52) 2周目 ぴりぴり、戸惑い、お嫁さんになりたい
リアの沈黙に、男の眉間に皺が寄る。
「……挨拶もできないのですか?」
「申し訳ありません、私は、ロアンと言います」
ロアンは慌てて助け舟をだそうとする。
「貴方に言ったのではない。シンシアに言ったのです」
リアは、覚悟を決める。父ルーキスに、恭しく挨拶をする。
「お父様もご健在そうでなによりですわ。
……ですが、私、もうリアって名前になりました。リアって呼んでください」
ルーキスは極めて不快、という顔をする。
「探知魔法などにタフィの結界が負けるわけがない。私はルーキスを名乗り続けているが、見つかっていない。
私にとって『リア』はただ一人、我が妻リーリアだけだ。貴女は我が娘、シンシアだ」
ルーキスの厳しい視線を受け、リアは黙り込む。
ロアンは話の流れにようやく追いつく。
「処刑された辺境伯なんですか!?」
「処刑? 私が? 教会は相変わらず頭がからっぽだな」
ルーキスは険しい顔をしている。
「娘同様、死んだと見せかけただけだ。シンシアの死を偽るほうがよっぽど大変だった」
「じゃあ、やっぱり、」
ロアンは迷う。リアに聞かせて良いものなのかわからなかったからだ。しかし、もう明らかなことだろうと、言葉を続ける。
「ウィローの協力者は辺境伯だったわけですね」
ロアンはずっと、それを疑っていた。辺境伯は娘を連れて行くことを簡単に了承した。また、聖女の死を偽装することは、ウィロー1人ではとても難しいことのようだったからだ。
「協力者? 違う。私は、あの方に忠誠を誓っている者だ」
「は? え?」
話がややこしくなってきた。ロアンだってウィローに忠誠を誓っている。辺境伯は、ロアンと同じ立場ということになってしまう。
「どういうことですか?」
ルーキスが魔力を隠すのをやめると、ロアンの中の『聖騎士の感覚』が騒ぎだす。
祭壇の灯りがついているはずなのに、灯りが消えていったような薄ら寒さがある。
「私は魔物だ」
ルーキスはタフィの祭壇を見る。
「魔物は、より強い魔物の魔力に魅せられるものだ。あの方の魔力は美しい。だから協力した。シンシアのためではない、あの方のために協力したのだ」
ロアンは、リアの顔を見る。リアは――どういう表情だろう、これは。無表情に近い。
「とにかく、ここにいる間のきみたちの安全と衣食住を保障するように私は主に言いつけられている。そうであるから、きみたちは教会のとなりの屋敷に私と一緒に住むことになる」
「お断りします!」
リアは叫ぶ。心からの叫びのようだが、ロアンは焦る。
「リア!」
魔物に庇護を求めるのはおかしいかもしれないが、リアの実の父親だ。ウィローが決めたことで、リアを守るためにロアンはタフィに来た。他に選択肢はない。
「よろしくお願いします」
ロアンはルーキスに頼む。
リアの顔色は、真っ青だ。
ーーーーーーー
「そういうわけで、陰鬱屋敷での生活がはじまったわけなんですけれども、オルトゥス伯はリアのマナーに厳しいし、でもリアはマナーなんて忘れたようなものじゃないですか。だからもう、しょっちゅう言い争っていますよ」
「陰鬱屋敷?」
「オルトゥス伯の屋敷の雰囲気があまりに暗いのでリアとそう呼んでいます」
(お世話になっているのに失礼じゃないかな?)
