74) 1周目 ルアンとシンシアとウィローの木
ルアンはアステルを探しながら、魔王城内の裏道をジグザグにすすみ、逃げ回り、隠れる。追手はうまく巻くことができたようだ。裏道からは大きな通路がたびたび見えるのだが、アステルの姿は見当たらない。
(アステル様は、どこにいるのだろう?)
ルアンは足音を聞く。アステルではないかと期待するが、違った。ルアンが物陰に隠れると、聖職者がふたり、歩き来るのが見えた。どちらも高位の聖職者らしき男だ。何か話している。
「ご遺体の回収なんて、嫌な役をひいてしまったな」
「歴代の聖女様は、役目を果たした後、魔王の遺骸から落ちてきたという話だが――それを『傷つけないように受け止めよ』というのだから、教皇様も無茶なことを仰られる」
聖職者ふたりの間に、沈黙が流れる。
ひとりが、不安そうにささやく。
「教皇様は、聖女様のご遺体でも遊ばれるおつもりだろうか?」
「そうかもしれないが――そのことは、内密にしなければなるまいな」
「まあ、あと少し時間がある」
ルアンは、聞いた内容の意味がよくわからない。
(聖女様のご遺体?)
背筋が寒くなり、踵を返すと来た道を戻り、走り出す。
(さっきの聖職者の言葉は、シンシア様が死ぬという意味か? 死ぬことがもう決まっているということか? 遺体で遊ぶってなんだ?)
ルアンは走り、螺旋階段まで戻る。誰もいない階段を登り、白い扉に手をかけると開いている。意を決して中へ入る。廊下が暗くて様子が伺えず、携帯用のカンテラに魔石の灯りを灯し、照らす。ルアンは叫ぶ。シンシアに聞こえることを祈りながら。
「シンシア様!」
廊下を走り、叫ぶ。
「シンシア様!」
一瞬、ルアンは廊下の先が、不自然に明るく光ったのを感じた。しかし、すぐに暗くなった。
ルアンは、暗い穴にたどり着く。
アステルの説明によれば、この下で儀式が行われる――行われた? はずだ。
暗い穴の中に、チラチラと、魔石の灯りがいくつか灯っているのが見える。カンテラの灯りをかかげると、シンシアが倒れている姿が見えた。
ルアンは穴に飛び込む。なにか、踏み、すべる。カンテラを取り落とす。構わず、シンシアのもとに走る。
「シンシア、様……」
シンシアは、もう、ほとんど息をしていなかった。
「どうして、なぜ、」
ルアンはシンシアを冷たい床から抱き寄せる。
「ああ……ああああ」
ルアンの手は、震える。震えながらも、シンシアの肩をぎゅっと抱く。すると、シンシアの瞼が、動く。ルアンはシンシアが薄目を開けたことに気づく。
「シンシア様、わかりますか? シンシア様、」
ルアンはシンシアの手を握る。シンシアは遠くを見ているようで、ルアンは涙が出てくる。
「どうして……シンシア様が、犠牲になる必要があったのですか?」
シンシアの顔の上に、ルアンは涙をこぼす。
シンシアは何も言わない。
もう何も言えないようだ。
ルアンはシンシアを膝の上に横向きに抱いて、白い手に手を重ねて、シンシアのことを見つめる。シンシアはルアンに抱かれながら、ふたたび、目を閉じる。
(シンシア様――)
ルアンは、シンシアの命の火が消えてしまったのを感じる。涙があとからあとから出て、シンシアに落ちる。シンシアの顔に、首に――ルアンは、気づく。
シンシアの首に、手で首を絞められたような痣がある。
(――え?)
