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70) 2周目 おじいさま


「おはいり」


 魔術院の院長 クロコス・ラ・プロヴァターキは、院長室の扉がノックされたあと、声をかけるも誰も入ってこないのを見て不思議に思い、扉を開ける。

 クロコスは薄茶色の髪に、明るい緑色の瞳をしている。見事な金色の刺繍が入った黒いローブを纏っている。今年で74歳になる。


 クロコスが目線を下に落とすと、孫のアステルよりも小さな背丈の子どもが立っていた。紺色の短い癖っ毛に紺色の瞳、白い半袖のブラウスに短い紺色のズボンを履いている。王国騎士団の少年部隊の制服だ。


「きみは確か、ルアンくんだったね?」

 クロコスは屈み、ルアンと目線を合わせて微笑む。アステルの友達のはずだ。魔術院の庭で勝手にふたりで木の実をとって食べ、具合を悪くしたときに診てあげたことがある。


「院長先生、こんにちは。あの、アステル様が熱を出して、おじいさまを呼んで欲しいって言っているんです」

「私を? 城の医師や薬師ではなく?」

 クロコスは怪訝な顔をする。


「アステル様、今、おれとおじいさま以外はお部屋に入れたくないって言うんです」

「わがままを言っているということかい?」

「違うんです! とにかく、来てください!」

「そう言われても、私も忙しいし……」

 クロコスはげんなりした顔で机の上に積み重なった仕事の山を見る。


「お願いです! アステル様が、死んじゃう!」

 小さなルアンは、懇願する。目に涙をいっぱいためている。

(この子どもは、何か可愛い勘違いをしているのだ……しかし、可愛い孫が死ぬとまで言われたら、足を運ばないわけにはいかないな)


「わかったよ、きみの一大事なんだね」

 クロコスはルアンの髪を撫でる。

「少しそこで、待っていなさい」


 クロコスは仕事の山を少しだけ整頓する。

(12歳にもなって、アステルは何を言っているのやら……)

 そう思いつつも、クロコスはアステルが喜びそうな菓子を持ち、ルアンの後をついてアステルの部屋へと向かう。


ーーーーーーー


 アステルの部屋の前で、クロコスは異様な気配に気づく。


(なんだこれは)


 アステルの部屋の中に、なにか、いる。

(持ってくるべきは菓子ではなく、強大な魔物に対峙する準備だったのではないか?)


 クロコスは恐怖を感じるが、ルアン少年は、まったく怖くないようだ。

(そうか、彼には、魔力がないのか……)


「アステル様、院長先生を連れてきました」 

 扉の鍵が魔法で開く音がした。 

 クロコスは、ルアンと共に部屋の中に入る。ルアンは、ベッドの近くまでクロコスを案内する。


 クロコスは、アステルを見て緑色の目を見開く。孫は――金色の髪に青い瞳の、孫の姿をした魔物は、ベッドに寝ていた体を起こす。


「おじいさま、来てくれてありがとう」


 ルアンの言ったとおり、見るからに熱のありそうな赤い顔をしている。白い、ゆるい襟つきの寝巻きを着ている。最後に会ったときより、痩せて、やつれた見た目だ。


 クロコスは迷う。孫がなにか、強大な魔物に取り憑かれている。しかし――本当に取り憑かれているのか? クロコスの目には、アステル自身が魔物になってしまったかのように見える。


