66) 1周目 小さな紙切れ / 裏切り
魔病討伐のあいだ、聖騎士隊は進んでは決められた地点で止まり、進んでは止まった。
シンシアは止まった地点で祈ることを繰り返していた。祈祷の時間がたくさんあった。でも、大陸の平和のためだけに祈ることは難しかった。なぜなら夫のアステルのことが心配で、心の大部分を占めていたからだ。
出立の前、アステルはシンシアに約束した。
「ぼくは毎晩、きみに手紙を書くからね」
「どうやって?」
「転送魔法できみのところに送るよ、だからこの魔石を持っていてね」
転送魔法の送り先となる魔石を、アステルはシンシアに渡した。
しかしシンシアは、祈祷の際に魔石を持つことが許されなかった。なのでシンシアは、アステルから貰った魔石をルアンに託した。
アステルは本当に毎晩、手紙を書いて送ってきた。「愛するシンシアへ」ではじまり、「愛を込めて」とアステルのサインで終わる手紙だ。手紙の中に道中見つけた花や、変わった木の実などが入っていることもあった。
魔術の研究をしているときの字と異なり、気持ちのこもった丁寧な字で書いてあることがシンシアは嬉しかった。
ルアンが毎晩、手紙を持って来て、シンシアに渡す。手紙を読むシンシアが嬉しそうな表情なのを見て、ルアンも嬉しそうにしている。
シンシアはルアンにも、内容を簡単に話して聞かせる。
「鹿の魔物や鳥の魔物をやっつけたよ、って書いてありました」
「班のメンバーにルアンに似た雰囲気の魔術師がいるよ、って書いてありました」
アステルからの便りは、アステルが無事であるという知らせであり、ふたりは本当に嬉しかった。けれど手紙にはいつも、シンシアとルアンの身を案じ、無事を祈っていることが書かれていた。だから、こちらの近況もアステルに知らせることができれば……とふたりは思っていた。
しかし、ふたりは身動きがとれない。エオニア側に、ふたりの動向を監視しているような動きがあったからだ。
「今、逃げたりしないのに」とシンシアが言うと、ルアンは「こんなに聖女様に対する警備が厚いのは、なにか、逃げられた前例でもあるんでしょうか?」と言った。
ふたりは少し、不安だった。しかし、ふたりにはアステルの『帰還の魔法』があった。マヴロス大陸で3人しか知らない魔法が。
3日目の夜、シンシアがルアンの持って来た手紙を開けると、便箋のあいだから折りたたまれた小さな紙切れが落ちて来た。
シンシアはその紙切れを開いてすぐに閉じ、ルアンに差し出した。
「ルアン宛てです」
「やっかいな命令とかですかね」
ルアンは笑いながらも、嬉しそうに小さな紙切れを手にする。
紙切れにはこう書かれていた。
シンシアに対する字よりは、やや走り書きな字で。
「親愛なるルアンへ
3日間、シンシアを守ってくれてありがとう。
明日も、ぼくと合流するまで、シンシアのことをよろしく頼むよ。
帰ったら3人で一緒に、美味しいものを食べよう。今度はお酒も一緒に飲んでくれることを期待しているよ。
アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリ」
(自分は飲まないくせに)
ルアンは笑う。でも、アステルが本当に一緒に飲んでくれるのであれば、魔病討伐のあとであれば、一緒に飲んであげても良いかな……とも思う。
ルアンはそっと、紙切れをたたみ、王国騎士団の制服のポケットに入れる。
ーーーーーーー
翌朝、まず先に聖騎士隊の一部がカタマヴロス城の中に入り、城内の魔物を殺し、安全を確保する。安全が確認された昼前になってから、教皇イリオスや聖女シンシアを含む、後に控えていた聖騎士隊の全員が城の中に入る。
