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73) 2周目 墓の結界と埋葬


「墓に結界をほどこしてほしい?」


 ウィローは辺境伯邸の客間のソファーに座り、向かいに座るルーキスの話を聞いている。あまり安全とはいえない町の宿屋に、リアとロアンを残してきてしまっている。そのためウィローは、話を手短に終えたいと思っていた。しかしルーキスの頼み事は、時間がかかりそうな依頼だった。


「そろそろ、シンシアの死にアサナシア教会が勘付きそうなので。それに、嫌な噂を聞きました」

「噂?」

 ウィローは眉をひそめる。


「教皇は死体性愛者(ネクロフィリア)であると」

「ネクロフィリア? なにそれ」

「死体を性的な目的に用いる者のことです」

 ルーキスは淡々と話す。

「仲間から、教皇は死体や骨を収集したり、死体を弄んだりしていると聞いたのです」


「そもそも、我が娘は――……我が主?」

 ウィローが微動だにしなくなってしまったのを見て、ルーキスは声をかける。


「続けて」

「我が娘は、教皇から狙われていたので」

「狙われていた?」

 ウィローは愕然とする。


 ルーキスは目を伏せ、話を続ける。


「リーリアと私は、はじめ、シンシアが強い神聖力を持っていることを隠しながら彼女を育てていました。私が魔物であるために、私たちは教会に家に踏み入られたくなかったのです」


「しかし娘の神聖力が強すぎて隠すのが困難になった。娘がちょうど5歳になったときに、教会から娘を聖女に認定するという手紙が届きました」


「教会から手紙が届くとともに、教皇からも娘に宛てて個人的な手紙が6通届きました」


「それは求婚の手紙でした。0歳からの求婚の手紙が6通。以降、毎年、娘の誕生日に送られてきました」


 狂っている、とウィローは感じた。同時に頭の中で、理由がわからなかったことと考えたくもなかったことが、つながり始めた。


「つい先日も、11歳の誕生日に手紙がきました。まだシンシアの死を教会に報告していないためです」


 ルーキスとウィローの前には執事が淹れたお茶があった。しかし、とても飲む気になれないような話が続く。


「ですからもし、シンシアが死んだと知れば、教皇はシンシアの墓を掘り起こしにくるはずです」 

「そんな馬鹿な」

(墓を掘り起こしにくる? 教皇が?)


「葬儀ができない理由はこれです。さっさと墓に入れてしまった方が良い。かつ、墓は掘り起こされるものだと考えたほうが良い」

「墓は掘り起こされるものだ?」

 ウィローは、自らの常識とルーキスの話が異なりすぎていて、話がのみこめない。


「……わかった、ぼくの出来うる限りの結界を施すよ。偽物の骨とはいえ、シンシアの骨だ」

 ウィローは混乱しつつも、ルーキスの依頼を引き受ける。


 ウィローはティーカップに入ったお茶を見つめる。


「貴方は、その……シンシアを教皇に、とは一度も考えなかったのかい?」

 言ってて吐きそうだったが、念のために聞く。


「ご冗談でしょう、0歳から毎年求婚したいと考える人間なんて魔物から見たってまともではない。

 聖女の役割と教皇が死体性愛者(ネクロフィリア)であることについて考えたら、教皇は聖女であるから娘に求婚しているのです。聖女は死ぬ生き物ですからね。

 そういうわけで、はやくシンシアを嫁がせなければと思っておりました。我が主が連れていってくださると聞いたときは、安堵致しました」


 ルーキスは目を閉じる。


「少なくとも貴方様はシンシアを殺して、殺したあとのシンシアを愛でたいとは考えないと思ったので」

「……」

 気分が悪くなり、たまらずウィローは立ち上がる。


「ルーキス、ぼくは少し頭を冷やしてくる」

 ウィローはルーキスを残し、辺境伯邸の外へと出る。




 ウィローは歩き、辺境領のウィローの木を見つける。少し離れたところから、ウィローの木を呆然と見つめる。



 とんでもない話を聞いて、地面や周りの景色が揺らいでいる感覚だ。感情が考えることを拒否したいと叫んでいるのに、脳が勝手に考えだしている。


 シンシアが死んでしまった、というのはアステルの思い違いで。あのあとルアンがきて、シンシアも実は生きていて、ふたりで逃げていてくれたらいい。

 けれど、やはり死んでしまっていたら? 遺体が教会に渡っていたら? シンシアが死してなお、辱められたり、弄ばれていたとしたら。


 心に浮かぶのは大好きなシンシアの笑顔だ。そして、最後の、死にかけているシンシアの姿。


(愛しい、ぼくのシンシアが)

 全身の血が熱くなり、逆流するような。

 地面がグラグラ揺れるような。 

(ぼくのせいで、辱められたかもしれない)


 巻き戻るべきじゃなかった。その場にとどまり、死に行くシンシアを守るべきだった、という強い後悔が波のように押し寄せる。


(0歳から求婚されていた?)

