64) 1周目 討伐隊の結成式 / 教皇イリオス
魔病討伐隊の出立の一週間前、エオニア城内の大聖堂にて討伐隊の結成式典があった。
結成式の朝、アステルは前夜からの高熱が下がらず、城の自室のベッドにいた。部屋にはアステルのそばにシンシアとルアン、入り口のあたりにメイドと執事が一人ずつ立っている。
シンシアとルアンはもう、結成式に行く準備を済ませている。ルアンは王国騎士団の制服を着て、シンシアは白と水色の、清楚な印象のドレスに身を包んでいる。
「ぼくも行く。ぼくもエオニアに行くよ」
アステルは咳をしながら、無理に体を起こそうとする。
「ダメですよ、アステル」
「そうですよ、アステル様……寝ていてください」
「回復魔法が効かないんだよ、ちょっとした風邪ならすぐ効くのに。変な風邪をもらったみたい。
シンシアに昨日、神聖力で治してほしいって言ったんだけど、ダメだって言うんだ」
「だって、日頃の無理のせいだもの。少し休んでほしいわ」
シンシアは、アステルの前髪をかきわけ額に手を触れる。まだ、前夜と変わらず高熱だ。
アステルは魔病討伐に向けて、はりきって準備をしていた。なんとか魔病討伐にかかる日数を……シンシアと会えない日数を短くしようと考えているようだった。
(アステルは、また寝食を惜しんでいる)
とルアンもシンシアも思っていた。
どんなに遅い時間でも、徹夜して朝であっても、もう床やソファーでは寝ずに、シンシアのベッドに戻ってくるので――逆に、シンシアにアステルの生活リズムのひどさが筒抜けなのだった。
流石に朝に帰ってきたときは、シンシアも少々ふくれたので、以降は少しよくなったのだったが。
「本当に不甲斐ないよ、なんでこんな……」
アステルは、聖女らしい姿のシンシアを見る。次に、ルアンを見る。ルアンは、アステルの手をとり、アステルと目を合わせる。
「アステル様、私がシンシア様をお守りしますから。安心しておやすみください。一週間後、魔病討伐に万全の状態でむかえるように、アステル様は、今日は休んでいてください」
じっ……とアステルはルアンを見つめる。アステルは、ベッドに横になる。
「……わかった。頼んだよ、ルアン」
ルアンの手を握り、そう言うと、アステルはすぐに寝入ってしまう。本当に限界ぎりぎりの状態で話していたようだ。
シンシアとルアンは顔を見合わせる。
「行きましょうか、シンシア様」
「ええ、ルアン」
ふたりは結成式に向けて、コルネオーリ城内の転移魔法陣のある部屋に向けて歩き始める。その部屋でコルネオーリから魔病討伐に参加する聖騎士と魔術師、数名と合流するとエオニアへと向かう。
ーーーーーーー
結成式は、つつがなく行われた。
聖女のシンシアには、大聖堂の2階に特別な席が用意されていた。式典中、ルアンやコルネオーリから来た者も付き添い、同じ場所にいた。
ルアンが気になったのは、人々がシンシアを見る目だ。
(アステル様は、来なくてよかったかもしれない)
エオニア内外の聖職者や聖騎士から、はじめて見る『今代の聖女』に向けられる熱い眼差しと好奇の視線。ルアンは、シンシアの緊張とプレッシャーを感じとり、終始シンシアを気遣いながら過ごす。
結成式の終わりごろ、シンシアはルアンにこっそりと耳打ちする。
「ルアン、私……アステルのことが心配なんです。それに、なんだか、その……居心地が悪くて……私も気分が悪くなってきてしまいました」
そりゃそうだろう。ルアンもこんな荘厳で堅苦しい雰囲気は苦手で、早く帰りたかった。
「このあとのパーティーは欠席して、コルネオーリに帰りたい……です」
