうになでている。
「リアに見られたくないんですか?」
「リアからみたら、ぼくって大人だと思うのに、物語の本を読んでいるなんて……リアに、からかわれそうで」
「リアも物語は好きですし、気にしないと思いますけれど……」
「ここで読んでいっても構いませんよ」
「本当!? でも、邪魔じゃないかな」
「私、ウィローのことを邪魔だと思ったことなんて、ただの一度もありませんよ」
ロアンが伝えると、ウィローはいじわるく言った。
「それは嘘だね」
「嘘じゃないですよ」
「だってぼく、昔、コルネオーリ城で、きみのことを通せんぼしたこと何回もあるもの」
ウィローはおかしそうに笑う。
(そういう話じゃないでしょう)とロアンは呆れるが、ウィローがこんなふうに笑うのを久々に見た気がして、つられてロアンも笑う。
窓から心地よい秋風が入ってくる。淡い緑色のカーテンがはためいている。
ロアンは書き物机で、勉強をしている。
ウィローは椅子に座り本を開いている。変な顔をして、本を近づけたり、離したり。まだ数ページも進んでいないようだ。
「……ウィロー?」
ロアンは心配する。
「目が悪くなったんですか?」
「ううん、違うんだ。なんだか、文章が頭に入ってこなくって……魔術書と物語の本って文体も、字の大きさも違うから……こんなに別物だったっけ?」
ウィローは残念そうな顔をする。
「ぼく、長く離れすぎていて、物語の楽しみ方を忘れちゃったみたい」
ロアンはふと、ウィローに(返してあげたい)と思う。幼い頃、字を読むのが苦手だったルアンに、たくさん話して聞かせてくれたアステルに。
「物語の楽しみ方はひとつではないですよ、ウィロー」
「?」
不思議そうな顔のウィローに、ロアンは優しく言う。
「私が朗読してあげましょう」
「本当?」
「ですが、夜まで時間をください。練習したいので」
「ありがとう。楽しみにしているね、ロアン」
ウィローは、やわらかく微笑む。
ーーーーーーー
夕食のあと、陰鬱屋敷の居間の茶色のソファーに、リアとウィローが並んで座っている。
ロアンはふたりの前に立って、おはなしをはじめようとしている。
「えー こほん ではこれから私がお話ししますのは、りすの子どもが、くるみを探して大冒険にでるお話です」
リアが嬉しそうに、盛大な拍手をする。ウィローも微笑み、拍手をする。
ロアンは片手に本を持ち、感情をこめて、声を大きくしたり小さくしたり、身振り手振りも加えながら、楽しそうに物語を話す。
ウィローは物語を聞きながら、ロアンの表情を見るとともに、リアの表情も見る。おもしろいシーンでリアはくすくすと笑い、悲しいシーンでは悲しそうな表情をしている。
(可愛い)
ウィローは微笑む。
そしてまた、ロアンの話す物語に聴き入る。
一度に話すには長い話なので、一度休憩をとり、お茶を飲む。リアは、ウィローが眠そうな目をしているのに気づく。
「ウィロー、どうしたの、眠いの?」
「うん、そうみたい」
「ロアンに、第二部は明日にしてもらう?」
「せっかく練習してくれたのに悪いよ。ちゃんと聞かないと……」
第二部がはじまると、ウィローはロアンの声を聞くうちに、途中で眠ってしまう。ロアンはリアが『助けを求める視線』を送っているのに気づき、朗読をやめる。
リアは真っ赤になって動けなくなっている。ウィローがリアに寄りかかり、肩に頭を乗せて眠り込んでいるためだ。
「ウィロー……疲れていたんでしょうか?」
ひとのお話の途中で寝るなんて、と思いつつも、ウィローの寝顔を見てロアンは微笑む。
リアは真っ赤になってあたふたとロアンに助けを求める。
「ろ、ろろロアン、助けて、心臓がとびでそう」
「いえ、このまま寝かせておきましょう」
(すごく幸せそうな顔で寝ていらっしゃるから)
ロアンがちいさめの毛布を部屋からとってくると、リアはまだ動けずに半べそをかいていた。ロアンはウィローの頭にクッションをはさむと、そっとソファーに寝かせ、リアを救出する。
ウィローはぐっすりと眠っている。
「どんな夢を見ているのかな?」
「このお顔なら、幸せな夢ですよ、きっと」
ロアンとリアはウィローの寝顔を見ながら、嬉しそうに小声で話す。