ウィローは心の中で思う。
「あと、リアのことをシンシアと呼ぶんです。それがリアは許せないみたいで」
ウィローは植木鉢を抱えて立ったまま、難しい顔をしている。
「探知魔法を、タフィの中でも警戒するなら、リアって呼んでほしいのは、ぼくも同じだけど……うーん……」
「ウィローから頼んであげることはできませんか?」
「……できない」
考えた上で、ウィローはそう結論づける。
「彼は、亡くなった奥さんの名前で娘を呼びたくないって言っているわけでしょう? それに、娘の名前をつけたのは恐らく、ルーキスでしょう? 頼めないよ」
「しかも、ぼくが頼んだら命令になってしまう。そんな残酷な命令、できないよ」
ウィローに珍しく、リアとロアン以外の他人を慮った発言だ。
「ウィローの言葉はオルトゥス伯にとって命令になるんですか?」
「彼はぼくのことを、勝手に主だと思い込んでいるんだ。魔物は、自分より上と決めた相手に従順な性質があるみたいなんだ」
(じゃあ、リアって呼ぶように言ってほしい……)
ロアンにはウィローの「残酷な命令」という言葉がピンとこない。ルーキスがリアと呼ぶようになれば、リアの機嫌も多少はよくなる気がするのに。
「まあでも、『マナーにうるさくしないであげて』くらいは伝えようか。リアより先にルーキスに会うのは憂鬱だけど、そのほうが良さそうだ」
「ウィローもオルトゥ……ルーキスさんが苦手なんですか?」
ロアンの疑問に、ウィローは目を伏せてこう言った。
「うーん 昔はぼく、彼のことが嫌いだった。でも、今は、なんていうか、戸惑う」
「戸惑う?」
「会えばわかるよ」
ーーーーーーー
陰鬱屋敷の客室で、ルーキスはすこし微笑んでウィローのことを迎えた。教会でつけていた白い帯はつけず、黒いスーツのみの姿だ。
「おかえりなさい、我が主。何か御用でしょうか?」
いつも険しい顔をしているルーキスの微笑みをはじめて見たロアンに衝撃が走る。
「ぼくのことはウィローって呼んでください、ルーキス」
ウィローの敬語に、さらにロアンに衝撃が走る。
「そんな恐れ多いことはできません」
ウィローはロアンの耳に口を近づけると、こそこそっと話をした。
「敬語じゃないと命令になっちゃうみたいなんだ。だから命令になりえそうなことは敬語で話す努力をしているんだ」
ウィローとルーキスは、低いテーブル越しに向かい合うソファーに座る。ロアンはウィローの後ろに立つ。
ウィローは小さな皮袋をだしてテーブルの上に置く。
「これ、お土産だよ。ルーキスの魔術研究に使えそうな材料を持ってきたよ」
「ありがたき幸せです。ありがとうございます、我が主」
恭しいルーキスの姿を見て(これは従者の鑑というべき姿では?)とロアンは思う。
「ありがとう、はこちらのほうだよ。リアとロアンを匿ってくれて、本当にありがとうございます」
ウィローは丁寧にお礼を伝えたあとで、心配そうに聞く。
「ルーキスは、ぼくたちが貴方の娘をリアと呼ぶのは、嫌ではない?」
「構いません」
「ルーキス、リアにマナーのことをあまり言わないであげて欲しいんです。もう王家に嫁ぐわけでもないのだから」
「努力します」
ルーキスは約束する。
「ありがとう、ルーキス」
ウィローは微笑む。
客室をでると、ウィローは小麦色の髪を揺らして、ロアンを振り返る。
「ね? 調子がくるうでしょう?」
ふたりは屋敷の2階に上がり、ロアンが先導してリアの部屋へと向かう。
向かう途中にロアンは、ウィローにあえて話さなかった、リアとの会話を思い出す。
ーーーーーーー
一週間前、タフィ教会の祭壇前での会話のあと、ふたりはルーキスの屋敷に入る。屋敷にはルーキスの他に、執事とメイドが一人ずつ住んでいる。メイドに案内されてふたりはリアの部屋、ロアンの部屋の場所を知る。メイドが去ったあと、リアは自分の部屋にロアンと一緒に入り、扉を閉めた途端に憤慨する。
「ウィローと一緒に住めなくて、お父様と一緒に住むですって!?」
ベッドに大の字に寝転がり、リアは怒っている。
「絶対に嫌!!!」
「ちょっと、リア、落ち着いて」
リアは、癇癪をおこしている。ロアンはベッドの近くに椅子を持ってきて反対向きに座り、背もたれに両腕をかけて、リアを観察する。すこし大人しくなった辺りで言葉をかけた。
