表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/152

69) 2周目 混濁する意識


 混濁する意識のなかで、小さなルアンが目を輝かせてぼくに拍手をしている。森のなかに魔物の死体がある。ベッドに長く散らばるお母様の髪。おじいさまの手が、ぼくの金色の髪を撫でる。ルアンと剣を交えたときの音。ぼくが作ったへんてこなケーキを食べたルアンの笑顔。


 白い女の子の姿絵。白い女の子がカーテシーをしている。シンシア。部屋を触ってまわるシンシアの白い手。床に眠るシンシアの細い肩。はじめて花を渡したときの驚いた表情。雨の日に毛布の中で泣いているシンシア。金細工のお守りを見て、綺麗だと喜ぶ横顔。太陽の光さす花畑で、飛ぶ鳥を嬉しそうに追いかける目線。何度もつないだ手。ぼくの膝の上で恥ずかしそうに「アステル」と呼ぶシンシア。白い箱の中の、月と星の耳飾り。温室でのキス。帽子で顔を隠すシンシア。ボートの上で白い髪についた赤い葉っぱ。風に揺れるウィローの木。シンシアからのキス。左足の火傷の跡。涙。白い花嫁姿で、照れたように部屋に入ってきたシンシア。ぼくの腕のなかのシンシア。朝、起きたときのシンシアの寝顔。ソファーの上で重ねた手。抱きしめたときのぬくもり。小さな体。あたたかな髪。お花が咲いたように笑う顔。


 耳に残る、シンシアの悲鳴。痛い、痛い、痛い、痛い―― 魔王の遺骸に触れて、激しく泣き叫ぶシンシア。次第に弱っていくシンシアの姿。


 何もできない、見ているだけの、ぼく。



 シンシア、ねえ、ぼくもそちらへ行きたい。

 きみと一緒に、死んでしまいたい。

 死んでしまいたかった。


 シンシアは何も言わない。シンシアはもう何も言えない。魔王の遺骸がなくなった世界で、床の上で冷たくなっていくシンシアの体。夢の中でもぼくには触ることができない。手を伸ばしても届かない。


 シンシア。愛しいシンシア。

 ぼくはかならず、きみの願いを叶えにいく。きみを救ってみせるから――






 汗びっしょりになって、アステルは目を覚ます。ここは――コルネオーリ城の自室だ。ベッドの上で寝ていたようだ。上半身を起こし、手を見る。少年の手だ。震えている。夢ではない。本当に時を巻き戻り、過去に戻ってきたようだ。この世界のアステルの体を乗っ取って。


 魔術は成功した。しかし、喜びなんてない。愛するシンシアは死んでしまった、痛いと叫びながら死んでいった。守れなかった。死なせてしまった。


 震える手に、ぽたり、ぽたりと涙が落ちる。声にならない声を押し殺して、少年の姿のアステルは泣く。



 シンシアの運命を変えたいと――助けたいと思って、過去に巻き戻った。『魔王の遺骸』と『自らの命』を触媒にした。代償で体が崩れ落ち、想像を絶する痛みがあった。でもそんなのは、長く痛みを感じながら、少しずつ命を奪われていったシンシアの苦しみに比べれば、ほんの一瞬だった。

 

 きっと、ここにはあの「シンシア」はいない。うつむきがちで、自信がなくて、でも、花が咲くように笑うシンシアはいない。

 この世界のシンシアは、よく知るシンシアではない。シンシアはもう、死んでしまった。看取ることすらできなかった。違う。


(ぼくが、看取らない選択をした)


 ルアンは、シンシアを看取るのに間に合ったのだろうか。


(ルアンはシンシアだけではなく、ぼくの末路も見たはずだ)


 ルアンは、どうなっただろうか……。



 シンシアとルアン。

 この世界では、まだ2人とも幼く、何も知らず。そして、生きている。


 シンシアは、きっと、母親と塔にいる。今すぐこの世界のシンシアに会いに行きたかった。抱きしめたかった。抱きしめて、シンシアが生きていることを確認したかった。そして虐待を受ける前に辺境領から助け出し、神聖力のことをひた隠しにして、教会と関わらないように育てる。

 そんなことを淡く夢想する。


(だが、ぼくもまだ、少年だ。幼いシンシアを守りきれるだろうか?)


 漠然と考えるうちに、大変なことに気づく。この世界では、まだ、シンシアのための研究が完成していない。それどころか、研究記録すらない。


 『シンシアのお守り』がまだない。

 彼女に貰った、大事な耳飾りもない。

 どちらも、存在しない。



(研究記録なく、「太陽の光を防ぐ魔法」を成立させることが果たして可能なのか?)

 アステルは恐怖する。

 頭の中で覚えている情報――記憶のみで、あの魔法を成立させることができるのだろうか。


 「太陽の光の克服」は、シンシアの幸福にとって絶対だ。それだけは譲れなかった。シンシアの死の大きな一因かもしれない。だとしても、譲れない。


(ぼくはシンシアをただ、生かすためだけではなく。幸せにするために戻ってきたのだから)


 しかし、あの複雑な魔術を成立させることが、可能かどうかがわからない。

 アステルは心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。毛布を掴み、握りしめ、しばらくそうしている。



 少し恐怖が過ぎ去ったあとで、小さな両手を開いて眺める。


(ぼくは、どのくらい過去に戻ってきたのだろう)


 ベッドからおりて鏡に映った少年の姿を見て、ぞっとした。あわてて、メガネを探す。


 メガネはリボンのついた箱に入った状態で書き物机の上にあった。12歳の誕生日に一番上の兄がくれたものだ。つまりアステルは今、12歳だ。


 このメガネは魔術研究用で、ものにこもった魔力をある程度、数値化して見ることができる。不正確だが、人の魔力も見ることができる。


 メガネをかけて鏡でもう一度、姿を見る。気分が悪くなり、アステルはその場に崩れるように座り、嘔吐する。


 アステルは、とても人間とは言い難いほどの強大な魔力を手に入れた。


 あの世界の「魔王の遺骸」は、どうやら、アステルと融合してしまったようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