76) 2周目 魔王の協力、そしてタフィ
黒い毛むくじゃらの魔物は、子猫くらいの大きさでまあるい体だ。耳がちいさくとんがっている。大きな丸いふたつの目は、黒目よりも白目が大きい。鼻はなく、大きな口に牙がある。しっぽと羽があるようだ。そして大きな足は、黒い毛布にくっついて一体化している。
「ありがとう、助かったよ」
ウィローは魔物に感謝する。
「魔王様の助けになれたなんて、ありがたき幸せだよ」
魔物は大きな口をあけて笑う。ウィローは、この魔物と話していると調子がくるいそうだと感じる。だが、この魔物は恩人だ。魔王の遺骸の前で気を失わずに済んだ。
「クヴェールタは、さっきからずっと魔王様のことを見ていたよ。何かお困りのようだけど、クヴェールタに力になれることはあるかな?」
魔物の名前はクヴェールタというようだ。
ウィローは、この魔物から何か情報を聞いてみようと思う。手がかりがあるかもしれない。
「きみは魔王城に長くいるの?」
「ずっといるよ」
「かつて魔王に会ったことがあるくらい、長くいる?」
「そうだよ。久しぶり、魔王様」
ルーキスもそうだが、この魔物もずいぶん長生きだ。クヴェールタは黒い羽を広げて、笑う。
「城の魔物はみんな、魔王様が帰ってきてくれて嬉しかった。おかえり! 魔王様! でも魔王様はふたりいるね――帰ってきたあたらしい魔王様は、もうひとりの魔王様のところに行って魔力を得て強くなるんだね、ってクヴェールタは思ったんだ」
クヴェールタは楽しそうに話したあと、しかめつらをする。表情が豊かだ。
「ところが魔王様は、魔王様を閉じ込めようとしているみたい。魔力を得たら、とーっても強くなれるのに! 何をしているの?」
「クヴェールタ、ぼくはそれを望んでいない。ぼくは、きみたちの魔王様に小瓶に分かれて入っていて欲しいんだ」
「?」
クヴェールタは首を傾げている。首がないので、体を傾けている。足にくっついた毛布も一緒に傾く。
「でも、小瓶にとどまっていてくれない。だからぼくは困っているんだ」
クヴェールタはため息をつき、指摘する。
「そりゃあそうだよ。だって、その小瓶の中には、想いがない」
「想い?」
ウィローは目を見開く。
「想い、だって?」
「そうだよ」
クヴェールタは微笑む。
「魔王様はまだ生まれたてだから、何もご存じないんだね。ぼくたち魔物は、想いでできているんだよ」
クヴェールタは恥ずかしい話をしたかのように、一度、毛布の中にひっこむ。それからもう一度でてきて、得意気に話す。
「魔物の大事な構成要素はね、魔王様。愛と想いと呪いだよ」
クヴェールタは、急にかなしい顔をした。
「魔王様のかたちが変わったときだってそうさ」
「かたちが変わったとき?」
「クヴェールタは、人間たちが来たときの話をしているよ。魔王様の体にハチドリが巣をつくっていたんだ。魔王様はそれはそれは喜んで、ハチドリを大切にしていた。
でも卑怯な人間たちが城にやってきて、ばしばし! 魔王様を攻撃した。魔王様はハチドリを守りながら戦って、きっくきっく! がんばったけど、動けなくなった。
動けなくなってもなお、魔王様はハチドリを守ろうとして、ハチドリに人間が近づけないように想いを呪いに変えて『大きな呪い』になった」
クヴェールタは告げる。
「ハチドリの名前は、タフィ」
ウィローは、クヴェールタの話した魔王の遺骸の正体について考える。
(呪いの正体は、想い。想いだって?)