ルアンは時間が止まったように感じる。涙を拭い、よく見る。先ほどの聖職者の話から、シンシアは儀式で亡くなったのだと思った。そうであるなら、この痣は何なのだろうか。ルアンはさらに気づく。シンシアの鎖骨のあたりに切られたような傷跡がある。そして――
(――シンシア様のお守りが、ない)
首の痣も、傷跡も。シンシアが、暴力を振るわれたということを意味していた。ルアンは最後に見た、ルアンに叫んだ、気丈なシンシアの姿を思い出す。そして、隣にいた教皇の姿――
『お父様が、教皇陛下は怖い方だと仰っていました』
(おれは、なんてことを)
(アステル様に報告するべきだったのに。
シンシア様の願いを優先して、選択を誤った)
ルアンは『シンシアのお守り』を探そうと、あたりを見回す。シンシアから目を離して――ふと、異様なにおいに気づいた。生き物が焼け焦げたようなにおいがする。床に散らばる魔石の灯りが照らす先が、やけに赤い気もする。今までシンシアしか目に入っていなかったのが、周りの景色が急にかたちをなして、五感に訴えかけてくる。
ルアンはカンテラを取り落としたあたりに、白い模様が見えることに気がつく。それは、魔法陣の一部のようだった。見覚えがある描き方、筆跡――
ルアンは動揺し、冷たくなっていくシンシアをいったん、床に寝かせる。そしてカンテラを拾いにいく。
急いで描いた様子なのが珍しいが、間違いなくアステルの字、アステルの魔法陣だ。
ルアンがカンテラを高くあげると、まあるく描かれた円の重なる、大きな美しい魔法陣の全体が見えてくる。白く美しい魔法陣は――血で汚れている。
血だけではなく、黒焦げのひき肉のようなもの、白い細かい破片、筋ばったものが、魔法陣の上に広範囲に分かれて散乱している――これは、焼けた死体のにおいだとルアンは気づく。
黒焦げのひき肉のようなものの中に、なにか、カンテラの灯りに反射して光るものがある。小さなものだ。近づいて、指でつまみあげる。
月の耳飾りが、揺れる。
ルアンは、言葉を失う。
(うそだ、)
形を成していない死体が、だれなのかに、気づく。
(アステル様、うそでしょう?)
アステルは魔術の発動に、自らを代償とした。おそらく、シンシアのために。
シンシアも死に、アステルも死に、ルアンだけが残された。
もう、涙はでてこなかった。
絶望感だけがあった。
(おれも、死んでしまおう)
主人も姫君も守れなかった騎士に、意味なんてない。
ルアンは剣をとり、自害しようとする。
しかし、その寸前に思い出す。
――教皇様は、聖女様のご遺体でも遊ばれるおつもりだろうか?
強い怒りが、ルアンの心を燃やす。
(そんなことは、絶対に、させない)
ルアンは怒りから冷静になり、剣をしまう。月の耳飾りを胸のポケットにしまう。
『シンシアのお守り』を探す。シンシアのお守りは――魔法陣の中央、アステルの肉片の中に落ちていた。
お守りの鎖は切れ、血が付着している。そして金細工の部分が、異様な錆びた色に変色している――
ルアンは口を覆う。
(毒が塗られている)
布を取り出すと、直接触れないように『シンシアのお守り』を包み、しまう。
ルアンは思う。教皇は、シンシアもアステルもどちらも殺すつもりだったのだろう、と。
しかし――
(きっと、アステル様は自らを代償に何かを成した。私の主人は、犬死にするような人ではないからだ)
(シンシア様は、これから私が連れて行く)
(教皇の思い通りには、何ひとつ、させない)
星の耳飾りが見つからない。再度、シンシアを抱き上げ、握りしめた手を開いてみる。その中に、星の耳飾りはあった。
(シンシア様、どうして逃げなかったんですか?)
シンシアは、もう何も言えない。
だが、シンシアは逃げる必要がある。物言わぬ死体となっていても。
『シンシアが逃げたい先だ。だから、ついて行ってあげて』
アステルは、ルアンにそう言った。
ルアンはシンシアを膝の上に抱きよせて、星の耳飾りを持ったシンシアの手に、手を重ねる。シンシアに優しく、声をかける。
「シンシア様、私と一緒に行きましょうね。貴女の行きたいところへ。一緒に、逃げましょう」
ルアンはアステルの残骸に一度だけ目を向ける。それから目をつむり、シンシアに顔をよせて「帰りたい」とささやいた。
ルアンとシンシアは、青い光に包まれて消える。
変な回転がかかるかたちで転移し、ルアンはシンシアの体を守ろうとして、地面に頭をぶつける。ルアンは、帰還の魔法はあまり良い転移方法ではないと感じる。けれど、もう、文句も言えない。
木の葉が風に揺れる音が聞こえる。
やわらかな陽射しを感じる。
ルアンは起き上がる。膝の上に体を横たえたシンシアに手を添えながら。
目の前に、葉が枝垂れたおかしなかたちの木がある。
(これは、ウィローの木ではないだろうか?)