「私の孫を、どこにやった?」

 クロコスは震える声で魔物に問う。


「え?」

 ルアンはクロコスを見上げる。

「ルアン、こっちにおいで」

 アステルは優しい声でルアンを呼ぶ。


 ルアンはアステルの方へ歩こうとして、クロコスに腕を掴まれる。

「行ってはダメだ! あれは、危険だ――」

「何を言っているのですか?」

 ルアンは怪訝な顔をする。


「ルアン、こっちにきて!」

 アステルの言葉に、ルアンはクロコスに強い眼差しを向ける。

「離してください!」

 ルアンは力の抜けたクロコスの手を振り払い、アステルのとなりに行く。

「もうすこしそばにきて。ルアン、内緒話があるから」

 ルアンは靴を脱いで急いでベッドの上に上がると、内緒話をしようと片手で口を囲うようにしているアステルに耳を近づける。


 クロコスは魔物に対し、使用する魔術を考えている。しかし何を用いても、勝つことができる気がせずに躊躇する。


「ルアン、ありがとう」

 アステルは顔を近づけたルアンの目を手で隠し、眠らせる。ルアンは毛布のかかったアステルの膝の上に落ちる。アステルは、眠るルアンの肩に手を添えながら、クロコスのことを見る。


(魔物――)

 ルアンを人質にとられた形となり、クロコスはますます動けずに『アステル』を見つめる。



「おじいさま、ぼくは魔力を隠せていないんだね。おじいさまの目には、ぼくが魔物に見えるのかな?」

「人型の魔物以外の、何者にも見えないな。私の可愛いアステルを、どこへやったんだ?」

「やっぱりそうなんだね……貴方の孫がどこへ行ったのか、ぼくもよく知らない。たぶん、この中に居るんじゃないのかな」

 アステルは胸に片手の指先を当てる。


「でも、ぼくもおじいさまの孫なんです。おじいさま、ぼくの話を聞いてください。ぼくは――10年後から来たんだ。22歳のアステル・ラ・フォティノース・コルネオーリなんです」


「……なんだって?」

「13歳の頃、おじいさまからアズールの家の鍵をもらいました」

「……」

 それは、確かに先々、アステルに渡そうと思っていたものだ。アステルに話をしたことは一度もない。だが、しかし――


「時間超越だって? 魔術でそれを成したのか?」

 クロコスは信じ難い、という顔をする。

(そんなことが可能なのか? 理論上可能だとしても、そんなことを成す触媒がこの世にあるのか?)


 アステルは少し悲しそうに微笑んで、頷く。孫はこんな大人びた表情はしないとクロコスは思う。

 魔術が失敗した、だの、成功した、だので一喜一憂して、成功すれば満面の笑みで自慢してきて、魔術と物語の話ばかりしていて、他のことはなーんにも考えていないような感じでルアンくんを連れ回している孫だ。


「おじいさまは、時間超越をするような触媒なんて、この世にあるのか? と思っていらっしゃる」

 考え込んでいるクロコスに、アステルは告げる。

「結論としては、ありました。ぼくは『魔王の遺骸』を触媒にしました」


「『魔王の遺骸』を触媒にした?」

 クロコスは唖然とする。

「アステル、おまえ……」

 クロコスは無力感を覚える。孫が、今まで教えてきたことを全部無駄にするようなことをやってのけたからだ。

「そんな馬鹿げたことを……」


「馬鹿なことをしました」

 アステルは力無く、笑っている。

 クロコスは窓辺のテーブルに菓子の入った箱を置き、椅子をベッドのそばにひいてきて、座る。


「本当に大馬鹿者だぞ。あれほど魔物を触媒にするなと言い聞かせたのに」

「忘れていました」

「基本中の基本を忘れるな。魔物を触媒にすると失敗する。稀に成功したとしても、魂が穢れると、そう言われている」

 クロコスは、片手で頭を抱える。


「人と魔物の魂が、混ざるのだと」


 まさに、目の前の『アステル』の状態だ。


「つまり、私の孫は魔王に、乗っ取られたのだな」

 クロコスはうつむく。

「まだ、乗っ取られていません。だって、ぼくにはちゃんと、自我がある」

 アステルは胸に手をあてる。


「今はまだ、というだけの話だ。『魔王は乗っ取る体を探している』そういう話があるのを知っていて、おまえはそれをしたのかい?」


 声は優しいが、クロコスはアステルの行いを批難する。


「おまえが『魔王の遺骸』を『触媒に使う』などという狂気じみたことをして、『魔王が乗っ取る体』はおまえになった。結果的に、おまえは、マヴロス大陸全土を敵にまわしたわけだ」