クヴェールタは、毛布の端でウィローのことを指し示す。
「新しい魔王様は、人間が魔王様に使われて生まれた」
ウィローは、心外だ。訂正する。
「違う、クヴェールタ。ぼくが魔王の遺骸を触媒に使ったんだ。使われたわけではない」
「使うことと使われることは、何が違うの?」
クヴェールタは静かに、ウィローのことを見つめている。
「人間が魔物の魔力を使いたがるときは、魔物の『協力』がなければ、うまくいかないよ」
「協力?」
「魔王様はキミに協力したんだ。そのかわり魔王様はキミの体を得たんだ。魔王様がキミに協力した理由は明らかだよ。キミに、想いがあったからだ。キミには誰かのために自分の身を捧げるほどの想いがあった」
クヴェールタの瞳は、黒く輝く。
「だから、タフィのために身を捧げた魔王様は、キミに協力した。キミがもう一度、魔王様の協力を得たいのなら、キミは想いを捧げないと」
曇っていた空が晴れ、天井から幾筋かの光が差し込む。あの日、シンシアのために遮った光だ。
「想い」
ウィローは床に差し込む光を眩しく感じる。
「想いなら、たくさん持っている」
「そうだろうね。魔王様に選ばれるくらいだからね」
「けれど、それは――」
『想い』は、ウィローの一番大切な構成要素だとウィローは思う。想いがなければ、自分は自分ではない。想いを失うことは、死ぬことと何が違うだろうか。死ぬよりも、怖い。
「魔王様、怖いの?」
「怖い」
怖いと言ったウィローの手に、クヴェールタは毛布の端っこで触れた。ウィローは微笑む。
「ありがとう。大丈夫だよ、クヴェールタ」
ウィローはため息をつく。
「怖いというより、命が惜しいんだね、ぼくは」
「そりゃあそうだよ。魔物だって人間だって、命は惜しいよ」
クヴェールタは優しく微笑む。
「大切なひとがいて、楽しくて、幸せで。大切なひとたちの成長を見て、楽しそうな姿や笑った顔を見ながら……もっと見ていたいって、そう思ってしまったんだ」
ウィローは目を伏せる。
「ぼくにそんな権利、ないのに」
「ケンリ? って言葉はクヴェールタにはよくわからないけれど、魔王様がそう思ううちは、まだ、そのときではないんだよ」
「そうだろうか。でも、ぼくは知っている。この体はぼくのものでも、魔王のものでもないんだ」
ウィローは、両手を膝の上で握りしめる。
「12歳のアステルのものだ」
魔物の構成要素は、愛と想いと呪い。
(ぼくはとっくに――巻き戻った時点で、もう、魔物だったのかもしれない)
決して認めない。「ぼくは魔物じゃない」と言い張り続けるつもりだけれども。
おじいさまはアステルに言った。「魔王にならないためには、好きなものを数えながら生きることだ」と。けれどウィローは、2周目の人生は――好きなことを楽しむ権利なんてないと、そう思ってきた。楽しもうとするたびにあのときのシンシアの姿がちらついた。
それなのに、年々、幸せな時間は増えていった。リアやロアンとの大切な時間があり、それに伴って、シンシアやルアンとの大切な時間を思い出すことも増えた。
ロアンにもらった魔除けや、リアにもらった花びらなど、大切なものも増えていった。そこにはたくさん、想いがあった。
そしてそれを捧げろと、魔王は言う。
「クヴェールタ、ありがとう。何が足りなかったのか理解できたよ。ぼくは、考えてみる」
ウィローは立ち上がる。
クヴェールタは満面の笑みを浮かべた。
「魔王様のお役に立てたのなら、ありがたき幸せだよ」
クヴェールタはウィローと目線を合わせるために、羽を動かして空に浮かび上がる。クヴェールタの黒い毛布の端が、床をなでる。
「クヴェールタたちは、いつでも魔王様が、お城に帰ってきてくれるのを待っているよ!」
「それは、約束できないけれど……」
(魔王城に住むなんて絶対に嫌だ、ぼくは魔王じゃない)
ウィローはクヴェールタに困ったように微笑む。
「でも、また来るよ」
青い瞳で魔王の遺骸を見る。
「かならず」
ウィローは検証の片付けをしたあと、もう一度、魔王の遺骸を見つめる。タフィを守るために、この姿になった魔王のことを思う。
それから月の耳飾りに手をのばそうとして、リアに(サンドイッチを包んでいた布)を返さなければならないことに気づく。ウィローはいったん、タフィのコミューンに寄ることにする。