54) 2周目 リアの家出 父と娘
リアは村外れの納屋に入り、ごろごろしていた。普段は使われていなさそうな納屋を発見したのだ。納屋の中にはふかふかの麦わらが積まれて置いてあった。歩き疲れたリアはリュックを置くとわらの上に横になり、ぐうぐうと昼寝をする。
しばらくして目を覚ますとお腹が空いていたので、リアは持ってきたクッキーの缶を開けて、クッキーを食べる。
(ロアンはお父様に、私の家出のことを伝えたかな? リアと呼ぶまで帰らないって、伝えたかな)
納屋の扉のあたりで、キキッと声がした。小さなねずみの魔物が、ぷるぷる震えながらリアのことを見ている。
退屈していたリアは、笑いかける。
「こわくないよ! おいで」
魔物が怖がっているのは『ウィローのお守り』のせいだとリアは思う。おまじないの魔法が全部入っているなら、魔除けの魔法も入っているはずなのだ。
ねずみの魔物はおそるおそるリアに近づくと、リアが割ったクッキーをかじる。
次に黒い鳥のような魔物が現れる。ぷるぷる震えながら、納屋の窓からリアのことを見ている。リアはまた「こわくないよ」と伝えてクッキーを分ける。
そんな感じで鳥やねずみ、うさぎや犬のような魔物が次々に増えて行った。ヘビのような魔物もいた。同じ種類、違う種類の魔物が次々にリアのまわりに集まってくる。クッキーがなくなっても、魔物は増え続けた。
だんだんリアは恐怖してきた。足の踏み場がなくなってきたからだ。
「た、たすけてー!」
リアは逃げ場を失って、叫ぶ。
すると強大な魔物の気配が一瞬だけして、魔物たちは一斉にリアから散って行った。
あとに残されたのは崩れてしまった麦わらの山と、リアとリュック、空っぽのクッキーの缶だけだ。
「……ウィロー?」
(確かにウィローの気配だった、本当に一瞬だけ……)
納屋の扉から、へんてこなお面をつけた人がひょこっと顔を出す。木彫りの、赤や青の鮮やかな色が塗られている怪しいお面だ。
「ウィローでしょ……?」
でも変だ、魔力がまったく感じられない。普段なら隠していても魔力があること自体はわかるのに。これで違う変な人だったらどうしよう、とリアは怖がる。お面の人は、一歩横にずれて戸口に立つ。
背格好もウィローだし、お面から飛び出ているのは小麦色の髪で、紺色のローブで、たぶんウィローだ。
「リア、良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
ウィローの声だ。次に会ったらハグしたかったのに、異様なお面。変な会話。リアは身動きせずに、ウィローを見つめ、緊張しながら答える。
「良い知らせが聞きたいわ」
(お父様が折れてくれたとか、かな)
リアは少しだけ期待を込めてみる。
「きみが種から育てたお花が咲きそうだよ」
「本当!?」
リアは顔をほころばせる。
「……じゃあ、悪い知らせは?」
「ぼくたち植える季節を間違えたみたいで、あんまり大きいつぼみじゃないんだ。でも、小さいつぼみがついているよ」
「小さくても、咲くなら良いわ。教えてくれてありがとう、ウィロー」
リアはホッとしながら微笑む。
ウィローは少し沈黙したあと、優しく声をかけた。
「きみの部屋に持ってきたよ。だから、帰っておいでよ」
「……その手には乗らないわ」
リアは、ジトっとした目でウィローをにらむ。
「ウィロー、そのお面は何? 顔を見せてよ」
ウィローは戸口に立ったまま、村の方を見つめる。
「ぼく、タフィの村を歩くときに、このお面を取りたくないんだよ。魔力を漏らすと大変なことになるんだ。ルーキスの屋敷ではとれるんだけど」
「ルーキス」
リアは目を伏せる。
「ウィローは、お父様と仲が良いのね」
ウィローは、麦わらを背に座るリアのとなりに座る。
「昔は、とーっても仲が悪かったよ」
「そうなの?」
「うん、リアとルーキスの比じゃなく仲が悪かった」
「そんなことってある?」
リアは首を傾げる。
「でも今は、ぼく、リアに幸せであってほしいから。少なくともリアがルーキスのことを大嫌いじゃなくなるといいなって思ってる」
「難しいわ……だって、お父様は、」
リアはうつむく。
「私を愛していないわ。塔に全然来てくれなかった。会うたびに冷たいことを言った。叩かれたこともあるわ……どうしてかわからないけれど、ずっとずっと冷たかったの」
ウィローは黙り込んで聞いている。
「あんまりにお父様がこわくて、お父様と住んだら殺されるってずっと思ってた。でも実際に一緒に住んでみたら、すっごく小うるさくてびっくりしちゃった。私に手をあげないし、ひたすら私を『まともな令嬢にしたい』みたいに関わってくるの」
(手をあげるな 絶対に傷つけるな は、ぼくの命令だけど……)
ウィローは心の中で思う。でもこれは、伝えない方が良いだろう。
「お父様ってどういう人なのかわからなくなっちゃった。私のことをどう思っているんだろう?