シンシアの言葉を聞いて、ルアンはすぐに、他の聖騎士に声をかけ、エオニア側に伝えに行ってもらう。
「もちろん帰りましょう、シンシア様。アステル様のところに」
「ありがとう、ルアン」
ルアンが微笑みかけると、疲れた顔のシンシアは少しだけ、微笑みを返す。
ーーーーーーー
結成式のあと、シンシアとルアンは、こっそりと大聖堂を抜け出す。
エオニア城の中庭を通り――なるべく人目につかない道を選んで通り、コルネオーリへの転移魔法陣がある部屋を目指す。
中庭は人気がなく、シンシアはようやくホッとした顔をしている。いつもどおりの柔らかいシンシアの雰囲気が、少しだけ戻ってきたとルアンは思う。
中庭の中心に大きな噴水があるようで、水の音がする。シンシアは、気持ちを惹かれているようだ。
ルアンは聞く。
「見に行ってみますか?」
「寄り道になってしまいますが、良いんでしょうか?」
「ほんの少しですよ、きっと大丈夫です」
ルアンは、シンシアに笑いかける。
アステルだったらきっと、そう言うと思ったからだ。
(今日の私は、アステル様の代わりだ。到底、代わりにはなれないが――シンシア様の心も、守ってさしあげなければ)
少しでも良い一日にしてあげたい、疲れを癒してあげたい、とルアンは思う。
ルアンはシンシアを連れて、中庭の人目につかない道から離れ、ふたりは噴水を見に行く。
シンシアは(わあ〜!)と目を輝かせて華美な噴水を見ている。アステルに見せたい表情だとルアンは思う。
「とても綺麗な噴水ですね!」
シンシアは振り向き、ルアンに笑いかける――とともに、シンシアの表情が凍りつき、笑みが消える。ルアンは振り返る。
男が一人、シンシアとルアンの前に立っている。ルアンはシンシアの前にいたが――その人物が何者かに気づく。護衛のルアンが間に入れるような人物ではない。一礼し、ルアンはシンシアの横に控える。
「聖女様――シンシア・ラ・オルトゥス様――体調が優れないと聞きました。お帰りの前に、ご挨拶をさせていただいても、よろしいでしょうか?」
(何故こんなところに、エオニアで一番偉い人間がいるんだ?)
ルアンは激しく混乱する。ルアンにとっては、結成式で言葉を述べている姿を見て、はじめて顔を見た人だ。エオニアの王――教皇イリオスが、中庭に佇み、シンシアに微笑んでいる。
教皇は銀色の髪に、紫色の瞳だ。
聖職者らしい白い服の上に、さらに裾の長い白い服を羽織り。その裾を揺らして、教皇はシンシアに一歩、近づく。
「こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。イリオス・アハーティス・アルデンバラン・カタレフコス教皇陛下……」
シンシアはカーテシーをしようとするが、教皇はもう一歩、シンシアに近づき、跪く。
呆気にとられて教皇を見たシンシアの手をとり、教皇は、口づける仕草をして挨拶をする。エオニアの王としては、おかしな振る舞いだ。そして、立ち上がるとシンシアに微笑んだ。
「魔病に立ち向かう聖女様に、アサナシア様のご加護がありますように」
アサナシア教式の祝福だといわんばかりの振る舞いだ。シンシアは教皇に触れられた手をもう片方の手でとり、胸に揺れる『お守り』に重ねる。
ルアンは混乱しながらアサナシア教に関する記憶を辿る――しかし、やはり、手に口づけをするのは姫に対する騎士の挨拶、そこから転じて、恋人に対する挨拶だと思う。他国の妃に対する、他国の王の振る舞いとしては相応しくない。
教皇は、もう一歩、シンシアに近づく。
シンシアのことを見下ろし、見つめている。
(近くないか!?)