「リアは魔物と人間のハーフだったんですね、知っていましたか?」
「お父様は私に会うときに魔力を隠していたけれど、魔物かもしれないというのは疑ったことはあるわ。私、小さいころから魔物の言うことがなんとなくわかるし、魔物に親しみを感じるの。ウィローくらい強い魔物の気配は、流石に怖いけど……」
リアはベッドに寝転がったまま、ロアンを見上げる。
「それに、なんだっけ、太陽の光が苦手な魔物とかもいるじゃない。ほら、私も魔物なんだわ」
ロアンは怪訝な顔をする。ロアンのまわりが魔物だらけになってしまう。
「リアは、人間だと思いますよ。ついでに強い神聖力をもっています」
「お願い! 魔物ってことにしておいて!」
「なんでですか」
「あのね、ロアンにはいつか伝えなきゃって思ってたことなんだけれど……」
リアはベッドから起き上がり、ベッドの端に腰掛けてロアンに向かいあう。
「私が魔物なら、ウィローは私のこと、お嫁さんにしてくれるかなって思うの」
「……」
リアは恥ずかしそうに、頬を染めている。ロアンは一瞬、言葉を失う。
「……リアは、ウィローのお嫁さんになりたいんですか?」
ロアンはげんなりした顔をした。
「絶対に大変だと思いますけど」
(あの人、片付けができないし、いろいろ一人で抱え込むし、何考えてるかわからないし)
「でも、じゃあ、誰ならウィローのお嫁さんになれるの?」
ロアンは、頭を抱えたくなる。
リア以外を可愛がっているウィローは想像がつかないのだ。リアのほうも、ウィロー以外がとなりにいるのはあまり想像ができない、したくない。かといってふたりが恋仲なのも想像ができない。リアが小さすぎるためかもしれない。
「私、ウィローはもしかしたら、魔物の魔力なことを気にしているのかなって思うんだけど……でも私の両親だって魔物と人間で恋に落ちているわけでしょう? それで私にも魔物の血が入っているなら、何も問題はないじゃない?」
リアは明るい表情でそう言った。
(ウィロー自身は自分の魔力について、どう捉えているのだろう?)
ロアンは考える。あとは今、挑もうとしていることが大変だから、恋だのお嫁さんだのについて、考える余裕はないのでは? とも。
「魔王の遺骸の封印がおわらないことには、ウィローは、そういうことを考えないんじゃないですか」
「そっか」
リアはぼそっと呟く。
「はやく封印が終わらないかな」
「リアが思うほど簡単な話じゃないんですよ……」
(それこそたぶん、ウィローは命がけで封印をしようと思っているんですよ、リア)
考えたくはないが、ウィローが死んでしまったら、リアはたくさん泣くんだろうな……とロアンはぼんやりと思う。
(そんなことにはさせない、させてたまるか)
椅子の背に両腕を乗せたまま、リアに言った。
「リア、私、リアの花嫁修行を手伝ってあげますよ」
「本当!?」
「そのかわり、神聖力について私と一緒に勉強して練習しましょう。いざというとき、ウィローを助けることができるかもしれません」
「ウィローの助けになれるの?」
リアの顔が輝く。
「やる!」
花が咲いたように、リアはロアンに笑いかける。
今思えばタフィにきてから最初で最後のリアの良い笑顔だった、とロアンは思う。その日の夕方からルーキスとの険悪な雰囲気がはじまってしまったので、ずーっとぴりぴりしたリアだったのだ。
ーーーーーーー
ロアンはリアの部屋をノックするが、返事がない。扉を開けると、リアは部屋にいなかった。
「あれ? おかしいな……どこに行ったんでしょうか?」
(最近はずっと部屋にこもりきりな印象だったのに……)
部屋の床に抱えてきた植木鉢を置き、ウィローは部屋の中を見回す。
リアのリュックと髪飾りが見当たらない。
ロアンは、机の上に書き置きがあるのを見つける。
『 ロアンへ お父様が私のことをリアと呼んでくれるまで、私、お屋敷には戻らないつもり。心配しないで! リア 』
「ど、どうしましょう、ウィロー! これって家出ですか?」
ロアンは焦っている。
ロアンに渡された書き置きを眺めながら、ウィローは思う。
(長年の夢をかなえたね、シンシア)