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62) 1周目 「命じる」


 夜、ルアンは城のアステルの部屋に呼び出される。丸いテーブルをはさむ椅子のひとつに、アステルは座っている。美しいグラスがふたつ、テーブルの上に置いてある。珍しく、高そうなお酒もあった。


 ルアンは向かいの椅子には座らずに、少し離れたところに立っている。


「座らないの?」

 アステルは聞く。

「きみと、お酒でも飲もうかと思って呼んだんだけど」

「アステルさま、お酒、嫌いじゃないですか」

「まあね。だって飲んでも全然酔わないし、美味しく感じないし」


 アステルが16歳で成人して、はじめてお酒を飲んだ席にルアンも付き添っていたが「思っていたのと違う、おいしくない」「どうも体が勝手に回復魔法をかけているみたい」と変な顔をしていたのをルアンは覚えていた。


「私も飲まないですよ」

「どうして。ルアンはお酒、好きでしょう」

「好きですけど、弱いです。貴方の前で醜態を晒したくないので」


「今更、そんなの気にする仲かなあ? ぼくはきみがおねしょしてた時代から知っているのに」

「そんなことを言ったら、私、野菜を床に投げ捨ててミルティア様に床の掃除をさせられているアステル様のこと今でも覚えていますよ」

「怖いなあ……」

「王子が床の掃除をさせられているの結構、衝撃的でしたよ」

「絶対にシンシアには言わないでよね、ルアン」

 ため息混じりのアステルは、目を伏せる。

「きみは、これからシンシアと過ごす時間が長くなるだろうけど……」


 アステルは立ち上がり、書き物机に何かを取りに行く。


「あーあ、やってられないよ。5日もシンシアに会えないなんて。絶対に3日にしてやる」

「ハネムーンが魔王城というのもすごい話ですよね」

「ハネムーンはもうスペンダムノスに行ったよ。前借りした。そういうことにしているんだ」


 アステルは赤いリボンに巻かれた茶色い紙を手に戻ってくる。機密文書のようだ。魔法で鍵がかかっていたようだが、すでに解けている。昼間、シンシアが使者からもらった魔王城内部の地図だ。アステルがテーブルの上に紙を広げ、ルアンはのぞきこむ。


「魔術部隊は城内にも入れず城外待機だ。一階のここが、聖騎士隊の待機地点。ここから道を分かれて螺旋階段をのぼり、2階の大きな扉に封印が施されている。この扉から先の廊下が、教皇とシンシアだけで進む場所。廊下の先に大きな穴が空いていて、一階に魔王の遺骸がある。教皇から祈祷を受けて、シンシアだけが一階に降りる……」 

「本当に、シンシア様だけで大丈夫なんでしょうか……」 

 ルアンは不安そうな顔をしている。

「歴代の聖女も同じようにして、成功したっていうんだ。聖女が魔王の遺骸に近づけば、神聖力が勝手に魔王の封印を上書きしてくれるって話だった。でも……」

 アステルも不安そうだ。

「シンシアも同じことを言っていたけれど、説明がざっくりとしすぎていて、心配だよ」


 話の全てがふわふわとしていて、現実味がないような……そんな感覚があった。


「魔術部隊が城外待機である理由は、『魔王は新たな体を探している』という伝承があるかららしい。魔王の遺骸が魔力を媒介に人を乗っ取るって思われているんだ。だから聖騎士隊でも、魔力がある人間は城内に入れない」

 アステルは眉をひそめる。

「馬鹿げた話だと思わないか? 死んだあとに、どうやって人を乗っ取るっていうんだ? 『魔力があるせいで、妻に付き添えない』と言われるなんて、思ってもみなかった」


 アステルは、じっ……と地図を見つめる。

「ここから、ここ」

 封印の扉から続く、長い廊下をアステルは指でなぞる。

「教皇は、男だろう?」

「まあ、聖職者ですが……そうですね」

 アステルの表情に、ルアンは(それ?)という顔をする。人間不信も良いところだ。

「この廊下の間だけですよ」

「でも密室だ。許せないよ。気が狂いそうだよ」


 アステルが言いたいのは『たとえ聖職者であっても、廊下の間だけであっても、シンシアとふたりきりにするのは嫌だ』と言うことだ。


「絶対にぼくも立ち会ってやる」

 アステルは地図とにらめっこしている。ルアンは大陸一の聖職者を疑うアステルに呆れながらも、アステル様はシンシア様が本当に大事なのだな……とも思う。過保護すぎる気もするが。