ルアンはハラハラする。キスやハグもできてしまいそうな距離感だ。シンシアとアステルのことを思えば、今すぐ間に割って入りたい。しかし、どこで割って入れば良いかがわからない。
教皇は指を伸ばし、シンシアの頬に触れようとする。しかし、それはできなかった。シンシアが教皇の手を、振り払ったからだ。
「教皇陛下、陛下は私の名前をお間違えですわ」
ルアンはシンシアの瞳に、強い意志を感じる。シンシアは2歩下がり、噴水の前でカーテシーをした。
「シンシア・ラ・フォティノース・コルネオーリです、陛下」
「ああ、そうでしたね……ご結婚、おめでとうございます」
頬に触れようとしたのなんて、気のせいだったのではと思うほど……人を安心させる笑顔で教皇はシンシアに微笑み、祝いの言葉を述べた。
「本日は夫が体調を崩しておりますので、これにて失礼致します。また後日、魔病討伐の際には、夫とともにご挨拶に伺えたらと思います。
魔病討伐の際には、慣れない身ゆえ、陛下にご迷惑をかけることもあるかと思いますが……何卒よろしくお願い致します」
「いいえ……一緒に頑張りましょうね、聖女様」
「ありがとうございます、教皇陛下」
シンシアは、恭しく礼をして、歩き去る。ルアンも礼をして、その場を去る。
しばらく歩き、教皇が見えなくなってもさらに歩き、建物の中に入ると――シンシアは床にへたりこんだ。
「ああ、こわかったあ……」
「シンシア様。驚きました、大陸一の聖職者にあんな強気な……」
「ダメでしたか?」
「いいえ、御身を自分で守ることができて、素晴らしいです」
「私も触られるのが嫌でしたし、きっとアステルも嫌だろうな、と思ったら、考えるより先に体が動いてしまいました」
シンシアは、ルアンの顔を不安そうに見上げた。
「ねえ、ルアン。アステルに今のことを報告しますか?」
「……」
報告すべきだろう、という気持ちと、報告したらアステルはどうするだろうか、という気持ちの間でルアンは揺れ動く。『魔病討伐には参加しない』『魔病討伐のあいだ、シンシアをもう、部屋から一歩も出さない』とか言い出さないだろうか……。
「コルネオーリとエオニアの関係を、悪くしたくないのです。教皇陛下だって、あんなの、一瞬の気の迷いのはずですよ。こんなちんちくりんな私に」
「ちんちくりんって」
「こんな私を、頭の先からつま先まで好いてくれているのなんて、アステルだけですよ」
「惚気にしか聞こえませんが」
「はい、惚気ています」
シンシアは、ふふ、とルアンに笑った。
(まあ、シンシア様は美しいから、見惚れてしまっただけかもしれない。気の迷い、なんだろうな)
ルアンには今さっき見た光景が、幻のようにしか思えなかった。大国エオニアの王が、他国の妃に懸想するとは――到底考えられない。
シンシアは立ち上がり、ルアンに向き直る。気持ちが落ち着かないのか『お守り』に手を触れながら話す。
「ただ……お父様が、教皇陛下は怖い方だと仰っていました」
「怖い? どんなふうにですか」
ルアンは眉をひそめる。
「わかりません。でも、お父様が私にそんなふうに、人に対して『用心するように』と言ったのは後にも先にも教皇様だけなんです――ですが、数年前、教皇様は先代から代替わりされていますよね。どちらの教皇様のことなのか――お父様って言葉が少ない方だったので、私にもよくわからなくて」
ルアンは、アステルが地図上の廊下を指差して険しい顔をしていたことを思い出す。
――『教皇は、男だろう?』
アステルは、廊下の間だけでも異性とシンシアをふたりきりにしたくないと言った。あのとき、ルアンは呆れていたが。嫌な予感が、胸をかすめる。しかし……ふたりきりにはならない。だって、アステルは儀式への立ち会いを許されたのだから。
(はやく風邪を治してくださいよ、アステル様)
シンシアはいつもアステルの後ろに隠れているような女性だと、ルアンは思っていた。しかし今日の姿を見て、思っていたよりずっと、気丈で強い女性だとルアンは感じた。
(シンシア様は、アステル様に相応しい女性だ)
