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71) 2周目 辺境伯 ルーキス・ラ・オルトゥス


 辺境領の塔に辿り着いたのは夜のはじめで、小雨が降っていた。ウィローは屋敷の本邸と塔の間に、屋根のある馬繋ぎを見つけるとロアンに荷物を託す。馬は、今はいないようだ。

「ロアン、ここで待っていて」

 紺色のローブのポケットには、いつもよりも魔石が入っている。物騒な魔術をこめたものもある。


 これから、辺境伯 ルーキス・ラ・オルトゥスに殴り込みだ。10歳のシンシアに会うために、どうしても彼と対峙しなければならない。塔に入るために鍵が必要だからだ。先ほど調べたが、他の手段では開けられないように魔術で保護されていた。その可能性は考えていたし、どうしてもひとこと言ってやりたい気持ちもあったので、会わないという選択肢はなかった。


 今のウィローは王子でも何でもない。ただ、ルーキスは『アステル』の顔は知っているはずだった。コルネオーリの軍部に関わっている人間だからだ。アステルの葬儀にも、来たはずだ。


(辺境伯を殺してでも、シンシアを連れて行く)


 ずっと決めていたことだ。

 辺境伯は、これからシンシアを虐待しようとしている人間であり。おそらく、シンシアが儀式で死ぬとわかっていて、それをシンシアに教えなかった人間でもあった。アステルには何かを伝えようとしていたようではあったが、

(あんな伝え方で、わかるはずがないだろ!)

 思い出すたびに、怒りしかわかなかった。


 窓から、辺境伯の屋敷に侵入する。メイドや執事と出会ったら、眠らせたり、暗示をかけたり、記憶を操作するつもりだった。今までの旅の中で、そうした魔術の練習もしてきた。が――不思議と薄暗い廊下をどこまで歩いても、階段をのぼっても、だれとも出会わない。


(陰気な屋敷だ)

 辺境伯の屋敷らしい屋敷だった。こんな暗い屋敷で、寄る辺なく酷い目に遭い続けた小さなシンシアのことを思うと、胸が痛かった。


 辺境伯は――ずっと、アステルの敵だった。シンシアに虐待の話を聞いてから、ずっと、敵と思って生きてきた。

 葬儀に参列したことのある人間が生きて現れたら辺境伯はどう思うだろうか、と考えながら歩く。きっと、驚くことだろう。



(ここかな)

 ウィローは、辺境伯の書斎らしき場所を見つける。両開きの灰色の扉だ。中央にふたつ、金色のドアノブがついている。


 扉の前でウィローは、妙な感覚を覚える。親しみのようなものを覚えたのだ、長年の敵に対して。


「どうぞ、いつでもお入りください」

 まだノックをしていないのに、辺境伯に声をかけられる。忘れもしない声が、丁寧すぎる言葉で入室を促す。


 嫌な予感がして、ウィローは躊躇する。

 しかしシンシアに会うには、辺境伯に会わないといけない。

 目を閉じて、ひと呼吸置いて、扉に手をかけたその先。


 辺境伯は、跪づいてウィローを迎えた。


「お待ち申し上げておりました。

 我が(あるじ)、魔王 カタマヴロスさま」


ーーーーーーー


 ウィローは、立ちすくむ。

 すべてが、想像したパターンを超えてきたからだ。

 一度この部屋から出たい、とウィローは思う。状況を整理させて欲しい。しかしそれも許さず、辺境伯は跪いたまま顔をあげてウィローに微笑んだ。

(微笑んだ?)

 ウィローは、ぞっとする。


「人間の体を使って、復活なされたのですね」

 ルーキスの微笑みも、言葉も、受け入れがたかった。


(違う!)

 心が叫んでいる。

(落ち着け、落ち着くんだ、アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリ)


 ウィローは、ひと呼吸置いて、告げる。

「ぼくは、魔王ではない」

(ぼくは、人間だ)

 ルーキスは不思議そうな顔をする。


(……相手のペースに乗る必要はない)

 この目の前の男を、努めて『かつての義父』として扱おうとウィローは思う。


「……立ち上がってください、ルーキス・ラ・オルトゥス辺境伯」


 ルーキスは、立ち上がる。


(……もしかして、ぼくは彼にも、命令できるのかもしれない)