でも、私はずっと嫌われているって感じてきたから、関わろうとされることにイライラしていたの。私はもうリアだから、リアだって認めて欲しかった。私の選択を」
「それをルーキスに言ってみたら良い。『リア』は私の選択です、って」
ウィローはお面をつけた顔をリアに向ける。
「それから、どうしてリアをシンシアと呼びたいのか、理由を聞いてみたら?」
「理由? お母様の名前で呼びたくないだけでしょう?」
「リアと呼びたくないだけなら、シンシアと呼ぶ必要はないじゃないか」
リアはウィローの口からシンシア、と出たのにびっくりする。
(私も、アステルと呼んでみたい)
でもウィローは、リアが本当の名前を知っているのを知らないのだ。
「呼ぶだけなら、黒髪ちゃんでも、お花ちゃんでも天使ちゃんでもなんでもいいはずだ」
「なにそのあだ名、おかしいよ」
リアはくすくすと笑う。
「ウィロー、ちょっと肩を貸してね」
リアはとなりに座るウィローの肩に頭をのせてもたれかかる。目をつむる。しばらく、そうしている。
「うん、元気出た。お父様ともう一回話せそう」
「がんばって、リア」
「がんばるわ!」
ふたりが納屋の外に出ると、ロアンが居た。
「ロアン、私、がんばってみる!」
ロアンはリアを叱ろうと考えていたが、明るい表情を見て言葉をのみこみ、ウィローのあとに続くリアの後ろ姿を見守る。
ーーーーーーー
ルーキスは庭で3人を待っていた。
「おかえりなさい、我が主」
「ただいま、ルーキス」
「ただいま戻りました」
ウィローとロアンが挨拶を返すが、リアは口を開かない。
リアは庭に描かれた落書きのような魔法陣に気づく。リアは、ウィローの魔法陣の美しさを知っている。絶対にウィローが描いたものではない。
(これは誰が、なんのために描いた落書きなの?)
でもウィロー以外に描けるのはこの場に一人だ。リアは目をぱちくりさせる。
「お父様が描いたの?」
ロアンが説明する。
「ルーキスさんが、リアを探す小さな魔物を集めるために描いてくれたんです」
「主に言われて描いただけです。シンシアのためではありません」
「ぼくは『リアを探すのに小さな魔物を集めたい』って言っただけで魔法陣を描いて欲しい、までは頼んでいないよ、ルーキス」
ウィローはお面の向こうでふふ、と笑う。
「ちいさい魔物が納屋にたくさん入ってきて、大変だったわ。でも、そのおかげでウィローが私を見つけてくれたの。だから、ありがとう」
ルーキスは、気難しい顔でリアのことを見ている。リアも真似をして、気難しい顔をしてみる。
4人は屋敷の居間に戻ってくる。ウィローがお茶が飲みたいと言ったためだ。お茶を飲むために、ようやくウィローはお面を外す。
ルーキスは席を外そうとするが、
「ルーキスも一緒に飲もうよ」
とウィローが誘い、ルーキスは着席する。
執事が4人にお茶を淹れてくれる。
「美味しい」
飲んでひと言、ロアンが言う。ウィローもひと口飲んで、微笑む。
「うん、美味しいお茶だね」
ルーキスとリアは手をつけない。
ウィローは顔をあげて、ルーキスを見る。
「ルーキス、ぼく、ずっと貴方に聞いてみたいことがあったんだ」
「なんでしょう?」
「どうしてシンシアと名前をつけたの?」
「……」
ルーキスは相変わらず、難しい顔をしている。
「教えてほしいんだ、ずーっと知りたかったんだよ」
「……私はどちらかといえば、夜に生きる魔物なので、リーリアと会うのはいつも夜でした。いつも、夜にふたりで散歩をしました。よく、月が綺麗だと、リーリアが指差し喜んでいました」
ルーキスはティーカップに入ったお茶を見ながら、述べる。
「それだけです」
リアは驚く。
「お母様が月を見て喜んでいたから、月にちなんだ名前をつけたの?」
ルーキスは黙って頷いた。
「お父様は本当にお母様が好きだったのね」
ルーキスは黙り込んでいる。
「私も、お母様が大好き」
リアはぼそっと呟いた。
「素敵な由来だ。そして、本当に良い名前だね。
ルーキス、話してくれてありがとう」
ウィローは微笑んだ。
「私からもお父様に質問があります」
リアが言葉を続ける。
「私はリアという名前を選びました。お母様みたいに優しい人になりたかったのです。
なのに、どうして、シンシアと呼ぶのですか?」
「呼びたいからだ」
ルーキスは淀みなく返答する。
「貴女はリーリアではないし、私たちのもとに生まれてきたシンシア以外の何者でもないからだ」
ルーキスが、まっすぐにリアの黒い瞳を見る。
リアもルーキスの灰色の瞳を見る。
お互いに譲れないものがあって、お互いに頑固なのだと気づく。
「……勝手にしたら」
リアは、お茶を飲む。
「ええ、勝手にします」
ルーキスも、お茶を飲む。
ロアンは相変わらずツンケンしているふたりに呆れる。
「仲直り、できているんですかねえ これは」
「一緒にお茶が飲めているんだから、すごい進歩だよ。これから、これから」
ウィローはニコニコしながら、素直になれない父と娘を眺めている。