 そんな話を聞いたことがない。シンシアも知らなかった可能性もあるが――教皇の話をするときのシンシアはどことなく不安げだった。おそらくシンシアはアステルを不安にさせると思って、何かを隠していたのだ。

(シンシアは何か知っていた。知っていたが話したら、ぼくがどうするかもわかっていた)


 絶対に魔病討伐に協力などしなかった。シンシアを監禁してでも、それで大陸が滅ぼうとも、コルネオーリとエオニアの間に戦争が起ころうとも、シンシアの愛を失うことになろうとも、シンシアのみを守ろうと動いただろう。


(――リア)

 愛らしい顔が浮かび、ハッとする。今の話はシンシアの話だが、リアの話でもあるのだと。

 リアが教会に渡ったら、リアは魔病討伐までは生かされるだろう。そして魔病封印の生け贄として死体になる。死体となって教皇の手に渡る。痛みに苦しんで、死体となった挙げ句に、人間としての尊厳を奪われる。

(そんなことを、させてたまるか)


 教皇に対して、ずっと憎しみと共に動揺を抱いてきた。どうしてあんなことをしたのかがわからなかったからだ。『シンシアのお守り』を切り――シンシアが血を流すような切り方をして――教皇がシンシアから『お守り』を奪った理由が今、わかった。確実にシンシアを殺し、死体にするために奪ったのだ。自らの欲望のために。


 『お守り』を切られ、奪われたときのシンシアを思うとやるせない。あれはあの日のシンシアにとって『アステル』同然だっただろうに。 


 強い怒りと憎しみで景色が歪む。

 心に浮かぶのは復讐だ。

 けれど同時に、リアの顔も浮かぶ。

(復讐は、リアを危険に晒す)

 自分から危うきに近づくことはない。

 教会を避け、エオニアを避け、遠回りにキアノスに向かうこの旅の最中(さなか)に。


(ぼくは、リアを守るためにいるんだ。この命は、リアのためだけにある命なんだ。復讐をするためにあるんじゃない。この世界のシンシアは、まだ、生きている。生きて、ぼくのそばにいるんだから)


 でも、どうすればいい。じゃあこの感情はどうすればいい。教皇が憎い、同時に、愚かな自分も本当に憎い。


(教皇を殺したい。なるべく惨たらしい殺し方で。自分のことも殺したい。いますぐ、消えていなくなりたい)


 でも、死んでしまっては、リアを守ることはできない。




 ウィローの木が、風に揺れている。


 ふと、『アステルが深刻な顔をしていたので』と、キスをくれたシンシアのことを思い出す。

 『ずっと一緒ですよ』と、アステルの手を大事そうに包んだ、シンシアのあたたかな手のこと。


(シンシア、きみの夫は本当に愚かだ。愚かな夫で本当にすまない)


 結婚式の日にルーキスは言った。

『あなたが正しいと思う選択が、すべて、正しい道につながっているとは限らない』と。

 選択はやり直せない。もうやり直しはできない。あの世界に、死に行くシンシアを残してきてしまったことは、もう変えられない。


(今、ぼくにできるのは、リアのお墓に最高の結界を施すことだけだ)

 少しでも時間が稼げるように。自分の技術のすべてを尽くして。

(たとえ偽物の骨でも、シンシアの骨として埋葬されるものを、教皇に渡すものか)


 ウィローは、ローブの内ポケットの『シンシアのお守り』にそっと触れる。





 ウィローはルーキスとともに、『聖女の骨』を埋葬しながら、考える。


 

 シンシアがやはり死んでしまっていたとして、その後、教皇の手に渡ったかどうか――誰かに触れられたかどうかは、自分にはもうわからないことだ。ずっと考えてきたことだが、ルアンがシンシアを看取るのに間に合ったのかどうかも、自分にはもう、わからない。


 シンシアが亡くなったときに――ルアンが間に合って、ルアンの腕の中で、寂しくなく、あたたかさを感じながら亡くなっていたら良いと思う。そして誰にも起こされることなく、墓に眠り、安らいでいてくれたら。


 ウィローの木を見た、誰かに想われながら。



 埋葬中に雨が降ってきた。

 埋葬を終えると、ウィローはシンシアのお墓を眺めながら、小さな声で呟く。


「ぼくは、気づいたことがある」


 ウィローは墓の前に、両膝をついて座っている。雨に混じって、ぽた、ぽたと手の甲に涙が落ちる。


「ぼくはシンシアを看取りたかった。彼女の命の火が消えて行くなら、この手で彼女を抱きしめていたかった。彼女が、寂しくないように。

 そして、こんなふうに、埋葬したかったんだね。ぼくは彼女のことを、ちゃんと、弔いたかったんだ」


 雨の中、ウィローは泣き崩れる。『シンシア』の墓の前に頭を垂れて、泥だらけの地面を握りしめながら。ウィローは長いあいだ、泣いている。

 ルーキスが黒い傘を持ってきて、ウィローの上にそっと、差し出す。


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