 アステルは目を見開く。

「なるほど、そうか――ぼくはこれから敵にまわるつもりだったけれど、この魔力を得た時点で、もう、そうなのか」

「敵にまわる?」

「いえ、こっちの話です」


「でも、おじいさまは、ぼくを『孫が魔王になるかもしれないから』と言って、アサナシア教会につきだしたりはしないでしょう?」

 アステルは眠るルアンの髪を軽く撫でながら、聞く。

「今だって、ぼくの話を聞いてくれているわけですし」


 クロコスは黙り込む。

 話せば話すほど、アステルが22歳になったらこういう成長の仕方をするのだな、という納得があった。22歳のアステルが、可愛い可愛い12歳のアステルをどこかへ追いやってしまったのは、許せなかったが。


 大馬鹿者ではあるが、魔術で時間超越をやってのけたというのは、おそらく前人未到のことであり、歴史的なことであり、誇らしくもあった。歴史に残らなさそうではあるが、興味深い。話を聞いてみたい。



 しかしクロコスには、ひとつ納得がいかないことがあった。


「なんでそんなことをしたんだ」


 アステルはそこではじめて、言葉に詰まった。

 様子がおかしい、とクロコスは感じた。

 話しだしたら感情的になりそうなので、話せないようだ。目線を落とし、じっとルアンを見つめて暗い顔をしている。


 何にせよ、「やってみたかったから」とか馬鹿げた理由ではないのは、伝わってきた。アステルには『魔王の遺骸』を用いてでも時間超越をするほどの理由があったのだろう。


「言いたくないなら、言わんで良いよ」

「……ありがとうございます」

 アステルはか細い声で言った。



 しばらく沈黙ののち、アステルは聞いた。


「……おじいさま、ぼくはどうすれば、魔王に自我を乗っ取られないと思いますか?」

「『自分が自分である』ということを忘れないことだな。自分を魔王だと思わずに、人間で、魔術や物語が好きなアステルだと、思い続けることだ。他にも好きなものがあるなら、それを数えながら生きることだ」

「……それだけですか?」

「ああ、私からできるアドバイスはそれだけだよ、アステル」

 クロコスはアステルに微笑んだ。

 それはアステルにとって、懐かしい微笑みだった。


「……ぼくは、おじいさまに助けてほしいことがあって貴方を呼んだんです」

 アステルは、目線を落としてルアンのことを見つめる。

「……なにかね?」


 アステルは顔をあげて、クロコスを見つめる。


「ひとつめ ぼくが部屋から出るためには魔物の魔力を隠しきれるようにならないといけない。それを助けてほしい。ぼくだけの知識では到底無理です」


 クロコスは難題だと感じる。

 

「ふたつめ 熱がでるんです。12歳のアステルの体が、魔王の遺骸に対して拒否反応を示しているみたいだ。これもぼくの知識だけではうまくいかなかった。熱を下げるのを、助けてほしい」



「お願いします、おじいさま。ぼくを助けてください」

 アステルは、クロコスに懇願する。


「――わかったよ、アステル。協力しよう。……アステル?」


 アステルはクロコスの協力が得られたとわかるなり、ベッドに倒れこむ。クロコスが額に触れると、驚くほどの高熱だった。

 はじめ、無理をしてしゃべっている感じはあったが、一度だけ言葉に詰まった以外は、淀みなく話し続けた。クロコスの協力を得るために、必死だっただけのようだ。


 ルアンが「アステル様が死んでしまう」と涙目で訴えてきたのを思い出す。この高熱では、本当に死にかねない。コルネオーリ城に、魔王の遺骸が転がりかねない。


 クロコスはアステルの膝で寝ているルアンを抱きかかえると、ソファーに寝かせ直す。アステルの体も直し、毛布をかけたあとで、熱を下げるための魔術について考え始める。


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