「さて……立ち会うとしても、城につくまでの間はシンシアと一緒にはいられない。これは恐らく、変えられない」 

 アステルは再度、椅子に座り、ルアンの顔を見る。

「だから、ぼくはきみにお願いがあって、きみを呼んだわけ」 


 ルアンは呆れ顔だ。

「呼び出しを受けたときに、そうかな、とは思いましたけど……どこの世界に従者にお願いをするのに、お酒を用意して待っている主人がいるんですか?」

「ここにいるよ」

「アステル様は、私の主人です」

「ぼくはきみのことを、友人だと思っている。……一緒のテーブルに座ってくれないの?」


 ルアンは立ったままだ。

「場合によっては、座りますよ。貴方の誕生日のときは座りました。お祝いがしたかったので。ですが今回の件は……命じてください」

「……」


 アステルは少し拗ねたように、ぽつりと言葉をこぼす。 

「ぼくはきみと対等な友人でありたいと思っているよ、ずっと」 

「私にとってアステル様は……」


(アステル様がいなければ、きっと、おれはのたれ死んでいる。生きていたとしても、ルアンなんて良い名前もなくて、自信のあるものがひとつもなく、物語のひとつも知らない、つまらない人間だったはずだ)


 アステルは、ルアンがアステルをどれだけ大切に思っているか、知らないだろう。他者には「大切」を向けるのに、他者からの「大切」には無頓着な人だから。 


「……対等になるのは難しいです。ですが、私はアステル様の命令であれば、もちろん、命をかけられます。人生をかけたって、いいですよ」


 アステルはしばしの間、考える。

 アステルは立ち上がり、ルアンと向かい合う。

「ルアン、ぼくはきみに、命じる」


 ルアンは、アステルの前に跪く。

「はい、アステル様」


「魔病討伐のあいだ、シンシアを守れ。怪我ひとつ、させるな」

「承知致しました」

 ルアンは頭を垂れたまま、言う。


「聖騎士ルアン、この身にかえても、シンシア様をお守り致します」


 アステルは青い瞳をルアンに向ける。


「それから、シンシアの身が危ないときには、きみも一緒に逃げるように。残って戦ったりせずに」

 命令を重ねる。

「命じるよ、ルアン。シンシアときみ自身を、必ず守るようにね」


 ルアンは顔をあげる。

「どこの世界に、姫君を守る従者に、自分自身も守れという主人がいますか?」

「ここにいるよ」

 アステルは暗い窓を背に、明るい室内に立っている。

「大切な友人を失いたくないからね」

「……努力します」

 ルアンの言葉に、アステルは微笑む。


「……じゃあ、もう、一緒のテーブルに座ってお茶を飲んでくれる? お酒じゃなければ、一緒に飲んでくれるのかな?」

「ありがとうございます、いただきます」

 ルアンは立ち上がり、ようやく席に座る。



 お茶を飲みながらアステルはルアンに、月と星の耳飾りの……昼間の一件を簡単に話す。ルアンに『帰還の魔法』の説明をしながら、シンシアの可愛さについて惚気ている。惚気が8割で説明が2割だ。


「……だから、逃げる手段はあるんだ。魔病討伐のあいだに、危なくなったら、すぐに逃げてくれ」

「でもそれは、シンシア様の意思次第ということですよね」

「もちろんそうだけど、シンシアの身が危なければ、シンシアを守るために、帰還の魔法はきみが使っても良い」

(使ったことのない魔石を使うのって緊張するんだよなあ……)


「どこにつながっているんですか?」

「それは、ナイショ。シンシアとぼくだけの秘密」

 アステルは笑う。

「ナイショなものを使えと言われましても……」

「でも、シンシアが逃げたい先だ。だから、ついて行ってあげて」


 しばし、沈黙が訪れる。

 アステルはふと思い出したように聞く。


「ルアンは、どうして命令がいいわけ?」

「命令のほうがやる気が出ますよ」

「そういうもの?」

「そういうものです」

(貴方のためにがんばろうと、そう思えますから)

 微笑んだルアンを見て、アステルはあんまり興味なさそうな顔で「そっか」と言った。


 アステルの淹れたお茶は、あたたかくて、いつもどおりの味がした。魔病討伐などという、不気味で現実感のない話の中で。アステルの淹れたあたたかなお茶だけが、その夜のルアンにとって、現実感のあるものだった。


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