アステルが、スペンダムノスの思い出を話してくれたときに、説明してくれた。
『ウィローの木っていう、葉が枝垂れたへんな木も見たよ。シンシアの生家にあったんだって。海の外では、死者を想う木なんだそうだ』
「シンシア様、ウィローの木ですよ」
ルアンは、シンシアに優しく話しかける。
「ねえ、シンシア様、」
もの言わないシンシアを抱きながら、ルアンは思う。
アステルは、シンシアを守りきりたかったはずだ。
「アステル様、」
ウィローの木を見ながら、ルアンはつぶやく。ルアンは、アステルの死を信じることができない。アステルが魔術で何を成したのかがわからないからだ。しかし――きっともう、会えない。
ルアンは言った。
『私はアステル様の命令であれば、もちろん、命をかけられます。人生をかけたって、いいですよ』
アステルは言った。
『命じるよ、ルアン。シンシアときみ自身を、必ず守るようにね』
ルアンは、心に決める。
(おれは、コルネオーリには、戻らない)
(コルネオーリに戻ったら、シンシア様は連れて行かれてしまう気がする。罠が張られている気がする。そもそも、戻る手段もない)
(今、おれとシンシア様がスペンダムノスにいるのは、アステル様以外、誰も知らない。だからこの近くで、シンシア様を弔える場所を探そう)
(そしておれは何か仕事をしながら、シンシア様のことを守ろう。シンシア様が誰にも妨げられず、安らかに眠れるように)
ルアンはシンシアをおぶって歩き、スペンダムノスの近くに小さな町を見つける。
町には教会がなく、共同墓地があった。教会がない町に出会えたことは幸いだった。共同墓地にシンシアのことを埋めることにする。
(共同墓地に埋めたなんて、アステル様に知られたら怒られそうだ。『シンシアを他人と一緒にするな』って。アステル様は、嫉妬深いから――)
しかし他に、シンシアを埋葬できる場所が見つからなかった。ルアンは、シンシアの体が腐敗する前に、綺麗なまま、埋めてあげたかった。
それに教会も、まさか身分の高い聖女様が共同墓地に埋葬されているなんて、思うまい。
(我慢してくださいよ、アステル様。これも埋めますから。これでアステル様も、一緒にいるようなものでしょう?)
ルアンは毒を洗い流した『シンシアのお守り』と『月と星の耳飾り』を、価値に気づかれぬように、なるべく汚い布に包んで、シンシアと一緒に埋める。何かひとつくらい形見にもらってもよかったかもしれないが、どれも(シンシア様とアステル様のものだ)という気持ちが拭えなかった。
ルアンがシンシアを埋葬したのは、夕方から夜にかけてのことだった。日が暮れて暗くなっても、ルアンは墓穴を掘った。深く、深く――シンシアの眠りが妨げられないように、深く、シンシアを埋めた。
その夜、ルアンは力つきるように、シンシアの墓の上で眠った。
ルアンは、夢を見る。
「わ! きみ、ルアンみたい!」
小さなアステルの顔が輝く。
「ルアン?」
「ぼくが大好きな物語だよ。ルアンは、夜空の色の髪と瞳を持っていて、闇夜に紛れてひとを助けに行くんだ!」
「きみは本当に、ルアンみたい。ね、ルアン」
アステルはルアンの手をとって、やわらかく笑いかける。
「ありがとう」
朝日のなか、ルアンは目を覚ます。
夢の詳しい内容までは、覚えていなかった。ただ、アステルの声がルアンに「ありがとう」と言ったことだけ。耳に残っていた。
ルアンは土のついた手を払う。制服のポケットから、折りたたまれた小さな紙切れをとりだす。「親愛なるルアンへ」ではじまり「アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリ」のサインで終わる手紙だ。
夢で聞いた声を思い出しながら、サインの字を見ていて。ルアンは、涙で視界がぼやけるのを感じる。
(ああ、おれはもう二度と、アステル様に会えないんだな)
しかしアステルはルアンに、役目を与えた。
夢に出てきて「ありがとう」と言ってくれた。
それでもう、充分だ。
(アステル様。おれが、シンシア様を守りきりますからね)
ルアンは紙切れを折りたたみ、ポケットにしまう。それから、次にルアンに何ができるかを考えて、歩きはじめる。