ルアンは、アステルへの忠誠心とシンシアの想いの間で揺れ動きながらも、ふたりの助けになり、ふたりのことを支えたい、と強く願う。
ーーーーーーー
教皇イリオスは、噴水の前に立ち尽くしている。イリオスは、先ほどシンシアがいた場所に、指を伸ばす。
触れたかったのは、頬ではない。
イリオスは伸ばした指を、シンシアの頬から顎にかけてのラインをなぞるように、下ろす。
その先にあった、細い首筋のことを思う。
イリオスは、ぎゅっと、伸ばした片手をつよく握りしめる。楽しそうに微笑む。
イリオスは幼い頃から、ずっと待っていた。『今代の聖女』の誕生を。イリオスが直接手を下し、殺めていい命のことを。しかし聖女は、なかなか生まれてはこなかった。
シンシア・ラ・オルトゥスにずっと会いたかったし、手元に置きたかった。それを彼女の父、コルネオーリの辺境伯 ルーキス・ラ・オルトゥスは頑なに拒み続けた。
辺境伯とその妻が隠そうとした聖女が発見され――当時、20歳のイリオスは5歳のシンシアに会おうと、従者を連れて、非公式にコルネオーリの辺境領を訪問した。
しかし、ルーキス・ラ・オルトゥスはイリオスの前に立ちはだかった。
「娘の病は重く、塔から出すことはできない。貴方がたを塔に入れることも、できない。お引き取り願いたい」
『エオニアの皇太子に失礼だ』と従者たちは非難轟々だったが、オルトゥス伯は頑なだった。
(魔病討伐の――魔王の呪いの封印の真相を、この男は知っているのではないか?)
とイリオスは感じた。ありえない話だが、そうではないかと疑った。
しかしそれ以外にも、個人的にも――この男はイリオスをひどく、嫌悪している――と、イリオスは肌で感じた。
9年。何度、懇願しても、会わせてすらもらえなかった。幼い頃から、ずっと運命の相手だと信じてきた相手に。それが2年と少し前、急に、コルネオーリの第四王子に嫁ぐことになったと知った。
あの夜、一度だけ会った辺境伯の顔を思い出し、憎く思った。
何故、と。
(何故、エオニアの皇太子である自分ではダメで。高貴な血筋の自分ではダメで。平民の血すら混じっている、コルネオーリの第四王子――アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリが選ばれたのか)
彼に興味を持ち、実際に会ってみても、理由がわからなかった。彼は、才能のある人間なのだろうし、意志は強そうだったが――こちらが笑顔を見せ、歩み寄りを見せれば簡単に騙された。コルネオーリらしく平和ボケした、他人を疑うことを知らない男だった。
側室の子どもだなんて、エオニアでは幼少期に毒殺されるのが常だ。それが、正室の子である兄たちにも可愛がられ、大人になるまで育つ――それも、コルネオーリならではだ。
アステル・ラ・フォティノース・コルネオーリのすべてが羨ましく、妬ましく、憎かった。
なにより、あの辺境伯が聖女シンシア・ラ・オルトゥスを、アステルのもとに送り出したことが。いくら望んでも、願っても、得られなかったものを、望まずに得た彼が。仲睦まじい夫婦であると噂されていることが。シンシアを愛し、シンシアに愛され、シンシアの身も心も手に入れているであろうことが。
(『陛下は私の名前をお間違えですわ』だって?)
名を知ってから11年、『シンシア・ラ・オルトゥス』の名を、何度、心の中で唱えてきたかわからない。彼女が生まれる前から、ずっと待ち望んできた命の名前を。
イリオスにとっては――ずっと『シンシア・ラ・オルトゥス』だった。これまでも、これからも。新しい名など、どちらの口からも聞きたくはなかった。
しかし、もう、死ぬ。シンシアも死に、アステルも死ぬ。本当に楽しみだと、イリオスはわらう。
初めて会ったシンシア・ラ・オルトゥスの、華奢で小柄な姿や、触れた白い手のあたたかな感触を思い返して――それらが冷たくなるときのことを思う。そして、あの細い首を絞めるときのことも。
(はやく、はやく、私のところまで来い、シンシア・ラ・オルトゥス――はやく『完成』しろ)
イリオスは目を細めて、その時を待ち望み、楽しそうにわらっている。