聖騎士隊は、カタマヴロス城内の待機地点である、一階の大広間に到着する。とても広く、天井もとても高い場所だ。聖騎士隊のほぼ全員が封印の儀式中、ここで待機となる。
ルアンとシンシアは、アステルの言葉を思い出す。
「聖騎士隊全員にはぼくのことは知らされていないから、混乱を避けるために、ぼくは『封印の扉』の前で待ち合わせみたいだ」
なのでふたりは、封印の扉の前でアステルが待っている、そこまで行けばアステルと会えると考えていた。
城内ではあるが、祈祷のために設置されたテントの中にシンシアはいた。エオニアが用意した、白く美しいドレスに身を包んで、祈祷している。でも、気はそぞろだった。
(魔王の呪いの封印が成功しますように)
という祈りの他に、
(アステルに会いたい、もうすぐ会える)
という思いがあったためだ。
エオニアの聖騎士がテントを訪れ、シンシアに時間であることを告げる。コルネオーリの聖騎士も一名、「封印の扉」までであれば付き添って良いと言伝があり、ルアンも同行する。教皇とシンシアを守るために、エオニアからも4名の聖騎士が封印の扉まで付いていくようだ。
封印の扉まで歩く順は、聖騎士2名 教皇 シンシア 聖騎士2名 ルアン の順だった。シンシアは少し不安そうに、ルアンを振り返る。ルアンはシンシアを安心させようと、微笑んで頷く。
大きな螺旋階段を登り、白く大きな封印の扉の前まできて――シンシアとルアンは、気づく。
アステルがいないことに。
教皇イリオスとシンシアは封印の扉の前に立っている。
その横に、儀式の進行役をつとめる聖騎士が控え、「これより封印の儀をおこなう」と話し始める。
シンシアとルアンは顔を見合わせる。
シンシアの不安そうな顔を見て、ルアンは声をあげる。
「お待ちください。アステル様がまだお見えになっていないようですが」
コルネオーリからきた聖騎士が、神聖な儀式の場で急に発言したことで、エオニアの聖騎士たちがざわめく。
「アステル? 誰だ?」
「そんな者、儀式に参加する予定だったか?」
(何も話が通っていない?)
ルアンは愕然とする。
シンシアは呆然として、となりに立つ、教皇イリオスの顔を見上げる。イリオスの口元は、わずかばかりだが、わらっている――
(エオニアは、コルネオーリを――違う)
ルアンは、髪が逆立つような感覚を覚える。
(教皇は、アステル様を裏切った)
怒りで、全身の血が煮えたぎりそうだった。目の前に立つ男が、敬愛するアステルの、シンシアへの想いを裏切ったと感じると。
シンシアは、手の中にそっと『星の耳飾り』をしのばせている。そしてその手を、胸で揺れる『お守り』に当てる。
(いつでも逃げられる)
目をつむり、アステルの無事を祈り、目を開き、ルアンを見つめる。
「ルアン、アステルを探して!」
シンシアは叫ぶ。ルアンは一瞬、躊躇したのち、踵を返して階段を駆け下りはじめる。
「待て!」
ルアンの近くにいた、聖騎士が声をあげる。
「その者は、儀式の進行を妨げようとしているようだ。捕らえろ」
教皇の言葉を聞いて、聖騎士2名がルアンの後を追う。
ルアンは螺旋階段を駆け下りる。
(シンシア様の仰るとおり、アステル様を探して、連れてくるのが最善手だ)
(アステル様、どうかご無事で――)
ルアンは走る。
ルアンと聖騎士2名の姿が見えなくなると、あらためて封印の儀は再開される。扉の封印が教皇イリオスの神聖力により解かれると、イリオスはシンシアに手を差し伸べる。
「行きましょうか、聖女様」
シンシアはイリオスを見上げる。
青みがかった灰色の瞳には、夫を裏切った教皇への怒りと、不安の色がある。
シンシアはイリオスの手をとらずに、自分から封印の扉に歩き進む。
イリオスは手を下ろし、シンシアの後ろに付き添って、封印の扉の先へと歩みを進める。