 ウィローは気づく。しかし、それは最終手段だ。


「貴方は、魔物だったんですか?」

「もちろんです、我が主、魔王カタマヴロス様。私は貴方の忠実な(しもべ)のひとりですよ。忘れてしまわれたのですか?」

「ぼくを、魔王と呼ばないでほしい」

「カタマヴロス様」

「カタマヴロスとも呼ばないでほしい」

「では、我が主とお呼びしましょう」

 ルーキスは、ウィローとの会話のひとつひとつが嬉しそうだ。ウィローの調子がくるい続ける。


(……長居したくない。本題を話そう)


「シンシアのことですが、」

 ウィローの言葉にルーキスは意外そうな顔をした。

「ああ――我が娘、シンシア、」

 ルーキスは考えながら話す。

「御所望でしたら、どうぞ、持って行ってください」


 ウィローは、衝撃を受ける。

(持って行って良い、だって!?)


「聖なる力が強すぎて、扱いに困っていますので」

 言い方は、人間扱いしているように聞こえずに引っ掛かるが『シンシアを連れて行って良い』とルーキスは言う。一番手こずると思っていたことが、こんなにもすんなりといくなんて。

(こんな幸運、良いのか?)

 ウィローは歓喜の前に、困惑でいっぱいになる。


 もしこれが、シンシアと結婚できる世界なら。ウィローは辺境伯に「シンシアをぼくにください」と全力で頼みたいところだ。でも、今回は、違う。


「オルトゥス辺境伯、」

「我が主、ルーキスと。どうぞそうお呼びください」

 ルーキスは恭しく礼をする。

「……では、ルーキス。ぼくはシンシアのことを連れて行きます」

「それが一番良いでしょう、シンシアにとっても」

「シンシアを、大事にします。今度こそ、守ります」


 ルーキスは、何の話かわからない顔をしたが。ふと、翳った顔をした。そして、こう言葉をこぼした。


「我が主、私の妻は、私が魔物であることを知っておりました」


 ルーキスは暗い夜を映す窓に目を向ける。


「妻は聖女を産み、私を守るため、子を守るために、塔にこもりました」


 雨降りで、月は見えない。


「シンシアが聖女でなければ、どれほどよかったことでしょう」


 辺境伯 ルーキス・ラ・オルトゥスは感情のこもらない声で、淡々と話す。


(ぼくも、シンシアが聖女でなければどれほど良かったかと思った)

 ずっと敵と思っていた人間に、理解を示され。ウィローは戸惑いながらも共感を覚える。


「ルーキス、頼みがあります」

 ウィローの言葉に、ルーキスは灰色の瞳をまっすぐに向ける。

「なんなりと、我が主」


 ウィローは努めて、丁寧に、人間らしく、ルーキスに伝える。


「シンシアの死を、偽装してください。

 シンシアはこれから、別人として生きます。

 聖女にはなりません。

 よって、死ぬことはありません」


「我が主、かしこまりました。……そうですか」


「感謝致します」

 ルーキスはかすかな声で言った。


 そのかすかな声を聞き、ウィローは気づく。ルーキスは、シンシアに対し――魔物と人間で、うまくいかない親子関係のなかで、酷いことを繰り返したのだろうが――その裏に、たしかに愛情はもっていたのだと。


(シンシア、きみには到底信じられないことだろうけど……きみのお父さんは、きみのことを愛していたようだよ)

 ウィローは目を閉じ、シンシアに語りかける。



 ルーキスは塔の鍵を差し出し、ウィローはそれを受け取る。

 ウィローは扉に手をかけたあと、振り向いてルーキスに聞いた。


「たとえば、貴方の娘が14歳で婚約するとする」

「はい」

「そうしたら貴方は、娘にはやく結婚して、子供をつくるようにすすめるかい?」

「すすめるでしょうね」

「それは、何故?」


 ルーキスは、ウィローをまっすぐに見る。


「子ができれば、聖女の役割を逃げることができるかもしれません。死ななくて済む。死なない方が良いのは、魔物も人間も聖女も同じでしょう」


「教えてくれてありがとう、ルーキス」

 ウィローは、部屋から出る。


 少し強まった雨音が、廊下の窓を叩いている。

 部屋の扉をしめたあとで、ウィローは、ずるずる……と扉を背に廊下に座り込む。ルーキスにもらった鍵を両手に包んで、額にあてる。


(シンシア)


 目を閉じ、心の中で名を呼び、祈る。

 しばらくそうしていたが、ゆっくり目を開くと、ウィローを待っているロアンのもとへ。

 そして、幼いシンシアのもとへ、歩き始める。


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